メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

昔の新聞点検隊

東山の布団をはぎ取った室戸台風

板垣 茂

1934(昭和9)年10月16日付東京朝日朝刊8面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1934(昭和9)年10月16日付東京朝日朝刊8面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

颱風に滅ぼされた名樹に濺ぐ涙(一)
あはれ千年の寿命を一朝に
取返しのつかぬ国家の損失
本多博士の踏査談

(前略)

 今度の近畿の大風水害で、京阪方面の老樹名木が、相当にやられてゐはせぬかといふ気がしてならないので、我子の安否を気づかふやうな気持ちから、別に

 誰に頼まれた

ワケでもなかったが、金沢市の卯辰公園の改良に出張した序を利用し、仕事をそこそこに切りあげて風水害地の名木を見て廻った。果せるかな行って見て、其惨害の余りに甚だしいのに私はビックリさせられた。京都市の主なる名勝地の名木、名林は根こそぎといってよいほど、手いたくやられてゐる。……「蒲団着て寝たる姿や東山」の、その東山の大切な蒲団も、肝腎な部分はスッカリむしり取られて、赤裸の東山が此寒空に顫へ上って見る目も痛々しい姿である。

 有名な清水の

舞台の、音羽の滝の上に鬱蒼と繁茂して、昼尚暗かった名森林は、今度の嵐で滝の上まで全部将棋倒しにされて終った。

また、よく活動写真のロケーション等に使はれた、南禅寺前の美しい赤松の老木の並木も殆んど全部根こそぎに遭ひ糺の森の老木も大部分倒壊し或は中折して下加茂社の社殿は裸出して仕舞ってゐる。

嵐山に行く途中のお蚕社の森も、大きな杉の巨木の間に、様様の常緑闊葉樹が緑色を漂へて、実に

 美しい景色で

 あったが、この美林も見る影もなきまでに荒され、奥の院に詣づる道も無くなってゐる。一本で数百円、数千円もする様な大木が、そこにもここにも数限りなく倒されてゐる。

古来神社仏閣の荘厳は、大部分森林によって形成されてゐる事を思へば、全く涙がこぼれるばかりだ、まして近畿を中心に荒れ狂った今度の颱風は、京都以外の各地にある名木老樹にも、限りない惨害を加へた事を思ふと、天を仰いで歎息したくなる、それは我我の落胆ばかりでなく、取り返しのつかない国家の損失である。

(後略)

(1934〈昭和9〉年10月16日付東京朝日朝刊8面)

 
【解説】

 8月から9月にかけては、統計上台風に襲われる可能性が最も高い時期です。台風は中心気圧が低いほど勢力が強くなりますが、本土に上陸した台風の中で最も低い911ヘクトパスカルを記録したのが、今からちょうど80年前、京阪神を中心に大災害をもたらした室戸台風です。

惨害を伝える号外=1934年9月21日付東京朝日号外拡大惨害を伝える号外=1934年9月21日付東京朝日号外

 1934(昭和9)年9月21日、高知県室戸岬付近に午前5時ごろ上陸した台風は、午前8時ごろに大阪を直撃して瞬間風速60メートルを記録、木造校舎がほとんどだった小学校の多くを破壊して大勢の児童たちの命を奪いました。

 4メートルの高潮で大阪湾岸を水没させた後は京都を縦断して北陸、東北地方を通り、その日の午後6時には三陸沖へ去るという速さでした。全国の死者・行方不明者3036人。大阪府内の犠牲者はその6割を占めました。

本社飛行機で東山一帯を上空から調査した結果を報じる記事。写真は上賀茂神社と南禅寺の惨状=1934年9月30日付東京朝日夕刊6面拡大本社飛行機で東山一帯を上空から調査した結果を報じる記事。写真は上賀茂神社と南禅寺の惨状=1934年9月30日付東京朝日夕刊6面

 当時の紙面を繰ると、どう手を付けたらよいか想像もできない被害の連続に気が重くなりますが、その中で異彩を放つ記事がありました。人や建物だけでなく、京都の寺社を取り巻く森林もまた取り返しのつかない損害を受けたと指摘する談話です。語り手は、東京帝国大学教授を務め、日比谷公園や明治神宮の設計に関わった本多静六・林学博士。4回続いた連載のうち、第1回を読んでみましょう。

 まずは見出しから。「颱風(たいふう)に滅ぼされた名樹に濺(そそ)ぐ涙」という長いタイトルの中に、「颱」「濺」という見慣れない漢字が二つあります。「颱」は本来この字だったのを、略して「台」と書くようになりました。「濺」は、杜甫の「国破れて山河在り」で有名な漢詩に「時に感じては花にも涙を濺ぎ」と出てきますが、現代の国語辞典の多くは「注ぐ」と「灌ぐ」を見出し語に採っています。

 本文に移ります。「金沢市の卯辰公園」は、金沢城の北東にある「卯辰山公園」のことと思われます。「そこの改良に出張した『序』」はおそらく「ついで」と読みます。「蒲団(ふとん)着て寝たる姿や東山」は、松尾芭蕉の門弟・服部嵐雪の詠んだ句で、京都・東山三十六峰の起伏を寝姿に見立てたものです。本多博士は東山を覆う森をその布団(今の新聞ではこの字を使います)にたとえて、布団をむしり取られた東山が「寒空に顫(ふる)へ上って見る目も痛々しい姿」と語っています。

連載第2回。なぜかタイトルが「名樹」から「名木」に変わっている=1934年10月17日付東京朝日朝刊5面拡大連載第2回。なぜかタイトルが「名樹」から「名木」に変わっている=1934年10月17日付東京朝日朝刊5面
 清水寺の森が「将棋倒しにされて終(しま)った」とする一方、下加茂(下鴨)神社の森も倒壊して社殿が「裸出して仕舞ってゐる」とあるのは、いっそ平仮名で「しまった」「しまってゐる」とそろえた方がきれいです。「裸出」は「露出」の方が今では一般的でしょう。

 「闊葉樹(かつようじゅ)」も見慣れない言葉ですが、「広葉樹」の旧称です。それが「緑色を漂へて」とありますが、「たたえて」と読ませるのなら「湛へて」などと書くところでしょう。広葉樹の緑が美しかった神社の森も台風で荒れてしまったと博士は嘆き、名木老樹の被害が京都だけにとどまらないことを思うと「取り返しのつかない国家の損失である」とまで言っています。

 博士は連載第2回以降で、このように大きな被害に遭ったのは樹木が適切に手入れされていなかったからだと断じ、老樹は枝を減らして負担を軽くしてやるなど、その方法を論じていきます。

 室戸台風のせいで私たちが目にすることが出来なくなった古木が多いというのは残念ですが、博士のような人たちの努力で今の京都の美しい景観が復活したと思うと、慰められる気がしませんか?


【現代風の記事にすると…】

台風に滅ぼされた名樹に注ぐ涙(1) 本多静六・林学博士の報告

 (前略)

 今度の台風で風水害のひどかった京阪方面の老樹や名木がどうなったかが心配で、金沢市の卯辰山公園に出張したついでに見て回ってきた。あまりの惨状に驚かされた。京都市の主な名勝地の名木、名林は根こそぎと言ってよいほどの被害だ。「蒲団(ふとん)着て寝たる姿や東山」と詠まれた東山三十六峰の「蒲団」もすっかりむしり取られ、痛々しい姿だ。

 清水寺では、音羽の滝の上にうっそうと茂っていた名森林が全部将棋倒しにされてしまった。

 映画のロケなどによく使われた、南禅寺前の赤松の並木もほとんどが倒れ、下鴨神社を包む糺(ただす)の森の老木も、大部分が倒れるか折れるかして、社殿は露出してしまっている。

 太秦(うずまさ)の「蚕の社」の森も、大きな杉の巨木の間に様々な常緑広葉樹が緑色をたたえて美しかったのが、見る影もないほどに荒らされ、奥の院に続く道もなくなっている。1本で数十万円、数百万円もするような大木が、そこかしこで無数に倒されている。

 昔から森林は神社仏閣を飾る大きな要素であることを思うと、涙がこぼれるばかりだ。しかも被害は京都だけではないのだから、ため息が出る。私たちが落胆するだけの問題ではなく、取り返しのつかない国家の損失なのだ。

(板垣茂)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください