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昔の新聞点検隊

文庫本、花盛り!!

田島 恵介

1951(昭和26)年11月4日付東京本社版夕刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1951(昭和26)年11月4日付東京本社版夕刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

読書の秋に文庫本合戦 ひしめく廿八種――濹東綺譚 四社でハチ合せ

“読書の秋”一九五一年の特徴は文庫本のハンランだ。目下出ているものは文学思想ではシニセの岩波をはじめ角川、アテネ文庫。思想関係では市民、青木、創元、アサヒ、勁草、信友、現代教養、刀江、羽田。写真ものでは岩波とアルス。文芸では三笠、新潮、春陽堂、小山、人生詩歌。さらに外国版権をとったフランスのプレス・ユニヴェルシテール社の「ク・セ・ジュ」文庫、その他大衆もの、児童もの、宗教、音楽、園芸、将棋ものにいたるまで計二十八種が書店のタナにひしめきあっている。このうち創元、三笠、「ク・セ・ジュ」、羽田文庫などは十月末にかけて現われた新顔だ。

文庫は従来は小型のため万引の被害が多いのと、場所をとるため書店からいやがられていたのだが、急激にふえたのは、用紙難で単行本が値上りしたため買えなくなった読書階級をねらったことが第一だという。

さらに最近では単行本が当るとその出版社でその本を安い文庫で出すので単行本の売れ脚がよいとみるとすぐに文庫に切り換える自衛上文庫戦術をとる所が多くなっており、創元文庫や三笠文庫はこの現れたと有力取次筋ではい。

戦前は名作しか扱わなかったのがぞくぞく新しいものも登場しなかには単行本の焼直しでなく初めから文庫本で出す向も出てきた。

二十八種類ともなればカチ合う作品も多く、荷風の「濹東綺譚」など岩波、角川、新潮、創元の四文庫に現われ、写真の著者紹介を入れたりこったデザインをするなど競争ははげしい。最近十万以上出た文庫のベストファイブは(取次筋の調べ)市民文庫の「ものゝ見方について」(笠信太郎)が単行本当時に六万出たのち文庫で二十五万出たのをトップに、アテネ文庫の「哲学用語辞典」と岩波の「善の研究」(西田幾多郎)が各十五万、角川文庫の「愛と認識の出発」(倉田百三)十二万「三太郎の日記」(阿部次郎)となっている。

(1951〈昭和26〉年11月4日付東京本社版夕刊2面)


【解説】

新潮文庫創刊100年を伝える記事=2014年9月2日付東京本社版夕刊3面拡大新潮文庫創刊100年を伝える記事=2014年9月2日付東京本社版夕刊3面
 この9月、「新潮文庫」(現行は第4期)が創刊100年を迎えました。新潮文庫以前にも、先行するドイツのレクラム文庫に範をとった、「袖珍(しゅうちん)名著文庫」(冨山房)や「袖珍文庫」(三教書院)などがありましたが(奥村敏明「文庫博覧会」)、現役では新潮が「最古参」です。ちなみに「袖珍」は「袖に入る程の小形のもの」(広辞苑)のこと。

 今回は、文庫本に関する約60年前の記事を取りあげます。今ではなくなっている文庫もたくさん出てきますが、なかには岩波、角川、新潮、クセジュなど現役のものもみえます。

 それでは、いつものように記事を点検していきましょう。

 まず「春陽堂」という文庫名が出てきます。春陽堂文庫は、1931年10月に刊行されましたが、戦後の1950年に大衆文学路線で再出発した際、「春陽文庫」と改称しています(矢口進也「文庫 そのすべて」)。つづく「小山」は、元岩波書店員・小山久二郎(おやま・ひさじろう)が起こした小山書店の出した文庫(判型は新書判)です。こちらも、1951年にはすでに「新小山文庫」と改めていたので、「新小山」としなければなりません。

 「現れ」「現われ」と送り仮名がバラバラになっているところはそろえてもらいましょう。「読書階級」という表現は今では古くさく感じますね。今なら「本を読む人たち」「読書家」「読者層」などとするところでしょう。そして、「この現われたと有力取次筋ではい」とあるのは、「この現れと有力取次筋ではい」の誤植でしょう。

 また、末尾で挙げている「文庫のベストファイブ」のうち、角川文庫の倉田百三「愛と認識の出発」は、正しくは「愛と認識の出発」です。最後の阿部次郎「三太郎の日記」だけ売り上げ部数が入っていないのもおかしいですね。筆者に確認して入れてもらいましょう。

 さてこの記事は、1951年の文庫ブームを取り上げたものです。文庫ブームはこれ以前にも何度かあったようですが、とりわけこのブーム時には多くの文庫が創刊されました。その数は、「文庫 そのすべて」のように「40種」とする資料もあるので、「計二十八種」というのは少なすぎるように思います。

 「文庫」というと、今ではA6判(横105ミリ×縦148ミリ)か、それより少し大きいくらいのサイズの本を思いうかべます。しかし、そもそもは判型をさすことばではなく、「名著を収めた文庫(ふみくら)」といった意味でした。現在の新書判の文庫も多く、先述の小山(新小山)のほか、記事中の「刀江」や「勁草」もそうでした。歴史をさかのぼると、単行本サイズの「春秋文庫」というのもあったようです(「文庫博覧会」などによる)。

 また、文庫名は出版社名やその一部から採るのが一般的だったのですが、記事の「アテネ」や「市民」「現代教養」は例外的でした。アテネ文庫は弘文堂(本社・東京都)が1948年3月に創刊しました。文庫の中では平均のページ数が最も薄く、大体64ページから80ページの間に収まっています(岡崎武志「文庫本雑学ノート二冊目」)。「最も簡素なる小冊の中に最も豊かなる生命を充溢(じゅういつ)せしめんことを念願するものである」というアテネ文庫刊行のことばから、出版社のなみなみならぬ熱意が感じられます。2010年には301点中40点が復刊され、話題となりました。

新潮文庫が創刊されたことを報じる記事=1914年9月17日付東京朝日朝刊7面拡大新潮文庫が創刊されたことを報じる記事=1914年9月17日付東京朝日朝刊7面
 「市民」は、河出書房(現・河出書房新社)が出していた「河出市民文庫」のことです。古典から大衆小説まで広くカバーする文庫でした。1951年3月創刊で、3年後には河出文庫と改称、しかし河出書房の経営破綻(はたん)のため1957年に廃刊となります。後に河出書房新社として再建、倒産などの危機を乗り越え、文庫も1980年に復活します。これが現在の河出文庫です。

 「現代教養」は社会思想社が刊行していたもので、こちらは近年まで出ていましたが、2002年の出版社の事業停止とともに廃刊となりました。

 出版業界は厳しい状況が続いており、年間の書籍販売額は2009年に21年ぶりで2兆円を割り込みました。さらに今年の4月には、1日あたりの読書時間がゼロと答えた学生が40.5%だったという全国大学生活協同組合連合会の調査結果も報じられました。

 文庫もやはり全体の売り上げ部数が落ちていますが、一方で出版点数は増えています。日本出版者協議会によると2013年には九十数社から172文庫出たとのことです。記事中の「二十八種類」の実に約6倍です。そのため、作品は玉石混交となり、一方で「カチ合う作品」は以前よりも多く、競争がますます激しくなっています。

 しかし読書は人生を豊かにするためにも、日本の文化を育むためにも重要な営みです。新潮文庫をはじめ各社の文庫が、今後も魅力的な本を送り出し続けることを願っています。


【現代風の記事にすると…】

読書の秋、文庫本激戦 ひしめく28種

 1951年の出版界の特徴は文庫本の氾濫(はんらん)だ。現在出ているものだけでも、文学や思想を扱ったものでは、老舗の岩波を始め、角川、アテネ(弘文堂)などがある。

 思想関係では、河出市民、青木、創元、アサヒ、勁草(けいそう)、信友(のぶとも)、現代教養(社会思想社)、刀江、羽田などがあるし、岩波写真やアルス写真など、写真を扱った文庫まである。また文芸では、三笠、新潮、春陽、新小山、人生詩歌や、フランスの版権をとったクセジュ(白水社)があり、そのほかにも、大衆小説や児童向け、宗教関係など、多数の文庫が書店の棚にひしめき合っている。このうち創元や三笠、羽田は、10月末までに創刊されたばかりである。

 文庫は小型で万引きの対象となりやすく、数が多くて場所をとるために書店から敬遠されていたが、急に増えたのは、用紙不足で値上がりした単行本を買えなくなった読者層を対象としたからだという。

 また最近では、単行本の売れ行きがよいと、その出版社が再び利益を得るため文庫化するという傾向もみられる。ある取次業者によると、創元文庫や三笠文庫はその例だという。

 さらに、戦前の文庫は名作を扱うことが多かったが、近年は新しい作品が続々と登場しているし、はじめから文庫オリジナルで出る場合もある。

 文庫本の氾濫に伴って、競合する作品も現れるようになった。たとえば永井荷風の「濹東綺譚」などは、岩波、角川、新潮、創元の4文庫に入っている。写真つきの著者紹介を入れたりデザインに工夫を凝らしたりと、他社との差別化を図る出版社もあり、ますます競争が激しくなっている。

 最近10万部以上売れた文庫には、笠信太郎「ものゝ見方について」(河出市民)25万部、「哲学用語辞典」(アテネ)と西田幾多郎「善の研究」(岩波)が各15万部、倉田百三「愛と認識との出発」(角川)12万部、などがある(取次調べ)。

(田島恵介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください