昔の新聞点検隊
(2014/05/27)
●燁子と伝ねむ
▽花聟は福岡の炭坑持
▽花嫁は柳原伯爵の妹
日本橋区数寄屋町の旅宿島屋へ本月八日より投宿して、二階一番の大座敷十二畳と六畳の二室を占領し、係の女中や出入の車夫連中より「九州の炭坑王」とか「福岡のお大尽」とか取沙汰さるる一人の老紳士あり、宿帳には福岡県嘉穂郡大谷村
鉱業伊藤伝右衛門
五十二歳とのみ記しあれど、齢の割には角刈の頭髪未だ黒く、何う見ても四十五六歳としか受取れず、別に多忙しい商用も無い風なるに、この老紳士近来少しも落付ず、毎日々々諸所へ出歩き、何かに付てソワソワして居るは不思議、と齢若き係の女中お清が目を円うしたるも道理、来廿二日の黄道吉日を択んで、天照皇太神宮も照覧あれ、日比谷は太神宮の御前に於て、大納言資明の後裔柳原前光卿の一女、現貴族院議員従四位勲四等伯爵柳原義光氏の異母妹、燁子姫(二十七)と華燭の典を挙ぐる当の花聟とこそ知られたれ(以下略)
(1911〈明治44〉年2月20日付東京朝日朝刊5面)
【解説】
「ごきげんよう」
毎朝、このやわらかい響きのあいさつを耳にして一日が始まるという方も多いでしょう。NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」が好評放送中です。
主人公はな(演じるのは吉高由里子さん)のモデルは、ご存じ「赤毛のアン」や「若草物語」といった外国文学を翻訳し、日本に紹介した村岡花子さんです。ドラマでは先日、はなが女学校を卒業して新たな一歩を踏み出しましたが、女学校編で、ひときわ大きな存在感を放っていた「蓮(れん)さま」こと葉山蓮子(仲間由紀恵さん)も、実在の女性がモデルとなっています。伯爵家に生まれ、10代で結婚したものの離婚して女学校に通い、九州の炭鉱王と再婚した柳原燁子(あきこ)さん、のちに歌人・柳原白蓮(びゃくれん)として知られる女性です。
ドラマではいったん別れた2人ですが、実際の花子さんと燁子さんは生涯にわたり厚い友情で結ばれていたといいます。燁子さんにも波乱の人生が待っていて、再婚から10年後、朝日新聞も大きく報じることになる大事件が起こります。きっと今後ドラマでも描かれることでしょう。放送をお楽しみに。
今回は、放送前半のヤマ場となった蓮子、いえ柳原燁子さんの再婚当時の記事を探してみました。ドラマでは、落ちぶれた実家の伯爵家を救うために富豪の炭鉱王との縁談を承諾した、とされましたが、当時の新聞はこの結婚をどんなふうに書いたのでしょうか。
1911(明治44)年2月20日の紙面です。注目を集める出来事だったのでしょう、22日の結婚式を前に、この日から3日間の連載で2人の話題を続けて載せています。
話は日本橋の宿に泊まる謎の「老紳士」は何者か、というところから始まります。毎日あちこちに出かけて不思議に思われていたが、実は九州有数の炭鉱主で、柳原義光伯爵の妹・燁子さんの再婚相手であることが分かった、と報じています。
校閲の目で読み進めていきますと、まず見出しと本文4行目の「炭坑」。今の朝日新聞では、「炭坑」は「石炭を掘る穴」、それに対し「炭鉱」は「石炭を採掘する場所」と使い分けています。歌の「炭坑節」や、坑道そのものの意味で使う場合以外は「炭鉱」を使うので、こちらに直してもらいます。
次に目につくのは、宿の大座敷2室を「占領し」。伝右衛門氏に好意的でない姿勢が記事全体ににじんでいますが、読者の興味に応えるとはいっても、表現はやはり中立的に。淡々と「貸し切りで利用し」ぐらいでどうでしょう、と提案してみます。
そのほか、記事の見出しに「花聟(はなむこ)」「花嫁」とはあるものの、前から読んでもなかなか伝右衛門氏が燁子さんと結婚するという本題が出てきません。こんな記事をいま書いたら、きっとデスクに大幅な書き直しを命じられるでしょう。紙幅に限りのある新聞では、重要なことから先に書くのが大原則。そうしておくと、他のニュースがたくさんあるときや、後から飛び込んでくる記事を入れるときに、記事の後ろをどんどん削っても大丈夫、というわけです。ただ、普通はこんなことまで校閲からは指摘しませんけれど。
この連載1回目は、東京で名の知れた名家の燁子さんに対し、「伝右衛門氏って誰?」の疑問に応え、人物像を紹介する記事となっています。「当時の記事」では略しましたが、その先も読み進めてみましょう。
宿の女中たちからの情報でしょうか、「得意になって饒舌(しゃべ)り散し」たとされる伝右衛門氏。文章の端々に多少の悪意が感じられるのが、いまの紙面とは違いますね。さらに読み進めていくと、「皇太子殿下のご生母柳原愛子の方は、義光伯の叔母君に当り、新妻燁子は……柳原典侍の姪(めい)たるに於て」。大正天皇(当時の皇太子)の生母(柳原愛子さん=柳原典侍)の兄が白蓮の父・前光氏。つまり大正天皇と燁子さんはいとこに当たる関係です。「九州の炭掘(すみほり)男も……申すも畏(おそ)れ多き事ながら、皇室と斯(かか)る関係ある女を娶(めと)るは、一身の光栄之に過ぎず」と、誇らしげに、饒舌(じょうぜつ)に語るのも無理はありません。
かくいう伝右衛門氏は、いったいどんな人物だったのでしょう。
父親の伝六氏は魚の行商人、伝右衛門氏自身も石炭運びの船頭をするなど「名も無き一介の労働者」でしたが、炭鉱経営者となって事業を拡大。燁子さんと結婚するころには、「九州の一角に『伝ねむ』あり」(九州では親しみを込めて「伝ねむ」と呼ばれました)と言われ、このころ、九州で4番目の炭鉱持ちであったと書かれています。伝右衛門氏の上に名前の挙がっているのは貝島太助、安川敬一郎、麻生太吉の3氏です。
安川氏は安川電機の前身などを創業し、安川財閥の祖となりました。麻生太吉氏は現在の麻生セメントにつながる……というより麻生太郎元首相の曽祖父であることのほうが有名ですね。貝島氏らは当時、石炭で財を成した「筑豊御三家」と呼ばれていました。伝右衛門氏も事業の急成長で彼らに次ぐ富豪となり、衆議院議員も2期務めました。
そんな伝右衛門氏のイメージが広まったのでしょうか、記事には「柳原家に結納として金二万円を贈り」、仲人たちにも謝礼に「金一万円を贈り、漸(ようや)く此度の結婚御許可になれり」とあります。ちなみに当時、小学校教師の初任給が12円。2万円は現在だと2億円に相当すると言われています。ただ、記事では「……など取り沙汰するものさへ出づるに至れり」と続いていて、うわさの真偽は定かでありません。
ドラマでも、蓮子が、没落した実家の兄から、「家を助けてくれ」と頼み込まれて縁談を承諾する場面がありました。また、はなが蓮子の結婚を翻意させようと「そんなのお金で買われていくのと同じじゃない!」と必死で叫んだシーンもありました。実際には果たしてどうだったのでしょうか。
翌日の新聞連載2回目では、この結婚に対する人々の声を載せています。成り上がりが金にものを言わせて華族のお姫様との縁談をまとめた、とのイメージを持たれた伝右衛門氏への厳しい意見が目立ちます。
「伝ねむに同情する若干の連中」は、「血も涙もない守銭奴と言われるが、人格もある。大金を出して建てた女学校は、郡立と名のつくものの実質的には一個人の費用で経営しており、立派なことだ」。伝右衛門氏が全額出資して創立したこの嘉穂郡立技芸女学校は、今の福岡県立嘉穂東高校へと歴史が続いています。
ちなみに伝右衛門氏はこの後、1915年にも、育英事業に私財を寄付したとして「富豪の美挙」が記事になっています。このときは、伝右衛門氏の申し出た20万円の寄付をもとに、福岡県内外の出身を問わず、選抜された学生に奨学金を全額支給すると紹介されています。先述の安川氏も、創立した専門学校が現在の九州工業大学に受け継がれているなど、炭鉱王たちは人材育成や社会貢献にも熱心でした。
しかし、金持ちが良いことをしても、普通の人にはなかなか評価されにくかったのでしょうか。多数派は、「人間として何の取りえもなくても、200万円ほどの財産をもてば名門との縁組ができるのだという事実を、天下の青年子女はどう思うか」と世間への悪影響を強調し、新しい産業で巨万の富を得た実業家への拒否反応をあらわにします。
およそ100年前のこの時代、男女の結婚にあたって家柄の釣り合いを重視する度合いは、今からは想像もできないくらい厳格なものだったのでしょう。「家柄人柄教育財産すべて釣り合わぬ」と非難の大合唱だったようです。
しかも大富豪の伝右衛門氏には、九州に、身請けした芸者ら愛人の女性たちがいたことまで事細かに書き立てられています。「伝ねむ氏は九州なる外妾(がいしょう)一切を関係を断ち、唯一人の燁子姫を又(また)無き後妻として愛しむ由」、誓ったとあります。
新聞連載の3回目では伝右衛門氏に直撃取材しています。「結納金二万円」などのうわさについてどう答えたでしょうか。6月10日更新の記事でご紹介します。
【現代風の記事にすると…】
●燁子さんと「伝ねむ」さん
来る22日に東京・日比谷の大神宮で貴族院議員の柳原義光伯爵の妹、燁子さん(27)と結婚式を挙げる福岡県嘉穂郡の炭鉱業・伊藤伝衛門さんが、8日から東京・日本橋の旅館「島屋」に泊まっていることが分かった。
伊藤さんは2階で一番大きな座敷である12畳と6畳の2部屋を貸し切りで利用し、従業員や出入りの車引きたちから「九州の炭鉱王」「福岡のお大尽」などと呼ばれている。宿帳には「52歳」と記しているが、角刈りの髪は黒々として45~46歳にしか見えない。事情を知らない宿の従業員らは「忙しい商用もないようなのに毎日どこかへ出歩き、何かにつけてそわそわしているのはなぜだろう」と不審がっていたが、それもそのはず、結婚式を間近に控えた花婿だった。
(薬師知美)
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください