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昔の新聞点検隊

1935〈昭和10〉年4月7日付東京朝日朝刊11面拡大1935〈昭和10〉年4月7日付東京朝日朝刊11面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

古槍かつぎ出し 隅田川で鯨退治 貸舟屋さん大活躍

荒川放水路に去る三日以来しばしば鯨が現れるといふので、川沿ひに住む人々は大騒ぎをしてゐたが六日朝十時頃王子区岩淵町●ノ●●●貸舟店小田屋■■杢太郎長男助次君(二二)がいつものやうに自宅付近の荒川放水路岩淵水門傍で春の長閑な陽を浴びながら貸ボートの番をしてゐると、予て噂の騒がしい鯨と見える怪物が流れを遡って行くのを目撃した、腕自慢の同君がこの怪物を仕止めようと自宅に駆戻って天明以来同家に伝る七尺の古槍を持ち出し、小伝馬船を漕ぐ手遅しと件の怪物に近づきエイッと計りに頭部を一突(中略)、その時は惜しや水底深く逃げられたが、六時間後の夕刻再び現れたのを待って今度は近所の友達六、七人の手を借り小伝馬船五隻で怪物を包囲し遂に捕獲した、噂の鯨、捕って見ると果してごんどう鯨で長さ七尺余卅貫もある珍物だった、沿岸大評判、大騒ぎ、喜んだ同店では自宅傍ボート倉庫に担ぎ込んで七日朝から大人五銭、子供三銭の見世物にすることになった ごんどう鯨が荒川放水路で捕獲されたことについて農林省水産試験場水野理学士は語る

ごんどう鯨は時々銚子海岸あたりに寄って来ることがあるが、荒川放水路に入って来たことは未だ聞いたことがない、推定するに荒川の上流からの真水の流れが少なく海が暴れでもして上潮とともに沿岸に寄って来たのが遡っていったものと思ふが、あんなに濁ったところによく入って行ったものだ、兎に角珍らしいことだ【写真はその鯨】

(1935〈昭和10〉年4月7日付東京朝日朝刊11面)


【解説】

 国際司法裁判所(ICJ)で先月31日、南極海での日本の調査捕鯨に中止命令が出されました。鯨食文化のある日本では驚きをもって報じられました。40代以上の昭和世代には給食の竜田揚げやお弁当の塩鯨などでなじみ深いものですが、最近は幻の味になりつつあるようです。

 今回は、東京都内で鯨が捕まった記事を取り上げます。1935(昭和10)年の記事は隅田川でゴンドウクジラ1頭が捕獲されたことを伝えています。記事を今の校閲記者の視点からいくつか直していきましょう。

 まず、記事の見出しの「隅田川」ですが、本文を読んでいくと荒川以外に河川は一字も出て来ません。

 現在の隅田川はもともと荒川の本流でした。その名の通りたびたび洪水を引き起こした「荒川」は、江戸時代になると浅草近辺を「浅草川」「隅田川」の俗称で呼ばれるようになります。1910(明治43)年の関東大水害では関東平野が水浸しになり、関東地方で死者769人、行方不明78人の被害が出ました。これを契機に荒川放水路が開削され、1930(昭和5)年に完成しました。その後、65(昭和40)年に放水路を荒川、岩淵水門からの旧本流下流部を隅田川と正式に改称しました。荒川に接していないのに東京都「荒川」区という名になっているのは、32(昭和7)年の誕生当時は同区北東部を流れる隅田川が荒川という名だったためです。

 「隅田川」の見出しに戻ると、この記事では荒川(現在の隅田川)ではなく、荒川放水路(現在の荒川)を「隅田川」としています。放水路もひっくるめて「隅田川」と呼んでいたのかもしれませんが、見出しをつけた記者に「『荒川』でなくていいのか」と念押ししたいところです。

 隣の見出し「貸舟屋さん」は、水運が発達していた江戸時代からあり、船頭さん付きの猪牙舟(ちょきぶね)や運送用の伝馬舟などの貸舟の専門業者です。記事の最後には識者のコメントがあります。水野さんのお名前は今ならフルネームで書きます。水野さんの肩書は「理学士」。「学士」は大学を卒業するともらえる学位。大学に進む人が多くなった今では、紙面でほとんど見なくなりました。

 荒川放水路に迷い込んだゴンドウクジラですが、怪物扱いは可哀想な気もします。ただ、「鯨寄る浦」と言えば辺境の地を意味するように、当時の人は鯨を直接見る機会もあまりなく、大型の海洋生物はまさに怪物だったようです。

 ゴンドウクジラは成長すると体長6メートルにもなり、群れを作るそうです。荒川の鯨は「長さ七尺」とあるので、2メートル強。群れからはぐれた子どもだったのかもしれません。

 荒川(今の隅田川)には1910年にも迷子の鯨が現れています。子鯨だったようですが「千住大橋に怪物が出る」と評判になり、大勢の人が初めて見る鯨の子どもに驚いたそうです。捕獲され、その亡きがらは見世物小屋に引き取られました。その後「迷子鯨」の墓をたてて供養したという話も残っています。

鯨の刺し身拡大鯨の刺し身
 貸舟屋さんもこれにならったのか、鯨を見せ物にしています。1935年は東京の桜の満開日が4月8日でしたので花見客を見込んだのでしょう。

 実物はあまり見たことはなくても鯨は、塩蔵の肉や皮が食用として江戸時代から知られていました。今でもお酒好きには赤肉、尾の身(尾肉)、本皮、さえずり(舌)、ベーコンなどは珍味とされています。関西地方には鯨肉と水菜のはりはり鍋、東北地方では各地にお国自慢の「鯨汁」があります。北海道・道南地方では正月に野菜たっぷりの鯨汁を食べる習慣があります。

鯨の竜田揚げ拡大鯨の竜田揚げ
 「鯨一匹捕れば七浦潤う」というのは、肉は食用、油は灯油、骨粉は肥料、ひげは人形浄瑠璃文楽など工芸品のバネと廃棄するものがなく利益が大きいことから来ることわざです。2003年にユネスコの無形遺産(現在は無形文化遺産)に選ばれた文楽ですが、文楽人形にはセミクジラのひげが重要だそうです。そのセミクジラは絶滅危惧種で捕獲禁止になりました。

 ICJの中止命令は、北西太平洋の調査捕鯨や日本の沿岸小型捕鯨は対象ではないのですが、捕鯨に対する世界からの視線が厳しいことに変わりはありません。文化は一度失われると元には戻りませんが、国際的な理解を得ないまま捕鯨を続けるのも難しいでしょう。

 捕鯨が今後どうなるのか、日本や各国の動向を注視していきたいと思います。


【現代風の記事にすると…】

古槍担ぎ出し 荒川で鯨捕獲 貸舟屋さん大活躍

 荒川放水路に3日以来、しばしば鯨が現れ、川沿いでは大騒ぎをしていたが6日、王子区岩淵町の貸舟店小田屋の■■助次さん(22)と友人らが、岩淵水門近くでゴンドウクジラ1頭を捕獲した。

 ■■さんは同日午前10時ごろ、いつものように自宅近くの岩淵水門そばで春ののんびりとした日を浴びながら貸舟の番をしていると、かねて騒がれている鯨と見える生き物が川をさかのぼって行くのを目撃。腕自慢の■■さんがこの生き物を仕留めようと自宅に駆け戻って天明年間(1781~89)から■■家に伝わる約2メートルの古い槍(やり)を持ち出して、木造の和舟をこぎながら近づき、エイッとばかりに頭部を一突きした。この時は逃げられ、6時間後の夕刻、再び現れたため今度は近所の友人6、7人の手を借りて、舟5隻で包囲してついに捕獲した。捕ってみるとゴンドウクジラで、体長2メートル超、体重110キロ以上だった。

 荒川沿岸ではこの捕獲騒ぎが大評判で、小田屋では自宅傍らの舟倉庫に鯨を担ぎ込んで7日朝から大人5銭、子供3銭の見せ物にすることになった。

 ゴンドウクジラが荒川放水路で捕獲されたことについて農林省水産試験場の水野○○理学士は「ゴンドウクジラは時々、銚子海岸辺りに近づくことがあるが、荒川放水路に入って来たなんて聞いたことがない。荒川の上流から真水の流れが少なく、海が荒れて上げ潮とともに沿岸に来たのがさかのぼったのだろう。あんなに濁ったところによく入っていったものだ。とにかく珍しい」と語る。

(上田孝嗣)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください