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昔の新聞点検隊

幻の大会から32年 よみがえった札幌五輪

松本 理恵子

1972(昭和47)年2月3日夕刊1面拡大1972(昭和47)年2月3日付東京本社版夕刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。画像は一部加工しています

【当時の記事】

白銀に聖火あかあか 札幌五輪 花やかに開幕

 黄金色の聖火台に赤々と火が燃えあがる。アジアで初めての雪と氷のオリンピック――第十一回冬季オリンピック札幌大会が三日開幕した。いったん戦争でつぶれ、三十二年ぶりによみがえった大会だ。この日から三十五カ国千六百五十五人の役員、選手たちが参加して、六競技三十五種目が十四会場にわかれ、十三日までの十一日間繰りひろげられる。午前十一時に始った開会式、見事な演出だった。快晴、気温零下八度。フィールド、リンクは冬の日ざしを受けて青白く光り、幻想的なムード。スポーツを通じて結ばれた若者たちがオレンジ、赤、シックな黒、そして紺、白とお国ぶりを示すさまざまな服装で行進し、整列した。絶え間ない音楽が会場のふん囲気を盛りあげ、三十五カ国の国旗とオリンピック旗が世界の平和と友好を象徴した。午後から始る激しく、きびしい競技とはまるで裏腹の“美の祭典”だった。

 (後略)

(昭和47〈1972〉年2月3日付東京本社版夕刊1面)

【解説】

 ソチ冬季五輪まで3週間をきりました。スキーやスケートなど代表選手の調整の様子を伝えるニュースも日ごとに増え、開幕が待ち遠しいです。

 今回はアジア初の冬季大会として開催された、1972年札幌五輪の開会式の記事を紹介します。

 72年2月3日に35カ国の選手団が参加し、真駒内屋外競技場で開会式が行われたことを伝えています。

 まず、現在の校閲記者の視点で記事を点検しましょう。

 見出しの「花やかに開幕」は今では「華やか」と書きます。

 絶え間ない音楽が会場の「ふん囲気」を盛りあげ、とあるのも「雰囲気」にしてもらいましょう。朝日新聞では原則として常用漢字表にある字で書き表すようにしているのですが、当時「雰」の字は当用漢字表(常用漢字表の前身)になかったため、「ふん囲気」としたのでしょう。「雰」はその後81年に常用漢字表に入りました。また、今の紙面では漢語の一部を仮名書きにする「交ぜ書き」はなるべく避けているため、「雰」が使えない字だったとしても、「雰囲気(ふんいき)」と読みをつけたり、全体をひらがなにしたりします。

 そして間違いではありませんが、詳しい内容に入る前の導入部分(前文)の1行の長さが途中で変わっているのも、今では見かけない紙面の組み方ですね。

 さて、記事には「いったん戦争でつぶれ、三十二年ぶりによみがえった大会だ」とあります。札幌大会は第5回の冬季大会として、夏季の東京大会と同じく1940年に開催されることが決まっていたのです(40年の幻の東京五輪については昨年10月15日公開の「あの手この手で初招致! 1940年幻の東京五輪」をご参照下さい)。このころは冬季大会が夏季五輪と同じ年に開かれていました。夏季五輪の中間年に行われるようになったのは94年のリレハンメル大会からです。

 当時のオリンピック憲章では、冬季大会について「夏季大会を開催する国にまず優先権がある」との規定がありました。36年に東京大会の開催が決定し、国内では「冬季大会も日本で」と力が入ったのですが、すんなりとはいきませんでした。

1937年6月11日付東京本社版夕刊1面拡大①冬季五輪の会場が札幌に「仮決定」された=1937年6月11日付東京本社版夕刊1面
 近代オリンピックは当初「アマチュア」だけが参加できることになっていましたが、国際オリンピック委員会(IOC)は、アルペンスキーでインストラクターをして生計を立てている選手を「プロ」と認定したので、有力選手が36年のガルミッシュパルテンキルヘン大会に出場できませんでした。その後、国際スキー連盟(FIS)とIOCの間でもめていたのです。また、冬季スポーツの後進国である日本に大会を開く能力があるのかが疑問視され、ノルウェーなどが自国での開催を強く主張したこともあり、議論になりました。

 冬季の会場が札幌に決まったのは、37年6月9日のIOC総会でした=記事①。実行困難だと判明した場合はノルウェーに譲るという条件付きで、「仮決定」の段階ではありましたが、「準備の事実で開催の可能を示せ」(6月11日付朝刊10面)と国内が盛り上がったことがうかがえます。

 そして翌年の3月にカイロで行われたIOC総会で、札幌開催が正式に決まったのです。

 しかしその間、37年7月7日に中国で盧溝橋事件が勃発。それを発端として日中戦争に突入し、五輪を取り巻く情勢は変わりつつありました。

 37年9月7日付の紙面には「オリンピック開催に政府は辞退の方針」という記事も載っています=記事②。軍事的な緊張が高まっている中での開催に国内外から反対の声が上がっていくのです。

1937年9月7日付東京本社版朝刊11面拡大②五輪開催を政府が辞退する方針だと報じる紙面=1937年9月7日付東京本社版朝刊11面

1938年7月15日付東京本社版朝刊8面拡大③1938年7月14日の厚生省議で中止の方針が決まったことを受けて、札幌大会の当事者側の様子を伝える記事。翌日の15日に閣議で開催権の返上を正式に決定した=38年7月15日付東京本社版朝刊8面
 結局、東京大会とともに札幌大会開催の返上が決まったのは、開催の正式決定からわずか4カ月後の38年7月15日のことでした=記事③

 

1966年4月27日付東京本社版号外1面拡大④冬季五輪の開催地が札幌に決まったことを報じる号外=1966年4月27日付東京本社版号外1面
 第2次世界大戦後には、64年の東京五輪が決まったことをきっかけに「札幌で冬季大会を」という動きが起きました。68年大会の招致には失敗しますが、めげずに再び立候補。そして72年大会の開催地に、みごと札幌が選ばれたのです=記事④

 「32年ぶり」の思いもつまった72年の札幌大会では、スキーの70メートル級ジャンプで笠谷幸生、金野昭次、青地清二の3選手が金・銀・銅を独占し、「日の丸飛行隊」と呼ばれて人々を歓喜させました。

 11日には葛西紀明選手がジャンプのワールドカップで最年長優勝を遂げるなど好調です。フィギュアスケートやスピードスケートなどにも有力選手がそろっています。今回のソチ五輪も日本選手の活躍に期待がかかりますね! 寝不足にならないよう気をつけつつ、応援しようと思います。


【現代風の記事にすると…】

白銀に聖火あかあか 札幌五輪 華やかに開幕

 第11回冬季オリンピック競技札幌大会が3日、開幕した。冬季大会がアジアで行われるのは初めてで、日中戦争の影響で開催が返上された1940年札幌大会から32年を経て、今大会が実現した。6競技35種目が14会場に分かれて行われる。35カ国から1655人の選手、役員が参加し、13日まで熱戦を繰り広げる。

 午前11時から札幌市の真駒内屋外競技場で開かれた開会式では、選手たちがオレンジ、赤、シックな黒、そして紺、白と各国のチームカラーの服装で行進した。フィールドやリンクが冬の日ざしを受けて青白く光る幻想的なムードの中、絶え間ない音楽が会場の雰囲気を盛り上げ、35カ国の国旗とオリンピック旗が世界の平和と友好を演出した。

(松本理恵子)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください