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昔の新聞点検隊

猛暑の海水浴、湘南は大混雑

加勢 健一

1929(昭和4)年8月5日付 東京朝日新聞朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1929(昭和4)年8月5日付 東京朝日新聞朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

泳ぐ場所もない
すし詰の海水浴場
出たわ出たわ七十万の都人士連
迷ひ児が九十六名

四日は八月に入って第一の日曜日、カラリと晴れた夏空に、暴君さながらの烈々たる真夏の太陽がおごりを極めた申分のない海水日和、早朝から海へ海への人の群は、停車場といふ停車場へ殺到し、我勝ちに乗込まうとする物すごい光景は鉄道省を喜ばせ、電鉄会社をほくそ笑ませたが、文字通りにすし詰めにされて運ばれた先でも、人また人で折角水着の軽装に着かへても泳ぐに所なく僅かにジャブジャブやる位が関の山、逗子の「海の家」は午前七時といふに早くも満員締切り、大森、羽田辺の海水浴場で客止めの札をかけた所も少くなく各地とも迷子続出といふ騒ぎだった、この日帝都より海辺に排出された人の数は内輪に見積っても七十万、連日の暑さに海恋しのこのばく大な群衆が、運びだされた先は?

(1929〈昭和4〉年8月5日付 東京朝日新聞朝刊7面)

 
【解説】

 海水浴シーズンを迎え、海辺はにぎわいを増しています。降りそそぐ太陽の光が人々を開放的にさせる一方、新聞づくりに日々携わる身としては、熱中症など酷暑による被害のほうも気になる季節です。

 クーラーという「文明の利器」をうまく活用すれば、快適な夏が過ごせる現代ですが、ひと昔前は夏の暑さをいかにしのぐかが切実な問題でした。今回は、涼を求めて海に殺到した人々の様子を伝える昭和初期の記事をご紹介します。

 まずは校閲者の視点から。見出しの「すし詰の」という表現が、混雑のすさまじさを感覚的に伝えています。ただ記事には「すし詰め」とあってばらついているので、見出しに「め」と送りがなを振ってそろえましょう。また、見出しに「迷い児」とあるのに、記事は「迷子」。これも「迷子」に統一を。

 「小春日和」「行楽日和」はありますが、「海水日和」とは言わないはず。やはり「海水浴日和」がしっくりきます。

 さらに「客止めの札をかけた所も少くなく」とあるのは「すくなく」なのか「すくなくなく」なのか、一瞬迷います。現代では「少なくなく」と表記する決まりです。

 「内輪に見積っても」のくだりでは、「積」に「つみ」とルビが振ってあります。これは「つも」の誤記でしょう。

 さて、海水浴と言えば夏のレジャーの代表ですが、歴史をさかのぼると、病気の治療や健康増進のための「医療行為」として推奨されたのが始まりというから意外です。明治時代に陸軍の初代軍医総監を務めた松本順は「海水浴法概説」という著書で、海水浴の方法を詳しく説明しています。冒頭で「海水浴はよく疾病を治するのみにあらずして、健康の人体をもさらにますます健康ならしむるものなり」と、その効用をうたっています。

 明治の初め、居留地の外国人や日本人の富裕層は、横浜近郊の富岡(現在の横浜市金沢区)などの水辺を海水浴場として利用していました。その後、東海道線と横須賀線の開通で神奈川県の湘南方面へのアクセスが向上。大磯から鎌倉、逗子あたりで海水浴を楽しむことが、庶民の間にも夏の行楽として急速に普及していったのです。

①海の人気と貸別荘の繁盛ぶりを紹介する記事=1915年7月17日付東京朝日新聞朝刊5面拡大①海の人気と貸別荘の繁盛ぶりを紹介する記事=1915年7月17日付東京朝日新聞朝刊5面

②冒頭の記事は、特大の写真を使って大きく報道された=1929年8月5日付東京朝日新聞朝刊7面拡大②冒頭の記事は、特大の写真を使って大きく報道された=1929年8月5日付東京朝日新聞朝刊7面
 今から100年前、朝日新聞で夏目漱石の小説「こころ」の連載が始まりましたが、作中の「私」と「先生」が知り合ったのは鎌倉の海岸でした。当時の記事は、夏の鎌倉を取り上げて「一年中の儲時(もうけどき)」と題し、「夏休みを控へた鎌倉の景気はすばらしいものである。貸別荘や貸間がズンズンと塞がり、気の早い向(むき)は五六月頃から予約をして置いたのもある」として、海の人気と貸別荘の繁盛ぶりを紹介しています=画像①

 冒頭の1929(昭和4)年の紙面では、新聞の上段に特大写真を掲載し、逗子海岸の異様な混雑を報じています=画像②。いわく「全くいもを洗ふやうな混雑で砂浜に横臥(おうが)することも出来ない位だった」。

③逗子海岸は今年も全国一早い海開きだった=2014年6月27日付東京本社版夕刊14面拡大③逗子海岸は今年も全国一早い海開きだった=2014年6月27日付東京本社版夕刊14面
 確かに写真を見ると、波打ち際は泳ぐスペースもないほどの人だかりです。紙面右端の縦長の写真には「迷子アリ」と書かれた大きなのぼりが。この日、各海岸で合わせて96人が迷子になったそうです。逗子海岸では「余りにごった返したので一度親に引渡した子供が再び迷子になって居るなどの悲喜劇があり」といい、混乱ぶりが見てとれます。

 いま逗子市の海水浴場は「関東で一番、海開きが早い」ことで知られ、今年は6月27日にオープンしました=画像③

④にぎわう昨夏の逗子海岸=2013年7月28日、逗子市観光協会提供拡大④にぎわう昨夏の逗子海岸=2013年7月28日、逗子市観光協会提供
 昭和4年と昨年の写真を比べると、にぎやかな風景がうり二つなのに驚きます=画像④。ただ違って見えるのは、現代では海沿いにリゾートマンションが立ち並び、ウインドサーフィンをする人の姿が目立つことでしょうか。

 実は逗子の海岸ではここ数年、海の家で大音量の音楽をかけて客が踊る「クラブ化」が問題になっていました。逗子市は今春、スピーカーを使った音楽やタトゥー(入れ墨)の露出、さらには海の家以外での飲酒やバーベキューを禁止する「全国一厳しい海水浴場条例」をつくって規制を強化。その結果、今年は例年に比べて静かな海開きになったそうです。海の楽しみ方の幅が広がる一方で、子どもたちや家族連れにとっても安全に楽しめる環境づくりが、大きな課題となっています。


【現代風の記事にすると…】

海水浴場へ70万人 迷子も96人 猛暑の関東

 8月最初の日曜日の4日、関東地方は真夏の太陽が照りつけ、絶好の海水浴日和となった。海へ向かおうと都内各地の駅には早朝から人が殺到。海水浴場への人出は少なくとも70万人に上り、水辺は泳ぐスペースすらない有り様に。神奈川・逗子の「海の家」は午前7時に早くも満員となり、都内でも大森や羽田の海岸は客止めの札をかけるなど混雑をきわめた。また各地の海岸で合わせて96人が一時、迷子になった。

(加勢健一)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください