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昔の新聞点検隊

東京五輪返上のせい? 水泳場のバスケコート

森 ちさと

1940(昭和15)年12月8日東京朝日朝刊6面拡大1940(昭和15)年12月8日東京朝日朝刊6面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

パスボール

▽南米で最も普及してゐるのは北米から押し出した籠球である、先年米国籠球チームが遠征した時は二十四回の試合に対し通計八万の観衆を集めたといふ事である、この位であるから競技場施設もよく整ってゐる

▽ブエノスアイレスにある南米最大の室内コートは観衆一万八千を収容し得るものでサンパウロにある最小のコートでも千二百人を優に容れる事が出来るといふ事である

▽改装した明治神宮水泳場の板張コートが野曝しの室外で一万八千位といはれてゐるのと比べれば籠球熱が低いとはいへ施設の点では南米諸国にも劣るといふ事になる

(1940〈昭和15〉年12月8日東京朝日朝刊6面)

【解説】

 アメリカのプロバスケットボールリーグ・NBAが29日(日本時間30日)に開幕します。どんなスーパープレーが見られるか、今季も本当に楽しみです。日本では一足早くナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)とbjリーグが開幕しています。NBAと比べると規模がかなり小さくなってしまうことが残念ですが、今回の記事は約70年前、日米開戦のちょうど1年前に、国内のバスケ施設の規模を海外と比較したものです。

 ではいつも通り校閲していきましょう。

 北米から「押し出した」籠球、という表現が分かりにくいですね。バスケは、原型となる試合形式が19世紀末にアメリカで考案されているので、「伝わった」でよいでしょう。

 2段落目のブエノスアイレスとサンパウロはそれぞれアルゼンチンとブラジルの都市。首都ではない都市にはできるだけ国名をつけています。少なくともサンパウロには必要ですが、ブエノスアイレスにもつけると統一感があってよいかもしれません。

 また、サンパウロの「最小のコート」は以下のように複数の意味に取れてしまいます。
 ①(1段落目をうけて)米代表遠征で使ったコートの中で最小
 ②(3行前をうけて)南米にある全室内コートの中で最小
 ③サンパウロの全室内コートの中で最小
 ④サンパウロのあらゆるバスケコートの中で最小

 どの意味なのか、確認してはっきり分かるように直したいところです。

 3段落目の「水泳場の板張コートが野曝しの室外で」という表現は、「常設の板張りコートが屋外にある」とも読めてしまいます。これは仮設のコートでした。常設だと、あっという間に板がいたんで大変です。言葉を補足してはっきり書いてもらいます。

 最後に「南米諸国にも劣る」ですが、「にも」とすると、南米諸国を見下して「そんな下等な国々より劣っている」と言っているように取れます。今なら「南米諸国に後れを取っている」などとよりニュートラルな表現にするでしょう。この記事は、現在のスポーツ面にある「ハーフタイム」というこぼれ話を紹介するコーナーに当たります。記事の締めは少しおもしろおかしく書くのが通例ですが、他者をおとしめておかしさを出すことは許されません。

 なお、コーナー名の「パスボール」は野球の用語で、投手の投げた球を捕手がそらしてしまう失策です。「こぼれ球」→「こぼれ話」、ということで付けられたのだろうと思いますが、少し不吉な気も。さし絵も卓球ですし、なにやらちぐはぐな印象です。

 さて、この記事が掲載されたのは1940年。最近の2020年東京五輪関連の報道でぴんと来られた方もいらっしゃるでしょうか。昔の新聞点検隊の「あの手この手で初招致! 1940年幻の東京五輪 」(10月15日公開)でも取り上げられた、幻の東京五輪の年です。

拡大①明治神宮相撲場の仮設コート。観客席に囲まれた、中央の低い部分に板をしいてつくられた。明治神宮外苑七十年史から
 日本にバスケが伝わったのは1908(明治41)年とされ、1930(昭和5)年に大日本バスケットボール協会(現・日本バスケットボール協会)が設立されています。しかし、40年五輪の開催が決まった36年時点では国内で普及しているとは言い難い状況でした。関係者はきっと五輪によってバスケ熱を高めたいと考えていたでしょう。

 五輪計画の東京市報告書によると、バスケの試合会場は、現在の千代田区神田駿河台のあたりに新設される「中央体育館」と、明治神宮外苑にある相撲場に板をしいた仮設コートが予定されており、中央体育館では最大6千人の観客を集められるはずでした。

 しかし五輪返上によって体育館は造られず、バスケを普及させる機会も失われてしまいました。この記事は、そんななげきも込められているのかもしれません。

 相撲場の仮設コートについては写真が残されていました=写真①。土俵の四隅にある柱を動かして、板をしいてつくられました。明治神宮外苑編纂室によると、戦後の1952(昭和27)年に行われた力士選手権では1万人を収容したということです。立派なものではありますが、「南米最大の室内コート」と比べると見劣りしそうです。

拡大②明治神宮水泳場。1931年に開場した
 今回の水泳場コートについては、板をしいた写真は残っていませんが、水泳場完成当時の姿はこちら=写真②。戦後日本がまだ五輪に参加できなかった48年、全日本水上選手権で古橋広之進が世界記録を出したことで有名になったプールです。このプールの部分に足場を作るなどして、プールサイドと同じ高さになるように板をしいたようです。

 客席は、ひとつひとつ座席があるのではなく、階段状になっているだけのものでした。そのため収容人数は大会によって差がありました。今回は1万8千人としていますが、「2万人」としたこともあったと言われています。

拡大③水泳場の跡地はフットサルコートに=①~③はいずれも明治神宮外苑提供
 その後、水泳場は閉鎖され、2003年にフットサルコートに生まれ変わりました=写真③。現在、バスケの大きな大会を行うことが出来る体育館・アリーナは全国にありますが、たとえば全日本総合選手権の決勝が行われているのは東京の代々木第1体育館で、収容人数は約1万人。2020年五輪にむけて、江東区に「夢の島ユースプラザ・アリーナB」という1万8千人収容の施設を新設する計画だそうです。これで施設は冒頭の記事の「南米最大」クラスになりますね。

 しかし日本代表の実力となると、男子は76年モントリオール大会を最後に五輪に出場できていません。女子も出場できたのは76年、96年、04年の3回のみ。開催国枠があるとはいえ、施設に見合った実力を備えて2020年五輪を迎え、世界が注目するような選手やプレーが飛び出せばいいなと思います。

【現代風の記事にすると…】

パスボール

 ▽南米で最も普及している競技は、北米から伝わったバスケットボールだ。先年米代表が遠征した時には、24試合で8万人の観衆を集めたという。それだけ施設もよく整っているということでもある。

 ▽アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある南米最大の室内コートは、1万8千人を収容でき、最小だったブラジル・サンパウロのコートでも1200人は優に入るという。

 ▽日本最大は、東京・明治神宮水泳場のプールに板をしいた仮設コートで1万8千人になるらしい。バスケ熱が低いとはいえ、実力でも施設でも後れを取っているのが現状。なんとかしたいところだ。

(森ちさと)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください