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昔の新聞点検隊

日本の女生徒がバスケ・フリースローで「世界一」!

広瀬 集

1927(昭和2)年3月5日付東京朝日朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。個人情報保護のため、記事を一部加工しています拡大1927(昭和2)年3月5日付東京朝日朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。個人情報保護のため、記事を一部加工しています

【当時の記事】

世界選手権を得た 十八歳の児矢野嬢
バスケットボールのフリースローに 思ひもかけぬ吉報

二日アメリカ、チャールストン発の聯合通信が同地における世界フリー・スロー選手権大会で日本の一女学生が一等となって世界の選手権を獲得したといふ、珍しい吉報をもたらした

氏名がヨヤノ嬢とあるだけなので、いづれ日本では有名な過去を持つ選手だらうと思って調査の歩を進めて見たところ意外にもその選手権保持者が現在東京府立第二高女の四年生児矢野昌子嬢でアメリカは愚か一歩も国外へ出た事はないといふのだから妙な話だ

実はその選手権競技大会といふのは米国が主催国となって各国のYM・C・Aを通じて各その国で競技を行はしめた後その結果を中央部のアメリカ、チャールストンへ報告させそこで出来上ったのがこの順位となったのである

去る二月一日東京府立第二(竹早)のB組とアルモンド(府立第一)の両バスケットボール正選手五名づつが竹早コートで競技し名古屋は愛知淑徳高女チーム五名で成績をとった結果府立第二高女の児矢野嬢が六十回中五十六ゴールといふ希有の好成績をあげたのであった

この偉大な女流選手の児矢野さんは(中略)今年十八歳、中肉中背のいまだホンのあどけない一少女である、嬢は包み切れぬうれしさを見せながら語る

「矢張りあれは私でしたか、こんなうれしい事はありません、バスケットボールは二年の春から始めまして、毎年の神宮競技その他の競技会へも出場しましたが、いつも惜しい敗をとって居ますので父などはそんなに敗けるなら止めてしまへなどと叱言をいって居ました、競技会当日はホーム・コートでゴールは平常練習するのと同一でしたので十分に自信がありました、最初の中はすこぶる調子がよくこの分では全部ゴールインするかと思ひましたが二十五回頃に遂に一回外しました、終頃には気が張って遂に四つの外れをとりましたがそれでも五十六といふ成績は全く意外でした」

(1927〈昭和2〉年3月5日付 東京朝日 朝刊7面)


【解説】

 スポーツの秋です。プロ野球は大詰めですが、晩夏~秋にシーズンが始まるスポーツは少なくありません。ラグビー、アメリカンフット、アイスホッケー。そしてバスケットボールですね。

 bjリーグは4日に開幕し、ナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)も10日、海の向こうの米プロバスケットボール協会(NBA)は28日(現地時間)に始まります。今年は、日本選手2人目のNBAプレーヤーを目指す富樫勇樹選手にも注目が集まっています。

 さて、今回の記事はなんと90年近く前、バスケで「世界」を制した日本人女学生を紹介する、という内容です。バスケとはいっても、フリースローに特化した「世界選手権」だったようです。

 まずはいつもの点検から。肝心の競技名の「バスケットボール」が、見出しにはあるものの本文では中ほどにならないと出てきません。最初のところに入れてもらいましょう。

 この大会の女子の部で優勝したのは、東京府立第二高等女学校(現・竹早高校)の4年生、「児矢野昌子嬢」。女性の名前につける「嬢」は、この時代にはよく見られますが、現在は使いません。後段に「さん」を用いているところもあるので、こちらにそろえてもらいましょう。

 主催はキリスト教青年会(YMCA)だったようです。っと、よく見ると「YM・C・A」になっていますね。行末から次の行頭にまたがっての字のダブりや脱字は大変気づきにくく、誤りが発生しやすいポイントです。もしかすると行が変わっているから区切る点は不要と当時は考えたのかもしれませんがやはり少し不格好。「Y」「M」の間にも「・」を入れるか、全部抜くか、統一してもらいましょう。

別記事1 第二高女チームと児矢野さんにトロフィーが贈られたことを報じた記事=1927年7月15日付東京朝日夕刊2面拡大別記事1 第二高女チームと児矢野さんにトロフィーが贈られたことを報じた記事=1927年7月15日付東京朝日夕刊2面
 記事によると、児矢野さんは国外に出たことがないのだそう。それでなぜ世界選手権1位? どうも競技は各国で行って、記録だけを米国の主催者側に送り、それで順位を決めているようです。60回中56回成功で、見事世界一の座を獲得した、ということのようです。成功率は.933。もちろん単純比較はできませんが、昨季のNBAのフリースロー成功率1位(125得点以上)は.940(125/133)。NBAトップ級の?成功率で「世界選手権」を制したのでした。

別記事2 愛知県立第一高女がジュニア個人、団体を制したことを報じる記事=1928年3月18日付 東京朝日朝刊3面拡大別記事2 愛知県立第一高女がジュニア個人、団体を制したことを報じる記事=1928年3月18日付 東京朝日朝刊3面
 記事には、3校のチームが5人ずつ参加したとあります。東京で児矢野さんが通う第二高女と、第一高女(現・白鴎高校)、名古屋で愛知淑徳高女(現・愛知淑徳高校)。これだけでは分からないのですが、続報を見ると、児矢野さんだけではなく、第二高女自体もチーム優勝していることが分かります(別記事1)。米国から送られてきたトロフィーを、駐日米国大使が渡すという立派な授与式が第二高女で開かれています。

 この年以降、1931年まで毎年この大会の記事が載っていました。翌年の28年にはジュニアの部で個人、団体ともに愛知県立第一高女(現・明和高校)が優勝したことが報じられています(別記事2)

 29年には、男子インターミディエイト(シニアとジュニアの中間)でサンフランシスコ在住の日本選手が団体・個人優勝、女子もインターミディエイトとジュニアの個人、団体を日本が制しています(別記事3)

別記事3 1929年大会の結果を報じる記事=1929年9月22日付東京朝日朝刊3面拡大別記事3 1929年大会の結果を報じる記事=1929年9月22日付東京朝日朝刊3面

別記事4 1930年大会の結果を報じる記事=1930年4月5日付東京朝日朝刊3面拡大別記事4 1930年大会の結果を報じる記事=1930年4月5日付東京朝日朝刊3面
 30年の記事は短行ですが、女子下級生組(ジュニア?)で東京の頌栄高女(現・頌栄女子学院高)が個人、団体を制覇したことを伝えています(別記事4)

別記事5 1931年大会の日本での競技会の記録を掲載し、展望を紹介する記事=1931年3月10日付 東京朝日朝刊3面拡大別記事5 1931年大会の日本での競技会の記録を掲載し、展望を紹介する記事=1931年3月10日付 東京朝日朝刊3面
 31年には日本での競技会終了後の記録を並べ、今年も優勝が出そうだ、という展望記事が出ていましたが(別記事5)、これ以降ぷっつりと記事は途絶えていました。

別記事6 29年大会のトロフィー授与式を報じる記事。4行目に参加国が「九ケ国」とある。東京の第一高女が個人、団体ともに女子ジュニアの部優勝=1929年9月26日付東京朝日夕刊2面拡大別記事6 29年大会のトロフィー授与式を報じる記事。4行目に参加国が「九ケ国」とある。東京の第一高女が個人、団体ともに女子ジュニアの部優勝=1929年9月26日付東京朝日夕刊2面
 短期間ではありますが、驚くくらいの日本勢の大活躍。しかしさすがに少し疑問が残ります。この大会、いったいどんな大会だったのでしょうか。よく見ると、29年大会のトロフィー授与式の記事に「参加9カ国」とあります(別記事6)。さほど規模は大きくなかったのでしょうか。

 日本バスケットボール協会に問い合わせたところ、協会の50年史「バスケットボールの歩み」に詳細が記されていました。もともとフリースロー大会は米国で盛んに行われていて、この大会は1923年にサウスカロライナ州チャールストンで始まったもののようです。25年秋にはすでに東京YMCAに「国際トーナメント」への招待の知らせがあったとのことでした。

 男子は7人、女子は5人のチームで参加し、個人戦も兼ねる方式。1人につき2回チャレンジできたようです。27年大会の女子はシニア(16歳以上)とジュニアの2部門、男子は間にインターミディエイトが入った3部門で行われたようで、児矢野さんたちはシニアの部での優勝でした。ちなみに50年史では、児矢野さんの記録を「60本中57本」としています。記事の「五十六ゴール」と食い違っていますが、どちらが正しいのかは分かりませんでした。

 50年史には29年大会までの記録が紹介されており、その後は「何回かを経て消滅してしまった」としていました。記事が31年までしかないのも、大会が無くなってしまったからかもしれません。

 一方、この児矢野さんの優勝を伝えるAP通信の記事を載せていた、当時の米国の新聞をいくつか見つけました。それによると、大会名は「the world basketball free throw tournament」。「世界」を冠した大会であるということは間違いなさそうです。ただ、日本人の女学生が勝ったという「話題もの」の記事で、扱いは大きいとは言えません。大会が注目を集めるほどの規模ではなかったからでしょうか。今回はこれ以上のことは分かりませんでした。

 バスケットボールは1891(明治24)年末に、米国のYMCAがその原形を考案しました。最初は9人制から始まり、今のような5人制になったのは1897年のこと。今回のフリースロー大会はそれからまだ30年、米国では既にかなりの人気だったようですが、さらなる普及をはかって、「世界」大会をYMCAが企画したのかもしれませんね。日本には、バスケは1908(明治41)年に伝わったとされていて、21(大正10)年には全日本選手権(男子)が始まっています。すでにわりと浸透していて、このように優勝が続出したのかもしれません。

 大規模ではなくとも、「世界」を冠する大会を日本人の女学生が制した!というのは、当時の日本ではやはり大きなニュースだったのでしょうね。当時の5大紙の時事新報や報知新聞も写真入りで優勝トロフィーのことを伝えていました。

 朝日新聞社が当時出版していたスポーツ雑誌「アサヒスポーツ」でも大きく取り上げていました。ちょうどその頃に出た「臨時増刊 女子競技号」巻頭に、児矢野さんのシュートシーンを1ページまるまる載せています。

 別の号の記事によると、児矢野さんたちのチームはとても研究熱心で、「フリー・スローを確実にする事はゲームに勝つ最大な要因だ」と普段から練習に励んでいたとのこと。日々の鍛錬の成果を本番で存分に発揮した、もうそれだけで称賛されるべき栄冠ですね。


【現代風の記事にすると…】

18歳の児矢野さん 世界を制す バスケ・フリースロー選手権

 米チャールストンで2日、バスケットボールの世界フリースロー選手権大会の結果が発表され、日本の女子生徒が女子シニアの部で1位を獲得した。聯合通信が伝えた。

 女子生徒は、東京府立第二高等女学校4年の児矢野昌子さん(18)。意外なことに、児矢野さんは米国はおろか国外には一歩も出たことがないという。

 実はこの大会、主催は米国のキリスト教青年会(YMCA)だが、競技会は各国で開かれた。その結果を米国に集め、今回順位が発表されたというわけだ。

 日本での競技会は2月1日。第二高女と東京府立第一高女のバスケットボール部の正選手5人ずつが第二高女のコートで競技した。また名古屋でも愛知淑徳高女チーム5人が挑んだ。その結果、児矢野さんが60回中56回成功という好記録を打ち立てた。

 中肉中背、あどけなさも残る児矢野さんは吉報を聞いて、「やはりあれは私のことでしたか。こんなにうれしいことはありません」と喜んだ。「バスケットボールは2年の春から始めました。毎年様々な競技会に出ましたが、いつも惜しいところで負けていたのです。今回は自校での開催だったので、普段の練習と同じ気持ちで臨めました。最初はとても調子がよく、全部入れられるかとも思ったのですが、25本目あたりで外してしまって……。終盤も緊張して、結局4本外してしまいました。それでも56回成功という成績は予想外でした」

(広瀬集)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください