昔の新聞点検隊
(2014/09/09)
こども新聞の放送 いよいよ今夜から開始 松内アナ君と村岡女史とで
AKでは愈一日から午後六時の子供の時間をさいて、同二十分から五分間「子供新聞」と題して子供ニュースを六時二十五分から英語ニュース(カレンド・トピックス)を放送するが、「子供の新聞」のアナウンサーは文部省社会教育会の樫葉勇氏と童話家で放送にもおなじみの村岡花子女史と決定した
但し樫葉氏は所要のため最近渡満するので六月中は松内アナウンサーが代役を勤めるはずである
この試みはAKとしては無論最初であり、相手が児童なので余程慎重の態度を取り、特に
巌谷小波、久留島武彦の両氏を始め児童心理学、児童衛生学その他児童教育に関する権威者を顧問に依嘱し
これらの人々は毎月一回参集してニュース編輯に関する研究会を催す事になってゐる
親しみある形式で 空想よりも現実的に 村岡女史談
何しろ五分間ですから二ツか三ツのニュースしか話せませんが材料はなるべくローカルにならない様にするつもりです、然し結局東京の話が中心になりはしないかと思ひます
「放送の対象は私の考へでは小学校の三年生以上のつもりです、児童もこの時分になりますと空想的な話よりも現実的な話に興味を持ってくる年頃でして、例へば
「今日は大変な暑さなので上野動物園の白熊は非常に元気がありません」
と話しても、それは子供が童話の世界で聞く白熊とは全然別な白熊として子供の心に映ってくるのですから、さういふ点がこの子供ニュースのもっとも大切な影響ではないかと思ひます
私は子供に教訓する事は大嫌ひですから例へば子供が火事を起した場合でも
「気をつけねばなりませんね」
と放送の後に付加へる代りに
「大変な事になりましたね」と付加へるつもりです
兎に角子供に対する親しみある報道形式を苦心するつもりです
(1932〈昭和7〉年6月1日付東京朝日朝刊5面)
【解説】
NHKの連続テレビ小説「花子とアン」は好評のまま、いよいよ残り3週間となりました。物語が昭和に入り、戦争へと向かう時代がよく表れていたのが、主人公の花子が出演していたラジオ放送です。ドラマのモデルの村岡花子さんも実際にこの時代、子ども向けのラジオ放送で「ラジオの小母さん」として大人気でした。今回は当時の朝日新聞に登場した花子さんの記事をご紹介します。
「全国のお小さい方々、ごきげんよう」
花子さんが、やさしい語り口でいろんなニュースを紹介する5分間の番組「コドモの新聞」が始まったのは1932(昭和7)年6月1日のこと。放送開始当日の新聞には花子さんの顔写真とインタビュー付きの紹介記事が大きく載りました。この紙面はドラマにも一瞬出てきましたね。
が、今の目でこの記事を見ると、おかしな箇所がいくつかあります。まず見出しが「松内アナ君と村岡女史とで」とあります。「アナ君」とは、アナウンサーの肩書に敬称の「君」を加えていますが、今なら肩書だけで良いですね。大人に「君」と付けることもありません。「女史」は社会的地位のある女性に付ける敬称ですが、今ではほとんど使いません。「村岡花子さん」にしてもらいます。
番組のタイトルも、見出しで「こども新聞」、本文で「子供新聞」「子供の新聞」とばらばらですが、同じ面に載ったラジオ番組表をみると「コドモの新聞」とあるので、そろえてもらいましょう。
花子さんは「放送でもおなじみの」と紹介されていますが、これよりも前から、おとぎ話を読むなどラジオ番組にはときどき出ていたのが紙面に残っていました。この点はドラマとは違いますね。
本文の冒頭に出てくる「AK」というのは、JOAK(東京放送局)のコールサインですね。同じ面に載った番組表で地域別に載っていますが、大阪がBK、名古屋がCKと続きます。今はNHKラジオに引き継がれていて、時報のときなどに「JOAK、NHK東京第1放送です」などと流れるのを聞いたことがあるでしょうか。ちなみに、実際の「コドモの新聞」は、大阪のほうで似た番組が先に放送されていて、遅れて東京放送局が始めた花子さん出演の番組は、大阪を除く全国放送だったそうです。
さて、番組の進行役に決まった2人のうち文部省の樫葉氏が「最近渡満するので」6月中は松内アナが代役ということですが、将来の出来事に「最近」を使うことは今ではしませんので、「近く」としてはどうでしょうか。さらに「代役をつとめる」の漢字は「勤」ではなく「務」に、と指摘します。「渡満」は満州に行くこと。3カ月前の1932年3月、中国東北部に日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」がつくられています。
番組の顧問となる児童教育の学者たちを「権威者」としていますが、今なら「専門家」あたりでどうでしょうか。「有識者」もよく記事に出てきますが、政府の諮問会議のようで堅いですね。
こんなふうに、番組で紹介するニュースについてはえらい先生方が議論する研究会もあったようですが、続きのインタビューでは、児童作家の花子さんが、「子供に教訓する事は大嫌ひですから」と、子どもに親しまれる放送をめざしたいと語っています。番組は子どもの心をつかみ、花子さんは一気にお茶の間に名前が知れたのでしょう。以降の新聞記事では「ラヂオの小母さん村岡女史」(また「女史」が出てきました)と見出しに取られるなど、「ラジオの小母さん」は花子さんの代名詞となったようです。
開始1年後の新聞にも、番組の記事が出ています。ドラマの中の花子は毎回、ニュース原稿を子ども向けに書き直していましたが、実際の番組でも、「けふはどんなニュースが出るだらうか」とお待ちかねの子どもたちに届けるべく、「編輯(へんしゅう)者の机の上へ集まってくるうれしいニュースに、編輯者は、思はずにっこりいたします そして、この沢山のうれしいニュースから、さてどれを皆さんにお伝へいたしませうか」と、子どもたちのために良い番組を送りだそうとしていた様子が伝わってきますね。
NHKに残る資料によると、実際に放送されたニュースには、九官鳥が泥棒を追い払う大手柄を立てた話などの動物ニュースのほか、「オリムピック大会の状況放送」(1932年ロサンゼルス五輪でJOAKが試みた国際放送の仕組み)や、「お月様が欠ける月食のお話」(月食の仕組み)などを子どもに分かりやすく解説するものがあったそうです。
花子さんの番組出演は1941(昭和16)年末まで続きました。ラジオも戦時体制となり、楽しいニュースが激減していたころでしょう。ラジオの仕事をやめて1カ月たったころ、そのことについて「知る人知らぬ人が…(略)…温いねぎらひの言葉を寄せて下さる」という花子さんの文章が紙面に載っていますが、同じ面のJOAK番組表を見ると、午後6時の「子供の時間」は、タイトルが「少国民の時間」へと変わっています。
ともあれ、テレビのない時代、ラジオによって村岡花子さんの名前と語りが、本業の童話のほかにも子どもに親しまれたというのは興味深い話ですね。ドラマのように「武具馬具、武具馬具……」とラジオの発声で苦労したこともあったかもしれません。
初期のラジオに興味をもたれた方は、筆者の過去の昔新聞「うす気味悪い?アナウンサーの発声練習」(2011年5月24日更新 )もぜひ読んでみてくださいね。余談ですが、当時のコールサイン、JOAK(東京)、BK(大阪)、CK(名古屋)に続く「JODK」は、福岡でも仙台でもないのですが、はたしてどこだったでしょうか? その答えも書いています。
【現代風の記事にすると…】
「コドモ新聞」の放送いよいよ今夜から 松内アナと村岡花子さんで
JOAK(東京放送局)では、いよいよ1日から午後6時の「子供の時間」の中で、6時20分から5分間「コドモの新聞」と題して子ども向けニュースを、6時25分からは英語の時事ニュースを放送する。「コドモの新聞」の進行役には文部省社会教育会の樫葉勇氏と、童話作家で放送でもおなじみの村岡花子さんと決まった。ただし、樫葉氏は近く満州に出張するため、6月中は松内アナが代役を務める。
子ども向けニュースはJOAKでは初めて。試行錯誤となるため巌谷小波、久留島武彦の両氏をはじめ児童心理学などの専門家を顧問に招き、月に1回集まってニュース編集を研究する。
親しまれる形で 空想よりも現実的に
村岡花子さんの話 何しろ5分間ですから、二つか三つのニュースしか話せません。なるべくローカルな話題にならないようにするつもりですが、結局東京の話が中心になってしまうかもしれません。
放送の対象は、小学3年生以上と考えています。この年頃になると、空想的な話よりも現実的な話に興味を持つようになります。例えば「今日は大変な暑さなので、上野動物園の白熊は全く元気がありません」と話すと、子どもは童話の世界で聞く白熊とは全く別な白熊を思い浮かべます。そういう点がこのコドモの新聞のもっとも重要な影響ではないでしょうか。
私は子どもに説教をするのは大嫌いですから、例えば子どもが火事を起こした場合でも「気をつけねばなりませんね」と放送の後に付け加える代わりに、「大変なことになりましたね」と付け加えるつもりです。子どもが親しめる報道を工夫するつもりです。
(薬師知美)
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください