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昔の新聞点検隊

戒厳司令官「おれも大賛成ぢゃ」/関東大震災(8)

1923(大正12)年11月8日付 東京朝日朝刊2面拡大1923(大正12)年11月8日付 東京朝日朝刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

戒厳令の撤廃は おれも大賛成ぢゃ 市民の自慢にならぬのみか 警察の威令も落ちると 重荷をおろす 山梨司令官

「そんなこと俺が知るもんか、しかしまアこんな施設は一日も早く撤廃するもんぢゃよ、戒厳令のあることが長くなるほど警察の威令も下落するし、市民だって自慢にはならぬよ」戒厳司令部の存否が閣議に上った七日の午後、司令官山梨大将はその室に納まって

上機嫌である「俺が警察の威令が落ちるといふのは、この司令部がある間は警備の外に治安維持やら多くの問題が司令部の所管に属して居って警察に対する市民の信頼が司令部の方に傾くやうになるからだ、それでは警察も困った訳ぢゃ、福田大将の後を継いで就任してからは司令部管下の兵力を漸次に収縮したのが俺の仕事でなア、いまはもう地方の部隊は全部引揚げて近衛、第一両師団だけが任務に就いてゐるのだ、勿論震災地の

現状では戒厳令は撤廃してもいいよ、俺も希望する(中略)」(以下略)

(1923〈大正12〉年11月8日付 東京朝日朝刊2面)

【解説】

 関東大震災(1923年)にまつわる紙面を繰るシリーズ。8回目は「戒厳令」を取り上げます。冒頭の記事は、戒厳令の解除について、軍幹部が賛意を示したことを報じたもの。

 通常であれば、まず現代の基準で校閲するところですが、予備知識がないと記事の意味がわかりにくいです。まずは戒厳令と当時の状況についてみてみます。

◇   ◇   ◇

 そもそも「戒厳令」とは何か。広辞苑で「戒厳」を引くと、「警戒を厳にすること」「戦時・事変に際し、立法・行政・司法の事務の全部または一部を軍の機関に委ねること。通常、人権の広範な制限がなされる。日本にも明治憲法下でこの制度があった」。「戒厳令」は「戒厳を宣告する命令」とあります。

 政情不安や治安が乱れた外国で出されたというニュースは今でも目にしますが、日本で最後に戒厳令が出たのは77年前。広辞苑にある通り、日本では明治憲法下のもので、今はありません。

 日本で戒厳令ができたのは1882年。外敵侵入などに備えてつくられました。日清・日露戦争中の軍事関係を除けば、戒厳令が出たのは3回だけ。日比谷焼き打ち事件(1905年)、2・26事件(1936年)、そして関東大震災です。

 ちなみに、日比谷焼き打ち事件は、日露戦争のポーツマス講和条約をめぐって起きたもの。賠償内容に不満を募らせた市民が東京・日比谷公園に集まり、警官隊と衝突。内務大臣官邸や交番、新聞社などが襲撃されました。

◇   ◇   ◇

1923年大阪朝日第4号外拡大震災翌日付の大阪朝日の号外。右下に「帝都に戒厳令布かる」の見出しが見える=1923年大阪朝日第4号外
 話を関東大震災に戻します。未曽有の震災で、東京の通信と交通は途絶。警視庁など多くの官公庁が焼けるなか、「朝鮮人が放火や強盗をしている」など、根拠のないデマが広がります。

 しかも、震災発生時、首相は不在。病死した前首相の後を受け、山本権兵衛が組閣を進めている最中でした。治安当局や軍は、朝鮮人による独立運動や、社会主義者・共産主義者による反政府運動を恐れたといわれます。

 震災発生翌日の9月2日、戒厳令が出ました。戒厳を担う関東戒厳司令部を設置。東京など関東一円が戒厳下に置かれる中、世間を揺るがす事件が、9月16日に起きます。

 軍隊内の警察組織である憲兵の手で、無政府主義者・大杉栄らが虐殺された「甘粕事件」。大杉の6歳の甥(おい)と、妻の伊藤野枝も殺され、非難が巻き起こりました。

 事件から4日後の9月20日、戒厳司令官・福田雅太郎が更迭されます。代わりに司令官となったのが、前陸相の山梨半造。冒頭の記事は、その山梨が、戒厳令の解除に賛意を示したことを伝えた記事です。戒厳令は11月16日に解除されました。

◇   ◇   ◇

 それでは現代の基準で、冒頭の記事を校閲してみます。

 まず、記事原文の始めから4文字目の「 」。何と読むか分かりますか。

 「と」や「を」のようにも読めますが、実はこれ、「こ」と「と」が結合した合字。1文字で「こと」と読みます。戦後は使われることが減り、今ではほとんど見かけませんね。

 表現で気になったのが、「こんな施設は一日も早く撤廃するもんぢゃよ」。「施設」が何を指すのか、分かりづらいです。

 記事をもう少し読めば、「戒厳司令部」のこととも読めます。でも、戒厳令の話なので、撤廃するのは「施設」ではなく「施策」かとも思えます。どちらでしょう。

 また、「(戒厳令のあることが長くなるほど)市民だって自慢にはならぬよ」も、なぜ自慢にならないのか、意味が分かりにくいです。

 「司令官山梨大将はその室に納まって上機嫌である」はどうでしょう。市民がまだまだ厳しい生活を送っている時期。重責解放への期待感かもしれませんが、「上機嫌」はやめたほうがよいのではないでしょうか。いずれも、表現の改善を検討してもらいます。

 今回の記事は、編集の仕方が雑誌のようだと思えました。山梨司令官の写真は、今の新聞では考えられない大きさですし、見出しの「おれも大賛成ぢゃ」も随分とくだけています。発行部数が伸び続けていた当時の新聞が、大衆化しつつあったことの表れかもしれません。

【現代風の記事にすると…】

「一日も早い戒厳解除を」 山梨司令官が見解

 関東大震災で敷かれた戒厳令について、山梨半造・関東戒厳司令官は7日、「解除時期は一日も早いほうがよい」という認識を記者団に示した。

 震災発生から2カ月がたち、治安が比較的安定してきたことから、戒厳司令部は兵員を縮小。山本内閣も解除について検討を進めている。

 山梨司令官は、戒厳令の長期化は警察の威信低下を招き、市民も望んでいないと指摘。「今の被災地の治安状況ならば、戒厳令は撤廃してもよいと思う」と話した。(以下略)

(高島靖賢)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください