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昔の新聞点検隊

幻の遷都論/関東大震災(12)

1923(大正12)年9月13日付 大阪朝日朝刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1923(大正12)年9月13日付 大阪朝日朝刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

遷都論消滅

震災の結果東京の目貫の場所は全滅した 従って新東京復興は容易ではない 殊に国都は比較的安定地帯を択ばねばならぬといふ意見から今日一部に遷都論が可なり喧伝されて居る模様であるが今回の大詔煥発によって根本的に打ち壊され依然として国都は東京と定められた訳である 政府当局としては今後新東京の建設に最善の努力を払ひこれが機関を設置して万遺憾なきを期する方針であるといふ

(1923〈大正12〉年9月13日付大阪朝日朝刊1面)

 
【解説】

 関東大震災の関係紙面をふり返るシリーズ。12回目は、幻に終わった「遷都論」をとりあげます。

 震災で東京の中心部は、大きな被害を受けました。地震に強い地域に、首都を移すべきだとの意見が一部からでます。

 「関東大震災」(吉村昭著・文春文庫)などによると、首都移転は当時の陸軍内部でも議論されました。上官から極秘裏に検討を命じられたある軍人は、次のような案を出します。

 「遷都の第1候補は朝鮮半島の京城の南の竜山、第2候補は兵庫県加古川、やむを得ぬときは東京の八王子付近」

 文献を参考にしながら、震災対応や防空、大陸進出なども考え、三つの候補地を挙げたといいます。

 ただ、未曽有の混乱のなかでの遷都論は、人心の動揺をもたらすという意見もでました。陸軍の検討案は立ち消えとなります。

◇  ◇  ◇

社説でも遷都論を展開した=1923年9月9日付大阪朝日朝刊1面拡大社説でも遷都論を展開した=1923年9月9日付大阪朝日朝刊1面
 当時の大阪朝日新聞でも、遷都論が展開されました。9月9日付朝刊1面を繰ると、題字の横に「論説 帝都復興と遷都論 国民多数の希望を容れよ」の見出しが載っています。長行ですが、記事の大まかな内容はこうです。

 「近畿は関東に比べて大きな天災が少なく、台湾、朝鮮半島が支配下にあることから、地理的にも日本の中心といえる。再び京都への遷都を求める声が出ている。大阪や神戸にも近く、物資も安定供給できる。引き続き首都は東京にすると速断せず、広く国民の意見をいれて決めてほしい」

 大阪朝日の論説掲載から数日後、天皇の命を伝える詔書がでます。遷都しないことが正式に決まりました。震災発生から2週間足らず、遷都論は幻に終わりました。

◇  ◇  ◇

 それでは、冒頭の記事の校閲。

 まず、「東京の目貫の場所は全滅した」というくだり。「全滅」は表現が強すぎないでしょうか。書き換えを提案してみます。

 「今回の大詔煥発(かんぱつ)」の「煥発」は「渙発」ではないでしょうか。辞書を引くと、「煥発」は「輝くように現れ出ること」。「渙発」は「詔勅を広く発布すること」。確認を求めます。

 「遷都論が可なり喧伝(けんでん)されて居る模様であるが今回の大詔煥発によって根本的に打ち壊され」の、「論」を「打ち壊す」はどうでしょう。意味はわかりますが、二つの語はそぐわないと思います。こちらも表現をかえられないか検討してもらいます。


【現代風の記事にすると…】

首都復興機関 政府が新設へ 遷都論は幻に

 東京を引き続き首都とする詔書を受け、政府は首都復興を担う新たな機関を設ける方針を決めた。比較的地震に強い地に遷都すべきだとの一部意見は立ち消えとなった。

(高島靖賢)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください