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昔の新聞点検隊

都心の大雪、幅をきかす雪だるま

上田 孝嗣

1936(昭和11)年2月5日東京朝日付録2面拡大1936(昭和11)年2月5日東京朝日付録2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

人も車も凍りつく 劇場は避難の宿 雪禍の帝都縦断記

雪の帝都の夜は何のことはない「灯火管制の夜」そのままである、数寄屋橋から午後八時頃自動車を出して品川の方に向って見ると途中の大半は停電で真暗だ、事故を起すのが怖いのか品川までに遇った自動車の数は驚く勿れたった三台、品川の駅には何やらえらい人だかりだ、入って聞いて見るとたかってゐるのではない、山手外廻り線が僅二十分前に開通したので乗り切れないでうごめいてゐるラッシュアワー名残りなのである、その中に混って真白な寒詣での衣裳が数十組ぼやぼや歩いてゐる、掲示板を見ると「成田行豆撒列車運転中止」「○○行中止」 環状線をぐるっと廻って五反田から目黒に出ると吹雪は益々猛烈だ エンコしてゐるトラック円タクの数は無数だが満足に走ってゐる車は殆どない、その中をお祖母さんを背負ひ乍ら歩いてゐる孝行息子もある

郊外電車の踏切を横切ると何処もレールは深く雪に埋まって此処数時間は上りも下りも通過した模様はない、新宿附近では京王電車がヅラリとならんで中ではお客が悠暢に居睡りしてゐる

市電は至るところで棺桶のやうに真黒な列を作って停ってゐる どこにもここにも三町五町の長い列を作ってひっそりと静まり返ってゐるのは気味が悪い位だ

円タクは何処でも大変な値段、車をこはしてはならずと尻ごみした車が約三分の二にも上ってゐるであらうから勇敢に雪の街に飛び出した車が安からう筈もないわけだが、午後八時には丸之内から目黒まで五円、午後十時には歌舞伎座から新宿まで吹きも吹いたり金十円也

猛烈な吹雪を衝いて午後十時渋谷から目黒大橋附近に至ると、往来の両側にはバスやら乗用自動車が雪達磨のやうになって幾台もエンコしてゐる、勇敢な円タクはそれを押分けて進まうとするが先がつかへて動かず、マゴマゴしてゐるうちに自分もまた凍りついてしまふ、何の事はない蠅取紙に吸ひつけられる蠅のやう

午後十時の銀座はまるで廃墟のやうだ、大カフェーの灯だけがどうした加減か矢鱈に明るく光ってゐるが、飲食店も店舗も総て店を閉めて電気を消して……雪見酒としゃれた連中が円タクも拾へずに暗い夜道をやけくそにどなって歩いてゐる

何処を廻っても近頃の雪で見たこともない様な大きな雪ダルマが幅をきかしてゐる、桜田本郷町通りは恰も雪ダルマ競演。新橋から虎ノ門にかけて大きなダルマがつながってゐる、スキー、スケートのにはか流行もさることながら久方振りでどこにも雪投げ風景

豆撒きがまた大変な人出でなくて「人出ず」で九時頃の出盛り時が目黒不動が二三〇〇、護国寺一二〇〇、浅草観音六〇〇、水天宮六〇〇、増上寺四〇〇、本門寺四〇〇(警視庁調査)といふ、大吹雪と共にかつてないことだ

(1936〈昭和11〉年2月5日東京朝日付録2面)

【解説】

2月8日午後7時ごろ、東京・五反田拡大暴風を伴った大雪に見舞われた東京の街=2月8日午後7時ごろ、東京・五反田
 8~9日と14~15日、発達した低気圧の影響で各地で強風を伴った雪が降りました。東京都心ではいずれも積雪27センチを記録し、1969(昭和44)年3月以来の大雪となりました。JRや私鉄ダイヤの運休・遅れ、国内航空便の欠航が相次ぐなど交通機関が大きく乱れました。

 今回ご紹介するのは1936(昭和11)年2月4日の強風を伴う大雪の記事です。この時は、急速に発達した自動車、鉄道などの近代的な交通網が49年ぶりの大雪で寸断され、大混乱しました。この時の様子については昨年11月12日更新の「東京に28センチの大雪!? 交通網寸断で大混乱」でもご紹介していますが、今回は大雪で混乱する都心の様子を生々しくルポした記事を取りあげます。

 まず、今の校閲記者の視点から点検してみましょう。

 京王電車の中で「お客が悠暢(ゆうちょう)に居睡(いねむ)りしてゐる」。雪で電車が止まり、やむなく車内にいる人たちを「悠暢に居睡り」とは失礼な。今なら「客が仮眠している」などと客観的な表現にします。立ち往生している車を「蠅(はえ)取紙に吸ひつけられる蠅のやう」というのも今の新聞では考えられない表現です。その前の文で車が立ち往生している状況は分かるので、よけいな比喩は抜きましょう。

 細かいことですが、「雪達磨」「雪ダルマ」と表記がばらけているのも、どちらかにそろえます。末尾に各地の節分の豆まきの人出が列挙されていますが、二三〇〇「人」などと単位を入れましょう。

 節分の豆まきは当時は2月4日にやっていました。「節分」は立春の前日のこと。立春は地球からみた太陽の動きによって決まります。ここ30年近くは毎年2月4日(節分は3日)ですが、当時は2月5日でした。

1936年2月5日付東京朝日付録2面拡大ルポと同じ面に劇場に徹夜で足止めされた人たちの写真も。上は歌舞伎座、右下は日比谷の映画館=1936年2月5日付東京朝日付録2面
 指摘はこのぐらいにして記事に戻りましょう。

 有楽町の数寄屋橋から出発した記者は、品川、五反田、目黒、新宿、渋谷、銀座を巡っています。有楽町から品川まで出会った車は3台。時間と共に道路事情も悪くなる一方だったようです。品川駅は列車の遅れや運休が出るなか、帰宅を急ぐ通勤客らで大混雑。やっと動いた山手線に乗れなかった乗客が駅構内にあふれています。その人込みの中に、真っ白な衣装で寒中の30日間に神仏にお参りする「寒詣で(寒参り)」の人々の姿もありました。

 記事に出て来る「円タク」は当時のタクシーです。東京のタクシーは1912(大正元)年に始まりました(東京ハイヤー・タクシー協会)。都心の一定地域を運賃1円で運行していたので「一円タクシー」と呼ばれていました。大雪でも一部の円タクがたくましく活動しています。丸の内―目黒を5円、歌舞伎座―新宿を10円という値段をふっかける円タクもあり、それでも乗る客はいたようです。ただ、客を乗せて走ろうとしても、エンジン故障で止まっている車が前につかえて先へ進めず、自分の車まで立ち往生してしまい、そこに雪が降り積もって雪だるまになってしまった円タクもあったようです。

 五反田から目黒へ向かう頃には、エンジントラブルで動かなくなった自動車やトラックや円タクばかりが目につき、走っている車はほとんどありません。私鉄電車も東京市電も動かなくなり、移動できない乗客らが車内で足止めされています。歌舞伎座や日比谷の映画館では足止めされた観覧客らがそのまま劇場で一夜をすごすことになり、この記事と同じページに写真が掲載されています。

1927年2月6日付東京朝日朝刊3面拡大上野公園でスキーをする人たち=1927年2月6日付東京朝日朝刊3面
 午後10時の銀座は人通りが絶え、通常はこの時間でも営業している飲食店もほぼ閉店していました。この日は節分の豆まきの日でしたが、人出はかつてなく少なかったと伝えています。

 新橋から虎ノ門では、ほほ笑ましい風景が見られます。雪投げに興じたり、スキーやスケートをしたりする人もいたようです。雪の都心でスキーをする人はそれ以前からいたようで、1927(昭和2)年の雪の時には上野公園でスキーをする人の写真が載っています。

 

犬の形の雪だるま拡大これも雪だるま? 犬の形でフリスビーをくわえています(左)=2月9日、東京都西東京市
 この新橋―虎ノ門に限らず、「何処(どこ)を廻(まわ)っても近頃の雪で見たこともない様な大きな雪ダルマが幅をきかして」いました。そういえば先日の大雪の後も、あちこちに大小様々な雪だるまが出現しました。雪が積もると童心にかえって雪だるまを作ってしまうのは、昔も今も変わりませんね。

 今回の大雪ではいまだに雪の中で孤立する集落があるなど、甚大な被害が出ています。一日も早く交通網が復旧し、日常生活が戻ることを願ってやみません。


【現代風の記事にすると…】

人も車も凍りつく 劇場は避難の宿に 大雪の都内ルポ

 大雪の都内の夜は「灯火管制」でもされたような有り様である。有楽町の数寄屋橋から午後8時頃、自動車を出して品川に向かうと、道行く街の大半は停電で真っ暗だ。事故を起こすのが怖いのか、品川までに行きあった自動車の数は3台だけだった。

 品川駅には人だかりができていた。入って聞いてみると、山手線外回りが20分前に再開したばかりで、乗り切れない客があふれているという。ラッシュアワーのような混雑だった。その中には真っ白な寒参りの衣装の数十組も歩いている。

 駅の掲示板を見ると「成田行き豆撒き列車は運転中止」「○○行き中止」など運行停止のお知らせが出ていた。自動車で環状線をぐるっと回って五反田から目黒に出ると吹雪はますます猛烈になった。トラックや一円タクシー(円タク)の数は無数だが、エンジン故障などで満足に走っている車はほとんどない。そんな大雪の中を年配の女性を背負って歩いている男性もいた。

 郊外行きの電車の踏切を横切るとどこもレールは深く雪に埋まり、ここ数時間は上り下りとも電車が通過した様子はない。新宿付近では、京王電車がずらりと並び、中では足止めされた客が仮眠していた。市電はあちこちで300~500メートルの長い列を作って止まっている。ひっそりと静まりかえっていて気味が悪いくらいだ。

 円タクはどこでも大変な値段になっていた。大事な車を壊してはならないと尻込みした車が3分の2にも上っているようだ。通常東京市内の乗車賃は1円だが、午後8時には丸の内―目黒で5円、午後10時には銀座・歌舞伎座―新宿で10円とふっかける車もあった。

 猛烈な吹雪をついて午後10時、渋谷から目黒大橋付近に至ると、道の両側には何台ものバスや乗用車が雪だるまのようになってエンジン故障で立ち往生していた。円タクはそれを押し分けて進もうとするが、先がつかえてしまい、そのうちに凍りついて動けなくなっていた。

 午後10時の銀座はまるで廃虚のようだった。ほとんどの店は閉め、電気も消していた。雪見酒をしていた人たちは、円タクを拾えずに夜道を歩いていた。

 どこを回っても大きな雪だるまが幅をきかしている。西新橋の通りはあたかも雪だるまの競演会場。新橋から虎ノ門にかけても大きなだるまが連なっていた。スキー、スケートをする人もあり、雪投げに興じる人たちも。

 4日は節分の豆まきも各地で行われたが、かつてなく人出が少なかった。警視庁の調べでは一番混雑する夜9時ごろでも、目黒不動尊で2300人、護国寺で1200人、浅草観音で600人、水天宮で600人、増上寺400人、本門寺400人だった。

(上田孝嗣)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください