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昔の新聞点検隊

初めてなのに第8回? 1924年シャモニー冬季五輪

桑田 真

1924(大正13)年1月28日付東京朝日夕刊2面拡大1924(大正13)年1月28日付東京朝日夕刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

アルプスを背景に 凄絶なる選手の宣誓
第八回オリムピック大会 いよいよ始まる 重徳特派員シャモニー発

第八回オリムピック大会は二十五日モンブラン山麓のスタヂアムに於ける競技開場式に依って蓋を開けた、折柄の晴天にアルプスも姿を現し壮大な背景を形作ってゐる、斯くて盛大な入場式があり十八箇国の選手はアルハベット順に各国旗を

 誓する、此間男女約三百名の選手皆右手を挙げて同じく宣誓しモンブランの雄姿と相俟ち壮観であった、明日からスピードスケーティングが始まり白耳義、ラドビヤ、アストリヤ、諾威、瑞典、芬蘭、瑞西、加奈陀、英、仏、米、伊の十二箇国が参加する、世界的選手諾威のストーオンと芬蘭人サンバーグの出場は人気を惹いて居る

(1924〈大正13〉年1月28日付東京朝日夕刊2面)


【解説】

2010年2月13日付東京本社版夕刊1面拡大4年前の冬季五輪開会式の様子を伝える紙面=2010年2月13日付東京本社版夕刊1面
 ソチ冬季五輪の開幕まであとわずかとなりました。日本選手や世界のトップアスリートの活躍を見ようと、テレビにかじりつく人も多いことでしょう。ソチとの時差は5時間。寝不足の毎日が始まります。

 さて今回は、記念すべき第1回冬季五輪の開会式の記事を取り上げます。1924年に行われたシャモニー大会です。記事をみていきましょう。

 見出しで早速、ひっかかります。「第八回オリムピック大会」――? 実はシャモニー大会は、同年5~7月に開かれた第8回パリ夏季五輪の一部として行われました。翌25年に「第1回冬季五輪」として追認されたため、当時はこのような書き方になっているのです。せめて本文中には「冬季競技が始まった」ことを入れてもらいましょう。

 さらに「凄絶(せいぜつ)なる選手の宣誓」とありますが、凄絶は「たとえようもなくすさまじいようす」(三省堂国語辞典)という意味。現代の感覚ではプロレスやボクシングの死闘を想像してしまいます。アルプスの絶景に選手たちの行進が映えてすばらしい、ということを表現したかったようなので、「壮大」「壮観」といった言葉を見出しにとるよう提案してみます。また、記事本文で参加したのは「十八箇国」としていますが、これは16カ国の誤りです。国名が白耳義(ベルギー)、諾威(ノルウェー)、瑞典(スウェーデン)、芬蘭(フィンランド)と漢字で書かれているのも、時代を感じさせますね。

シャモニー五輪とソチ五輪の比較
1924年
第1回シャモニー
2014年
第22回ソチ
期間1月25日~2月5日2月6日~23日
参加国・地域16約100(82)
参加選手数258?(2,566)
日本選手113
実施競技・種目6競技16種目7競技98種目
IOC、JOCサイトから作成。( )内は10年バンクーバー大会
 五輪に冬季競技が初めて登場したのは、1908年の第4回ロンドン夏季大会でした。室内リンクができたため、10月にフィギュアスケートが行われています。20年の第7回アントワープ大会ではアイスホッケーも行われました。スキーやスケートの国際的な広がりを受け、フランスやイタリアなどが五輪の正式競技として採用するよう推す一方で、ノルウェー、スウェーデンなど北欧諸国は反対しました。ノルディックスキーを生んだノルウェーは当時、世界選手権にあたる大会を開いていたこともあり、五輪に組み込まれることに感情的な反発があったといいます。

 近代五輪の父と言われ、当時国際オリンピック委員会(IOC)会長だったクーベルタンも悩んだようです。ギリシャの古代五輪には冬季競技は存在せず、近代五輪にもふさわしくないという考え方がありました。また、天候や競技施設の問題があり、どこでも開催できるわけではありません。著書「オリンピックの回想」には「人工の氷はつくれても、雪をつくることも、さらに山をつくるに至ってはできることではない。……山脈を格安で買えとか、あるいは一定の規格でつくれと要求できるだろうか」と書いています。一方で、スケートやスキーを「オリンピック・プログラムから完全に除外しておくと、その大きな力と価値を奪うことにもなったろう」と振り返っています。

 結局、西欧諸国の声に押されてIOCは冬季競技実施へとかじを切ります。フランス五輪委などが主催する「冬季競技週間」をIOCが後援するという形で、シャモニー大会の開催が決まりました。

 アルプスの最高峰モンブランのふもとにあるシャモニーは、当時からスキーリゾートとして世界的に有名でした。フランスにはアルペンスキーの伝統があります。しかし、冬季競技をまとめて行うのは初めての試みです。様々な施設を、開催決定から開幕までの1年半ほどで造らなければなりませんでした。

 スケートリンクは、手作業で何度も水をまいてつくりました。ジャンプ台などスキーの施設は、開催に消極的だったノルウェーに、フランス大使が教えを請うたと言われています。選手や大会関係者、観客が泊まれるだけのホテルもなかったため、近くの町までバスや鉄道を通し、ケーブルカーも整備しました。

1924年3月16日付東京朝日夕刊1面拡大シャモニー五輪開会式の入場行進の様子。大会終了後の3月になって掲載された=1924年3月8日付東京朝日夕刊1面
 手探りの準備が実を結び、大会は成功を収めました。スキー(距離、ジャンプ、ノルディック複合)、スケート(フィギュア、スピード)、アイスホッケー、ボブスレー、カーリング、ミリタリーパトロール(バイアスロンの前身)の6競技16種目に、16カ国から258人が参加。「冬季五輪」に反対していた北欧諸国は、開催が決まると参加を表明し、その実力を見せつけました。

 記事の最後で「諾威のストーオン」として紹介されているのはノルウェーの名選手ストロムスタット(Thoralf Stromstad)だと思われますが、スキーで銀メダルを二つ獲得しています。ノルウェーはスキー4種目の金メダルを独占しました。「芬蘭人サンバーグ」はツンベルグ(Clas Thunberg)で、スピードスケート男子の5種目で金メダル三つ、銀、銅を一つずつ獲得するという圧倒的な成績を残しています。スウェーデンもフィギュアスケート男子で優勝しました。

1924年3月16日付東京朝日夕刊1面拡大シャモニー五輪のフィギュアスケートの様子=1924年3月16日付東京朝日夕刊1面
 クーベルタンは「この雪に包まれた前座競技はどんな観点から見ても成功した」「スカンジナビアの優秀選手が表彰されて過去の怨恨(えんこん)を和らげ、彼らの偏見をなだめた」(「オリンピックの回想」)と胸をなでおろしたようです。クーベルタンはIOC会長を約30年にわたって務めましたが、任期中で最後にあったのがこのシャモニー冬季五輪とパリ夏季五輪で、ともに成功を収めて有終の美を飾りました。

 ちなみに日本は、前年の関東大震災の影響もあり選手を派遣しませんでした。28年の第2回サンモリッツ大会で初めて、スキーに6選手が出場。メダル第1号は、56年の第7回コルティナダンペッツォ大会のスキー男子回転で2位になった猪谷千春でした。


【現代風の記事にすると…】

シャモニー冬季五輪開幕
壮大なアルプスに300人の選手が行進

 第8回オリンピックの冬季競技の開会式が25日、フランスのシャモニーであった。晴天に恵まれたため、アルプスが姿を現し壮大な背景を形づくった。

 開会式は盛大に行われた。出場16カ国の選手は各国の旗を掲げ、アルファベット順に入場した。男女合わせて約300人の選手が右手を上げて宣誓し、モンブランの雄姿と一体になって壮観だった。

 26日からスピードスケートが始まり、ベルギー、ラトビア、オーストリア、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、スイス、カナダ、英、仏、米、伊の12カ国が参加する。

 今大会の参加選手では、スキーのストロムスタット(ノルウェー)とスピードスケートのツンベルグ(フィンランド)が人気を集めている。

(シャモニー=重徳来助)


(桑田真)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

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