昔の新聞点検隊
(2013/12/24)
大みそか番組 NHKの「紅白歌合戦」
初出場は十歌手 海外放送でも実況中継
各社の大みそか番組「ゆく年くる年」とともに年末の名物放送、NHKの第十一回「紅白歌合戦」が三十一日夜東京・日劇で行なわれ、午後九時から第一放送とテレビで同時に放送される。今年は十分間ふやして十一時四十分までの二時間四十分番組となる。
「NHK紅白歌合戦」は十一回ということになっているが、この番組のはじまりは終戦の年の大みそかで、敗戦の憂うつをふっとばした行事として物すごい人気だった。この時の番組の名前は「紅白音楽試合」。翌二十一年から正月特集の中で歌謡パレードの形で続けられたが、二十年暮れのような爆発的人気は生まれなかった。二十六年正月から名前もいまの「紅白歌合戦」と改めたので、この年が第一回となっている。大みそかになったのは二十九年の第四回からだ。
出演歌手の選び方は、戦前からの歌手、戦中派の人、戦後前期、中期、後期の人々、新進歌手を縦の線とし、横の線としてはジャズ、シャンソン、タンゴ、ラテン音楽、ポピュラーソング、流行歌の各ジャンルの人々をからみ合わせて人気者を選びだす。
今年の出場者は女性軍の紅組が荒井恵子、朝丘雪路、淡谷のり子、コロムビア・ローズ、江利チエミ、藤本二三代、藤沢嵐子、花村菊江、石井好子、越路吹雪、楠トシエ、松尾和子、松島詩子、松山恵子、美空ひばり、宮城まり子、水谷良重、森山加代子、中原美紗緒、奈良光枝、織井茂子、大津美子、ペギー葉山、島倉千代子、宝とも子、ザ・ピーナッツ、ボーカル・カルテット(有明ユリ、小割まさ江、沢たまき、高美アリサ)の二十七組。ことしの初出場は花村、松尾、森山、小割、高美の五人。白組はアイ・ジョージ、青木光一、芦野宏、藤島桓夫、フランキー堺、フランク永井、林伊佐緒、平尾昌章、橋幸夫、旗照夫、伊藤久男、神戸一郎、春日八郎、高英男、三船浩、三橋美智也、ミッキー・カーチス、三波春夫、三浦洸一、水原弘、森繁久弥、守屋浩、笈田敏夫、若原一郎、若山彰、ダーク・ダックス、マヒナ・スターズの二十七組。今年の初出場はアイ、平尾、橋、ミッキー、守屋の五人。司会者は紅組が中村メイコ、白組は高橋圭三アナ。(中略)
今年はラジオ、テレビのほか、在外邦人の希望ではじめて海外放送でも実況中継される。このためラジオ、テレビに各一人、海外放送に日本語、英語の五人の実況アナウンサーが配属される。毎年ステージには芸能人の応援団が登場、会場の人々をわかせるほか、全国のラジオ、テレビ受信者から応援電報がくるが、今年はすでに十三日にインド洋に出漁している漁船の乗組員から第一報がとどいた。
(1960〈昭和35〉年12月25日付東京本社版夕刊8面)
【解説】
年の瀬も押し詰まり、いよいよ「紅白」の季節となりました。
最近、フジテレビ系の「笑っていいとも!」、TBS系の「はなまるマーケット」など、名だたる長寿番組の来春での放送終了が報道されましたが、NHKの「紅白歌合戦」は今なお健在で、「国民的行事」の名に恥じない人気を維持しています。昨年は、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」が特に話題になりましたね。
今回は、その「紅白」の初期の記事を見てみることにします。ラジオ、テレビに加えて、初めて海外でも中継されるようになった、1960(昭和35)年12月の記事です。
それでは、今の校閲記者の視点から点検してみましょう。
まず、「翌二十一年から」とあるのは、「翌昭和二十一年から」と「昭和」がほしいところです。なお、今は西暦表記が中心なので「1946(昭和21)年から」となります。
また、放送時期が大みそかになったのが「二十九年」からとありますが、「二十八年」の誤りです。縮刷版を見ると、1953(昭和28)年の大みそかの番組表に「紅白歌合戦」があります=右の画像。
それから第3段落。「出演歌手の選び方は」で文が始まっているのに、結びが「人気者を選びだす」と結んでいるのはおかしいですね。始まりを「出演歌手は」などとしたほうがよさそうです。
◇
「紅白歌合戦」の前身は、記事にもあるとおり、終戦の年(1945年)の大みそかに一度だけ放送された、「紅白音楽試合」というラジオ番組でした。タイトルが「歌合戦」ではなく「音楽試合」となっていることには、理由があります。
社会学者・太田省一さんが書いた「紅白歌合戦と日本人」の記述が分かりやすいので引用します。
当時、番組を制作するにあたっては、GHQで文化政策を担当するCIE(連合軍総司令部民間情報教育局)の承認が必要であった。そこで、「紅白歌合戦」の企画書を提出したのだが、期待もむなしく、却下されてしまった。「合戦」という形式は軍国主義的であり、認められないというのである。英訳した企画書で合戦を battle と訳してしまったため、そのような解釈を生んだ。そこでタイトルを『紅白音楽試合』に改め、番組は無事制作されることになった。
一九四五年一二月三一日午後一〇時二〇分から除夜の鐘まで、『紅白音楽試合』はラジオ番組として、東京放送第一会館第一スタジオから観客を入れずに生放送された。総合司会はNHKアナウンサーの田辺正晴、紅組司会は女優の水の江瀧子、白組司会は喜劇役者の古川ロッパであった。ただ、このときは「歌合戦」から「音楽試合」へと企画が変更されたため、琴や尺八、ヴァイオリンの演奏や新内(しんない)など、歌以外の演目も盛り込まれていた。
(太田省一著「紅白歌合戦と日本人」)
このような経緯もあって、「歌合戦」の前身の「音楽試合」は、一度きりの特別番組として編成されました。そして、この理念を受け継いだ「紅白歌合戦」は、テレビの本放送がまだ始まっていない51(昭和26)年1月3日からスタートしました。当初は大みそかではなく、年明けに放送されていたのです。
朝日新聞では、ラジオ番組欄に出演者が「渡辺はま子、二葉あき子、藤山一郎、東海林太郎ほか」と記されるだけのそっけなさ。放送時間もたったの約1時間でした。
年明けの放送は、第3回の53年1月1日まで続きます。第3回になってようやく、ラジオの番組表以外の記事で紹介されるようになりました。
その記事にいわく、「紅組は二葉、笠置、松島、月丘、奈良、暁、菊池、池、平野、久慈、乙羽。白組は藤山、灰田、楠、ミネ、霧島、伊藤、近江、林、竹山、津村、鶴田、岡本の男女各選手。選手監督は本田アナ(紅)宮田アナ(白)」(このほか、紅組の荒井恵子さんが初出場を果たしています)。当時の出場者は選手、司会は「選手監督」と呼ばれていたのですね。また「曲は両組とももちろん秘密というわけ」とあって、曲名をあらかじめ明かさなかったことも分かります。
大みそかの番組になったのは、先述のとおり第4回の53年からです。53年は、年始と年末とに2回放送されたわけです。しかもこの第4回は、ラジオに加えてテレビでも本格的に中継されるようになった記念すべき回でした。
そして、今回とりあげた60年の第11回では、中村メイコさんと故・高橋圭三さんが司会を務め、紅白各27組の歌手・グループが出場しています。
出場歌手のリストを見ると、隔世の感があります。グループサウンズ(GS)登場前夜とあって、バンドはマヒナスターズぐらいです。一方で11月に75歳で亡くなった島倉千代子さん、8月に88歳で亡くなった「タンゴの女王」藤沢嵐子(らんこ)さんの名前があります。その後島倉さんは2004年まで35回、藤沢さんも61年まで5回出場しています。ちなみに今年の第64回で50回目の出場になる北島三郎さんが初出場したのは、今回取りあげた第11回の3年後、63年の第14回でした。
また、番組の人気が定着するにつれ、司会者も注目されるようになります。65年12月1日付の紙面では、紅組の司会者として俳優の林美智子さんが選ばれたことが写真入りの記事になっています。その後も、67年には九重佑三子さん、68年には故・坂本九さんと水前寺清子さんら、人気の歌手や俳優が司会者に選ばれたことが話題になりました。
名物NHKアナウンサーによる熟練の司会ぶりも話題に上りました。特に62年から73年まで司会を務めた故・宮田輝さんについて、太田さんは「まさに高度経済成長期の『紅白』の顔といっていいような存在で」、視聴者と「『心の故郷』を共有するための触媒的な役割を果たしていた」(同著)と述べています。
さて今年の司会者は、紅組が綾瀬はるかさん、白組が「嵐」のメンバー、総合司会をNHKアナウンサーの有働由美子さんが務めるそうです。司会の進行ぶりに着目してみるのも、「紅白」のひとつの見方なのかもしれませんね。
【現代風の記事にすると…】
初出場は10人 海外放送でも実況中継 大みそかのNHK「紅白歌合戦」
紅組 | 白組 |
---|---|
朝丘雪路③ | アイ・ジョージ(初) |
荒井恵子⑥ | 青木光一③ |
淡谷のり子⑦ | 芦野宏⑥ |
石井好子③ | 伊藤久男⑨ |
江利チエミ⑧ | 笈田敏夫⑧ |
大津美子⑤ | 春日八郎⑥ |
織井茂子⑤ | 神戸一郎③ |
楠トシエ④ | 高英男⑥ |
越路吹雪⑥ | ダーク・ダックス③ |
コロムビア・ローズ⑤ | 橋幸夫(初) |
ザ・ピーナッツ② | 旗照夫⑤ |
島倉千代子④ | 林伊佐緒⑩ |
宝とも子④ | 平尾昌章(初) |
中原美紗緒⑤ | 藤島桓夫⑤ |
奈良光枝⑨ | フランキー堺③ |
花村菊江(初) | フランク永井④ |
藤沢嵐子④ | 三浦洸一⑤ |
藤本二三代③ | 水原弘② |
ペギー葉山⑦ | ミッキー・カーチス(初) |
ボーカル・カルテット =有明ユリ②、小割まさ江(初) 沢たまき②、高美アリサ(初) |
三波春夫③ |
三橋美智也⑤ | |
松尾和子(初) | 三船浩③ |
松島詩子⑩ | 森繁久弥② |
松山恵子④ | 守屋浩(初) |
水谷良重③ | 若原一郎⑤ |
美空ひばり⑤ | 若山彰④ |
宮城まり子⑥ | 和田弘と マヒナ・スターズ② |
森山加代子(初) | |
50音順。名前の後ろは出場回数 |
「ゆく年くる年」とともに年末の恒例番組となっているNHKの「紅白歌合戦」(第11回)が東京・日劇で行われ、31日午後9時からラジオとテレビとで同時中継される。今年は放送時間を昨年より10分拡大して、2時間40分となる。
「紅白歌合戦」の前身の番組が放送されたのは1945(昭和20)年の大みそかのことで、番組名は「紅白音楽試合」だった。51年には、「紅白歌合戦」と呼称を改めて第1回が放送され、現在のように大みそかの放送となったのは、53年の第4回以降のこと。
今年の出場歌手は紅組・白組各27組=表。初出場は紅組がボーカル・カルテットの一人として出る小割まさ江らも含め5人、白組は橋幸夫ら5人の計10人。司会は紅組が中村メイコ、白組は高橋圭三アナが務める。
今年は、国内向けのラジオやテレビのほか、海外でも放送される。このため、海外放送の日本語、英語の実況を担当するアナウンサーも置く。毎年ステージには芸能人が応援団として登場するほか、全国の視聴者からの応援メッセージが届くが、今年はすでに、13日からインド洋へと出漁している漁船の乗組員から届いている。
(田島恵介)
12月31日、1月7日は休載します。次は1月14日に更新します。ご了承ください。
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください