昔の新聞点検隊
(2014/07/22)
●妖怪退治 近頃其の界隈での大評判 本所菊川町で農商務省へ奉職する何某方へは毎夜化物が出る イヤそれはそれは奇妙奇手烈 尤も本所丈け一ツ目小僧や三ツ目入道はお家ものだがまだまだ女の生首が転げるやら飯桶に目鼻がついて踊出すやら騒動だと湯屋理髪店での噂とりどり これは不思議と探訪するに扨こそな扨こそな同町に住む永沼何某の家屋は旧幕の旗下何某の住宅にて建築も頗る古く間数も幾間かありて庭園もまた狭からぬに永沼氏は妻子三人下婢一人の家属なれば常に奥座敷の二間三間は空間にのみなりてをり 殊に此辺は至て閑静な処故昼さへ狐狸の庭前など徘徊するに去一月中より同家にては夜な夜な奥座敷に人の足音話し声の聞ゆることあり 戸棚に入れて置く菓子折又は肴の類はいつの間にか紛失し飯桶の飯一粒残らず喰尽し或は箪笥の抽斗の衣服を持出して庭の樹木に掛け又は下婢の寝床の上へ馬乗に乗り苦しみ呻くを聞いてげらげらと笑ふ抔奈にも怪しい事だらけに下婢は二三日にして皆驚いて迯出せど永沼氏夫妻はさすがに当世の官員だけ敢てこれ式の怪事に驚かず 一定狐狸の所為に相違あるまいと去る十三日鳶人足数名を雇ひ家の中の畳を悉く上げ床を剥し床下の大掃除をさせしに床下のぐッと奥に大いなる洞穴二ケ所あり 扨は此穴こそ妖怪変化の巣窟なれと鳶人足等は洞穴の周囲に網を張り穴の口より石炭油と水とをどうどうと注ぎ込みしに妖怪変化もこの保安条例に敵しかねてや一頭二頭と巣窟より逃出して悉く其張網にかかり終に獲物となりし 数頭を揃へて十三頭ここに於て化物屋敷の本性は夜の殿と極ったり
(1892〈明治25〉年6月19日付東京朝日朝刊3面)
【解説】
「夏」といえば、怪談、幽霊、妖怪……。
日本でそのような考え方がうまれたのは、四世鶴屋南北(1755~1829)の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」などの興行が夏に大当たりして以来のことだといわれます。先祖の冥福を祈る盂蘭盆(うらぼん)(=お盆)の季節ということも影響しているかもしれません。いずれにせよ、「納涼のため」というのは後づけの解釈のようです。
今回取り上げるのは、明治期半ばの夏の記事。妖怪を退治してその正体をあばいた、というものです。今では妖怪の記事が紙面に載ることは考えにくいですが、明治・大正時代の紙面には裏づけのなされていないゴシップや、真偽の定かでない怪談話がたくさん出てきます。これは、草創期の朝日新聞に「小新聞」の性格があったことを表すものです(「大新聞」「小新聞」の別については、2012年10月2日更新 「朝日新聞創刊 第1号」をご参照ください)。
記事は、記者が「女の生首が転げる」「飯桶(おはち)に目鼻がついて踊出す」といった、本所(現在の東京都墨田区)の古い屋敷に起こる怪事件のうわさを聞きつけるところから始まっています。訪ねてみると、ある旗本屋敷で1月から「奥座敷に人の足音話し声」がするようになり、戸棚に入れておいたものがなくなるなどの怪現象に見舞われていることが分かりました。しかしそこに住む夫妻は、それらはきっとキツネかタヌキのせいだと考え、作業員を雇って床下を調べさせます。そして最後は、床下に見つかった洞穴を水攻めにして、13匹もの「夜の殿」を生け捕りにした、と結ばれています。
いつものように今の校閲記者の視点から点検してみましょう。
まず「下婢(かひ)」は、「下男」「下女」などと同じく、その職業を低く見る意識が呼称に表れたものですから、現在では使いません。「家政婦」などと言い換えてもらいましょう。ちなみに「陛下」や「閣下」などの「下」は、場所や座の「もと」を表し、いやしめる意味はありません。
次に記事中ほどに「迯出せど」、末尾近くに「逃出して」とありますが、「迯」は「逃」の俗字です。意図的に書き分けているわけでもなさそうですから、「逃」にそろえてもらいます。
現代とは違う言葉づかいや漢字の読み方も出てきますね。
「本所丈(だ)け」「当世の官員だけ」の「だけ」は、「(さすがは)…だけに~/だけあって~」と同じ意味です。「旗下(はたもと)」「家属」はいずれも誤植ではありませんが、今では「旗本」「家族」と書くのが一般的ですね。
「数名」には「すめい」と読みが振られています。今なら「すうめい」と読むところでしょう。明治期の紙面には、「数十(すじゅう)」「数冊(すさつ)」など、「数」に「す」とルビを振る例が出てきます。「数」の読みは「す」「すう」と揺れていたのですね。
「石炭油」の「油」に「いう(ゆう)」と読みが振ってあります。今では「あぶら」の意味で「ゆう」と読むことはほとんどありません。「ゆ」よりも「いう」のほうがやや新しい(8世紀頃の中国北方で使われた音を反映した)読み方なのですが、「ゆう」は廃れてしまいました。今残っているのは「油然(ゆうぜん)」くらいでしょうか。ただし、「由」は今でも「理由(りゆう)」「経由(けいゆ)」と両方の読み方をしますね。
なお、旧かなづかいのルビにも誤りがありました。「或(あるひ)は」は、本来は「ある『い』は」でなければなりません。
末尾の「夜の殿」というのは、「狐(きつね)の異称」(「日本国語大辞典」第2版」)です。今回の記事は、13匹のキツネが怪現象の原因だった、という結論を出しているわけです。
日本では古来、キツネはタヌキなどと同様に、人を化かす動物と伝えられ、明治期に至っても、美女に化けたキツネが汽車に乗ったり、「狐に魅(つま)まれ」た子供が汽車にひかれたりした例=右の記事=があります。また文明開化間もない頃には、キツネやタヌキが汽車に化ける、「偽汽車」と呼ばれる都市伝説がまことしやかに語られたりもしました。
しかし、すでに初代三遊亭円朝(1839~1900)の落語「真景累ケ淵」が世に出ていたこともあって(演題の「真景」は「神経」にかけたしゃれ)、「遅くとも明治二十年代には、妖怪現象をすべて『神経』に起因するものとしてしまうような言説が人びとのあいだに広まっていた」(香川雅信「江戸の妖怪革命」)ともいわれます。つまり、我々の精神が不安定であると幽霊や妖怪を見てしまう、ということです。ところがその一方で、怪現象をキツネの仕業だとする記事も、当時はまだまだ健在だったのです。
現代からすると、怪現象を全てキツネのせいにするのもまた本当かどうかあやしい「眉唾物(まゆつばもの)」という気がします。でも、だからといって今の私たちがそれを笑うことはできません。今回紹介した記事では、床下からキツネが発見されました。ですから、本当にキツネのせいで起こった「怪現象」もあったのかもしれません。当時は、常識では理解しにくい現象をキツネの仕業と考えることもひとつの「合理的」な解釈だったのです。
【現代風の記事にすると…】
妖怪の正体はキツネ13匹
東京・本所の永沼○○氏の邸宅は、毎晩化け物が出ると評判だった。銭湯や理髪店で、女性の生首が転がるとか、おひつに目鼻がついて踊り出すとかいったうわさを聞きつけたので訪ねてみた。
舞台は農商務省に勤める永沼氏の屋敷。江戸幕府の旗本の旧居だ。由緒のある建物で、部屋数も多く、庭園もある。永沼氏は妻子3人と家政婦1人の一家なので、奥の部屋は常に空き部屋となっている。
この家で奥座敷から足音や話し声が聞こえるようになったのは1月のこと。戸棚に入れておいた菓子や酒肴がいつのまにか消え、おひつのご飯は食べ尽くされてしまう。たんすの衣服が持ち出されて庭の樹木にかけてあったり、寝床では家政婦の上に何かが馬乗りになって、苦しむのをげらげらと笑ったりする。怪現象がつづくので、家政婦は二、三日ともたず皆逃げ出したという。
しかし永沼夫妻はさすがに中央官庁の官僚だけあって、怪現象に全く臆することがない。きっとキツネやタヌキの仕業に違いないと、去る13日に作業員たちを雇った。全ての畳をあげて床板をはがしてみると、床下の奥まったところに洞穴が二つあった。これこそ妖怪のすみかだと、作業員たちは穴の周囲に網を張り、穴の口から石炭油や水を注ぎこんだ。さしもの妖怪もこれにはかなわず、計13匹が穴から逃げ出してきた。
こうして化け物の正体はキツネと判明したのである。
(田島恵介)
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください