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昔の新聞点検隊

「埃及王の木乃伊」と黄金のひつぎ

板垣 茂

1924(大正13)年2月14日付東京朝日朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1924(大正13)年2月14日付東京朝日朝刊7面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

埃及王の
木乃伊発見
金色燦爛たる箱に収め

【ルクソル(埃及)十二日発】 昨年発見されたエジプト古代の君主ツータンカーメン王の石棺を開く為めエジプト政府の古物局長ラカウ氏が当地に出張して来たが本日同局長立会の上で愈石棺の蓋が開かれた処果して噂のごとく中からツータンカーメン王の木乃伊が発見された、木乃伊は長さ約一丈の箱に収められてあり箱の周囲は金を以て鏤められ埃及で今日迄に発見された最も見事なものであった

(1924〈大正13〉年2月14日付東京朝日朝刊7面)


【解説】

 ちょうど90年前、エジプト・ルクソールの「王家の谷」である出来事がありました。有名なツタンカーメン王(トゥト・アンク・アメン、紀元前1300年代在位)の墓の中から、とうとう黄金のひつぎが現れたのです。今回はそのことを報じた記事を読んでみます。まずは見出し「埃及王の木乃伊発見」から。

 「埃及」はエジプトのことですが、そのまま読めば「あいきゅう」。旧仮名遣いなら「あいきふ」となりますが、これは語尾の発音が「p」になる昔の中国語を反映しています。笹原宏之・早稲田大教授(日本語学)によると、「埃及」の表記は1854年に香港で刊行された月刊誌に使用例がある一方、語尾の「p」音は今でも中国南方を中心とした方言の特徴として残っているので、「エジプ(ト)」を「埃及」と書くのは広東語から来ていると考えられます。「埃」はホコリや砂煙を意味しますから、砂漠の国を連想させますね。

 「木乃伊」は約650年前の中国の書物に見られるのが一番古い例で、発音は「ムーナイイー」。英語の「マミー(mummy)」など、ヨーロッパでミイラを意味する語の発音を写したといわれますが、「マミー」の語源とされるアラビア語の「ムミアイ」からとする説もあります。一方、「ミイラ」は日本独特の呼び方で、古代エジプトで遺体保存に使われた没薬(もつやく)の「ミルラ」から来ているとされます。つまり「木乃伊」を「ミイラ」と読むのは当て字なのです。

①最後の人形棺が開けられ、ツタンカーメンのミイラが確認されたことを報じる記事=1925年11月15日付東京朝日朝刊11面拡大①最後の人形棺が開けられ、ツタンカーメンのミイラが確認されたことを報じる記事=1925年11月15日付東京朝日朝刊11面
 というわけで、見出しは「エジプト王のミイラ発見」とうたっているのですが、これは正しい表現とは言えません。実は、この記事の翌年の11月に「いよいよ石棺の内部に安置された人体形の小棺も無事開かれ」と報道されていて、ミイラそのものが確認できたのは、その時だったからです=記事①

ツタンカーメン王のミイラが納められていた人形棺と石棺=1965年8月25日付アサヒグラフ増刊「ツタンカーメン展」拡大一番外側の人形棺と石棺=1965年8月25日付アサヒグラフ増刊「ツタンカーメン展」
 発掘を手がけた英国人ハワード・カーターの「ツタンカーメン発掘記」(酒井伝六、熊田亨訳)によると、ミイラは3重の人形棺に納められ、人形棺は四角い石棺に納められ、石棺は4重の厨子(ずし=前面に扉のついた金貼りの木箱)に納められて、計8重に守られていました。1924年2月に発見されたのは、記事に「石棺の蓋が開かれた処」とあるように一番外側の人形棺であって、ミイラはまだ3重の人形棺の中に隠れていたのです。その直後、エジプト政府とカーターとの間にトラブルが起こって作業が中止され、再開は翌年まで待たなければなりませんでした。

 ちなみに3重の人形棺は、外側の二つは金貼りの木製でしたが、一番内側のものは純金で出来ていました。さらにその下に、有名な黄金のマスクを着けた王のミイラが眠っていました。

②ナセル大統領の決断でツタンカーメン王の秘宝の来日が決まったことを報じる記事=1965年7月6日付東京本社版朝刊11面拡大②ナセル大統領の決断でツタンカーメン王の秘宝の来日が決まったことを報じる記事=1965年7月6日付東京本社版朝刊11面
 本文では一番外側の人形棺を「長さ約一丈(約3メートル)の箱」と表現していますが、「発掘記」によると「7フィート4インチ(約2.2メートル)」です。当時はそこまで詳しいデータが入手できたか分かりませんが、「現代風の記事」ではこちらを使わせていただきます。

 朝日新聞紙上にツタンカーメンが初めて登場するのは今回の記事の前年の23(大正12)年。以後、いずれも短い記事ばかりで、39(昭和14)年でいったん姿を消してしまいます。豪華で美しい数々の秘宝が出土したのに意外ですが、写真がないので、そのすごさが伝わらなかったのでしょうか。

 次に紙面に登場するのは26年も後の65(昭和40)年。この年8月から翌年1月まで東京・京都・福岡の3会場で開かれた「ツタンカーメン展」の予告記事で、黄金のマスクの大きな写真が印象的です=記事②。同展の入場者は293万人という、日本の展覧会史上記録的な数字に達しました。黄金に宝石がはめ込まれた装身具、王の生活をしのばせるベッドや椅子などの豪華な副葬品を肉眼で見るインパクトには、計り知れないものがあったと見えます。


【現代風の記事にすると…】

古代エジプト王の
黄金の人形棺発見

 エジプト・ルクソールの王家の谷にあるツタンカーメン王の墓では昨年、石棺が発見されていたが、エジプト政府のラコー古物局長立ち会いの下で12日、そのふたが開かれた。中には予想されたように王の姿を写した人形棺が横たわっていた。長さ約2.2メートルで金に覆われており、これまでエジプトで発見された中で最も見事なものと思われる。

(板垣茂)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください