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昔の新聞点検隊

活動大写真がやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!

田島 恵介

1897(明治30)年3月13日付東京朝日朝刊3面拡大1897(明治30)年3月13日付東京朝日朝刊3面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

●活動大写真 神田錦町の錦輝館にて興行の活動写真といふは是までにある幻灯画の自然に動くものにして此程より浅草花屋敷に於て観せ居る活動写真の巨大なるものなり 是は万物の活動するものを回転機械を以て永く写し取りたる新発明の由 画は観客の居る中央の場所より舞台に垂たる白布へ当て写すものなり 番組はナイヤガラの瀑布の下を蒸汽船の走る図火罪の刑場を劇場にて演ぜしもの同断頭台の刑場大蒸汽船の運転(此画は煙筒の煙も旗章も皆走る方へ靡てありしが此は画の差違ひなるべし)出火の中に煉瓦家の三階より少年を助け出す所小学校の運動会大統領の選挙騒ぎ李鴻章の馬車に乗る所此他に最も愉快なるは水撒の図波止場の波打際に犬の遊ぶ図農家にて飼養の鳩に餌を蒔くに鳩の群立つ所練兵場に近衛兵の調練豆の如き人物の漸々近付て馬乗の兵士の目前に来る所西洋婦人の小蝶の舞に腰に纏ひたる衣の種々に色の変る所(是は一昨年当館にて実物を見たり)など孰れも妙 今回の興行は昼の分午後一時より夜の分七時より開場なり 一寸目新らしきものなれば三時間程を費して先一度は往てごらうじろ

(1897〈明治30〉年3月13日付東京朝日朝刊3面)

【解説】

 9月にアニメーション映画の宮崎駿監督が突然引退を表明し、世間を驚かせました。また5月のカンヌ国際映画祭では是枝裕和監督の「そして父になる」の上映後10分以上もスタンディングオベーションが続き、この作品がコンペティション部門で審査員賞を受賞しました。日本の映画は製作の面で世界的な地位を確立していますが、人々の生活から切り離せない文化としても定着しています。

 さて、今回冒頭でご紹介したのは、その映画が日本に現れたばかりのころの鑑賞記録です。

 

 まずはこの記事を今の校閲記者の視点で点検してみましょう。

 神田錦輝館(大正年間に焼亡)で公開された活動写真は、浅草花屋敷の活動写真(後述しますが、こちらは一種ののぞき装置でした)とは違って「巨大なるもの」と言っているわけですから、文中の「活動写真」は、見出しに合わせて「活動大写真」としたほうがよいでしょう。

 次に、「ナイヤガラの滝」が説明なしに出てきます。世界的に有名な観光地とはいえ、「アメリカとカナダの境にある」などの説明がほしいところです。なお現在の新聞では、「ナイヤガラ」は「ナイアガラ」と表記しています。文中に2カ所ある「蒸汽船」も、現在の新聞表記では「蒸気船」です。

 また、「昼の分」「夜の分」は現代なら普通は「昼の部」「夜の部」と書くところでしょう。

 ちなみに当時の記事は旧仮名遣いでしたが、旧仮名遣いのルールとしては「餌」のルビはあ行の「え」(正確には「江」の変体仮名)ではなく、わ行の「ゑ」でなければなりません。

 

 日本に映画が伝えられたのは、「1896(明治29)年末のこと」(山田宏一著「何が映画を走らせるのか?」)で、それはアメリカのトーマス・エジソンが発明した「キネトスコープ」と呼ばれる装置によるものでした。神戸で公開された直後の記事が、「大阪朝日新聞」に見えます。

1896年11月22日付大阪朝日朝刊4面拡大キネトスコープの公開直後に掲載された記事=1896年11月22日付大阪朝日朝刊4面

●写真活動目鏡 過日神戸に於て小松宮殿下の御覧を経たる夫の高橋信次氏のニーテスコップ即写真活動目鏡は米国人エヂソン氏の発明に係り其機械を装置せるものは高四尺幅二尺程の方形にて上方に小孔あり別に電池を附し其発電力を以て機械を運転せしむる構造なり 其運転を始むるや上方の小孔より之を窺へば薄葉程の玻璃に印したる方一吋の写真は其れ其れ運動を為すこと真に迫れりと已に一昨々夜も周布知事の別荘にて有栖川宮大御息所殿下の御覧に入れたる由なり 尚高橋氏は右を携へて不日当地へも来らん予期なるよし

(1896年11月22日付大阪朝日朝刊4面)

 キネトスコープを「ニーテスコップ」と表記しているのは、「Kinetoscope のK をサイレントと誤読して発音したものと見える」(田中純一郎著「日本映画発達史」)。つまり、 Knight (ナイト=騎士)の K と同様に無音だと考えたというわけです(中世英語では、この K も発音していました)。

 また、「上方の小孔(こあな)より之(これ)を窺(うかが)へば」とあるように、キネトスコープはいまの映画とは違って、1人がのぞき穴から見るタイプのものでした。そのため「写真活動目鏡」「写真活動機」などと呼ばれていました。

 一方、大勢の人が同時に見られるスクリーン映写方式で最初期のものとしては、フランスのリュミエール兄弟が1895年に発案した「シネマトグラフ」が有名です。このシネマトグラフの発明をもって「映画の誕生」とするのが一般的です。

 それからわずか1年後、シネマトグラフが早くも日本に伝わります。これに加えてキネトスコープをスクリーン映写方式に改良した「バイタスコープ」が、アメリカからほぼ同時に輸入されたようです。

 これらが一般に公開されたのは翌1897(明治30)年になってから。まずシネマトグラフが2月に大阪市戎橋筋の南地演舞場で、続いてバイタスコープも大阪の新町演舞場で上映されました。

 冒頭の記事は、大阪での初公演からわずかに遅れて3月に東京・神田で開催された、バイタスコープによる上映会について書かれたものです。やがて、このようなスクリーン映写方式の映画が全国へと波及していくことになります。

●「活動写真」の言葉はいつから?

 ところで「活動写真」なる訳語(活動写真は、moving picture ないしは motion picture の直訳語と考えられます)が最初に使われたのはいつのことなのでしょう。

 「日本国語大辞典」(小学館)は文献で確認できる最も古い用例を収録していることで定評があります。第2版(2000~02年)の「活動写真」の項を見てみると、その最古の用例を1897年5月15日付報知新聞から拾っています。新しく用例を追加した「精選版」(2006年)も同様です。

1897年3月4日付東京朝日朝刊4面拡大広告の文中に「活動写真」の語が見える(赤線部分)=1897年3月4日付東京朝日朝刊4面
 しかし、前掲の「何が映画を走らせるのか?」によれば、1896年1月31日付の「時事新報」の記事の見出しに「活動写真」が初めて現れたそうです。

 東京朝日新聞で最初に使われたのは、日本国語大辞典の用例を2カ月以上さかのぼる1897年3月4日付の紙面です。記事ではなく、広告の文中から拾うことができます=右の画像。ちなみに見出しには「活動大写真(原名ブアイタスコープ)」とあって、その上に「電気作用」とあります。当時は「電気」という語がモダンな響きをもっていたのかもしれません。

 解説の中でご紹介した記事(1896年11月22日付)では「写真活動目鏡」と呼んでいます。当時はまだ、訳語が定着していなかったと考えられます。

 日本映画史に詳しい故・田中純一郎さんは、著書「活動写真がやってきた」で以下のように書いています。

 「まず最初にキネトスコープ、これはニーテスコープ、または写真活動機と呼ばれ、荒木和一が輸入したバイタスコープは蓄動射影、稲畑(稲畑勝太郎のこと―引用者注)は自動幻画と、実にまちまちだった。それを、錦輝館公開のとき、くわしくいうと明治三十年二月二十八日の『報知新聞』で、“活動写真”と大きく広告したのは、まぎれもなく新居商会一派で、これに吉沢商店が同調したのです」

 新居商会、吉沢商店は当時映画の興行などの事業をしていました。朝日新聞に「活動写真」が最初に登場した広告こそ、この「錦輝館」上映時のものでした。朝日新聞の紙面データベースで検索すると、その後、1897年だけで20件以上がヒットします。この頃から次第に世の中に定着していったといえるでしょう。

 その後、「シネマ」「キネマ」「銀幕」などさまざまな呼び方をされますが、「映画」という言葉が「活動写真」に取って代わるのは、「大正一二年(一九二三)の関東大震災前後」(日本国語大辞典の「映画」の項)のことでした。

【現代風の記事にすると…】

活動大写真を上映中 東京・神田

 東京・神田の錦輝館で「活動大写真」が公開中だ。

 活動大写真は、先日東京・浅草の花屋敷で公開された活動写真をさらに大きくしたもの。回転する装置によって対象物を長時間映しとる機械で撮影し、それを会場中央の機械から舞台に垂らした白い布に映し出す。白布の中に、いろいろなものが本物さながらに動いているのを見ることができる。

 演目は、アメリカ・カナダ国境のナイアガラの滝の下を蒸気船が進む場面、火事のなかレンガ造りの家から少年を助けだす場面など。中でも観客に人気があったのは波止場の波打ち際で犬が戯れている場面や、飼いバトに餌をやるとハトの群れが飛び立つ場面だった。

 上映は昼の部は午後1時、夜の部は午後7時からで1回約3時間。珍しいものなので、みなさんもご覧になってはいかが。

(田島恵介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください