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昔の新聞点検隊

「殺人酒」を征伐、イカモノ押収

菅野 尚

1933(昭和8)年10月17日付東京朝日朝刊11面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。個人情報保護のため一部字を伏せています拡大1933(昭和8)年10月17日付東京朝日朝刊11面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。個人情報保護のため一部字を伏せています
【当時の記事】

盛り場を軒並奇襲
「殺人酒」を征伐
イカモノ続々押収 突如・街の酒場に嵐

「千代乃寿」「総花」と称して東京市内及び近県に売りだされた殺人焼ちうの被害は既報の如く市内だけで死亡者十八名失明者五名をだし千葉、栃木方面を加算すると合計死者二十四名失明十二名の多数に上り今更当局を驚かせてゐるが警視庁衛生課では尚未押収の焼ちう約六百本がいまだ販路不明のままなので過般来各署に厳重手配中のところ十六日夜六時から突然警視庁全管下にわたって衛生課員総出動で五班に分れ岸本衛生課長寺田保健係長、三雲技師総指揮の許に四時間余にわたって軒並的にカフェー、バー、十銭スタンド、屋台店の酒類を片っぱしから検査してあやし気なものはドシドシ一二合宛押収した、深川区千田町●●●バア●●●●方では無印のインチキ焼ちう一斗だる一本を発見したが、これは有害焼ちうの一種であった、当局では尚今後も引き続き抜き打的検査をやるといってゐるが同夜奇襲を受けた飲食店総数約二千三百軒、押収三百件に達した、押収品は十七日所管署より警視庁に取りまとめ警視庁衛生試験所で厳重試験を行ふはずである

【写真は新宿某カフェーのスタンド、左から岸本衛生課長、寺田保健係長】

(1933〈昭和8〉年10月17日付 東京朝日 朝刊11面)


【解説】

 まだまだ暑い日が続きます。お酒の飲める人なら、気が置けない仲間と仕事帰りにビールやハイボールなどを飲むというのも楽しみの一つでは。でも、その酒に有毒な物質が混ざっていたとしたら。今回紹介するのはそんな事件です。

 日本でお酒といえばその名の通り日本酒でした。1918(大正7)年、米価が高騰し「米騒動」が起こったのを契機に、米を使わない酒として脚光を浴びたのが焼酎。当初5、6社しかなかったメーカーは大正から昭和にかけ60社余りになったといいます。

 第1次世界大戦(1914~18年)後の好景気の反動や、関東大震災(1923年)の影響で景気は一時低迷しますが、焼酎の消費は昭和の初めにかけて、復活しつつあったといいます。

 そこに持ち上がったのがこの事件。記事には「盛り場を軒並奇襲」「『殺人酒』を征伐」と物騒な見出しが並びます。見出しの「イカモノ」は、広辞苑によると「いかさまもの」の略で、「にせもの。まがいもの」のこと。

 この殺人焼酎による被害が初めて報じられたのは1週間前の10月9日。10日付夕刊(9日発行)では「東京近県各地方に先頃『千代寿』『惣花』と称するメチールアルコールに水を加へただけの有毒危険極まる焼ちうが販売され死者十六名失明者六名を出してゐる」と報じています。

 最初の記事で焼酎の銘柄が「千代寿」と「惣花」だったのが、「千代乃寿」と「総花」に変わっています。

「殺人焼酎」の被害を初めて報じた記事=1933年10月10日付東京朝日夕刊2面拡大「殺人焼酎」の被害を初めて報じた記事=1933年10月10日付東京朝日夕刊2面

 9日の報道では犯人2人を「捕縛」したとあります。経緯は書いてありませんが素早い対応です。ただ2人が作った量は「一斗だる八千二百本」。警視庁はこのうち600本を押収したそうですが、残りは「各地の問屋小売商の手に渡って行方がわからないので衛生課では重大視」しているとあります。一斗は約18リットルですので13万6800リットルが世間に出回っている緊急事態です。

 そこで取った苦肉の策がこの奇襲作戦なのでしょうか。警視庁衛生課では課員総出動で4時間余にわたってカフェー、バー、十銭スタンド、屋台の酒類を片っ端から検査し、あやしげなものは1、2合ずつ押収したそうです。この夜、「奇襲」を受けた飲食店は約2300軒、押収300件に達したといいます。十銭スタンドとはワンコインで一杯飲める今でいう立ち飲み酒場のようなところでしょうか。

 17日の記事には「新宿尾行記」と題して記者が奇襲の様子を細かにリポートしています。「何しろ対象物が殺人的メチール・アルコールだ、係員も十銭スタンドに立ってそれを飲み、危うい芸当を実せん窮行すべく命が惜しい、そこで『そのびんを見せな』と受けとって臭ひをくんくんかいで見るか、又(また)は仕入先をきくか(中略)といった検討振り」。「実せん窮行」は「実践躬行(じっせんきゅうこう)」(=広辞苑によると「自分で実際に行動すること」)の間違いかもしれませんが真剣なやりとりの様子はうかがえます。

 指揮をとった岸本衛生課長も別の記事で「既にこれだけ警告を発してあるのだから客の方でも十分注意してくれてゐるはずだ、今度の一斉検査も不良品を発見するといふよりは絶対に今後危険物を販売させぬといふ予防的な意味でやった、これから時々速射砲的に奇襲を試みる積りだ」と鼻息荒く述べています。

 ただ視力を失った人や死者が出たのは悲しい事実です。江戸・天保期の酒造にルーツを持つ宝酒造(本社・京都市)は、「2、3の不届きな業者が、メチルアルコールの希釈液と焼酎を混和し、これを焼酎として有名銘柄のラベルで販売。その飲用者約30人が死亡してしまいました。このメチルアルコール事件によって、焼酎に対する不安感が高まり、東京での販売はほぼ休止状態に」とホームページでこの事件を振り返っています。

 生活全般に物資が不足しているという時代背景もあるのかもしれませんが、酒にまつわる事件は続きます。同月26日には「殺人的『日本酒』 劇薬のフォルマリンを混ぜ 市内に売りさばく」の見出しが紙面に躍りました。ホルマリンの混入した日本酒が4斗だるで119本発見されたそうです。

 ホルマリンは少量でも飲めば呼吸困難や嘔吐(おうと)、心臓衰弱を引き起こすとされている危険な薬物です。小売店は、製造元が分量を間違えてたるの消毒用にホルマリンを使ったのが原因ではないかと弁明しています。

いつの時代も、おいしくて安い酒と肴(さかな)が楽しめる酒場には人が集まる=東京・中野拡大いつの時代も、おいしくて安い酒と肴(さかな)が楽しめる酒場には人が集まる=東京・中野
 酒になにかを混ぜ水増しして売るというたくらみはなかなか絶えないようで、戦中の1942(昭和17)年に工業地帯だった川崎市周辺でも起こっています。ただ、最も被害が大きかったのは終戦直後の混乱期だったでしょう。その日の食事にさえ事欠いた時代で、粗悪な密造酒や、燃料用アルコールを割った代物まで出回り、メチルアルコールの中毒者を大量に出しました。朝日新聞西部本社社会部が出した本「焼酎」によると、「昭和20(1945)年の中毒死者403人。21年1848人。メチルアルコール中毒の恐ろしさがわかり、22年にはぐっと減って103人だった。失明者はこれを大幅に上回る」とあります。

 戦時中に川崎市周辺で被害が広がった時は、同じ年の11月19日付の紙面に注意を呼びかける記事が出ました。見出しは「変だナと思ったら 絶対に飲まないやう “殺人焼酎”の正体と、その対策」。ここでも警視庁衛生課が「過去のあらゆる毒酒事件は工業用メチルアルコールが起因している」と分析。「この毒酒の困る点は簡単な識別法がないことである。飲んでも、嗅いでも酒精(エチール)と少しも変わらない」とし「一般への注意として得体の知れないものは絶対に飲まないこと」と警鐘を鳴らしています。


【現代風の記事にすると…】

盛り場を抜き打ち検査 有毒焼酎を押収 死者24人に

 東京市だけで死者18人、失明者5人を出した焼酎「千代乃寿」「総花」による被害は関東近県にも広がり、千葉、栃木方面を加えると死者は24人、失明した人は12人に上った。警視庁衛生課では、なお押収されていない焼酎約600本の行方を捜している。

 一方、16日午後6時から警視庁の管内で衛生課員が総出動し、5班に分かれ4時間余にわたって一帯のカフェー、バー、立ち飲み酒場、屋台の酒類を片っ端から検査。怪しげなものは1、2合ずつ押収した。東京市深川区千田町のバーでは無印の偽焼酎1斗だる1本を発見したが、これは有毒焼酎の一種であったという。同課では今後も引き続き抜き打ち検査をするとしている。

 16日夜に検査を受けた飲食店は約2300軒、押収された酒類は300件に上ったという。押収品は17日に所管署より警視庁にとりまとめ、同庁衛生試験所で慎重に検査をする。

(菅野尚)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください