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昔の新聞点検隊

「なれ合い解散」と伝家の宝刀

上田 孝嗣

1948(昭和23)年12月24日付東京本社版朝刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1948(昭和23)年12月24日付東京本社版朝刊1面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

衆議院きのう解散 総選挙・一月廿三日を予定

野党八派連合の吉田内閣不信任案は二十三日夜の衆議院本会議で可決されたので、政府は同夜直ちに衆議院を解散した、総選挙の日取りは二十四日朝の閣議で決めるが、総選挙の告示は二十九日、総選挙施行日は、新年一月二十三日とすることが確定的と見られる、

しかし閣内の一部には一月二十三日以降にする論もある、昨二十三日夜、政府は不信任決議案可決の直後、臨時閣議を開いて協議の結果、野党は総辞職を要求したが、政府は憲法第六十九条に基いて衆議院の解散をもって応えることとし、解散の詔書原案を決定して直ちに吉田首相が皇居に行き、天皇陛下に助言、これに伴って解散の詔書が発せられた、よって政府は詔書の写しを本会議続開中の衆議院に携え、松岡議長はこれを本会議場で朗読、新憲法下、初の解散が行われた、政府はすでにさる十六日立候補者の資格審査期間を省略するむねの総理庁令を公布しているので、選挙戦は解散直後に予想される政界汚職事件発展のあらしのなかに、正月をはさんで展開されることとなろう

解散の詔書

衆議院において内閣不信任の決議案を可決した、よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第六十九条および第七条により、衆議院を解散する。

 御名御璽

 昭和廿三年十二月廿三日 内閣総理大臣 吉田 茂

(1948〈昭和23〉年12月24日付東京本社版朝刊1面)


【解説】

 11月21日、衆議院が解散されました。そして12月2日は第47回衆議院議員選挙の公示日。今日から14日の投開票日に向けて、全国で本格的に選挙戦が展開されます。

 ■衆院解散のネーミング
 解散の時期 首 相 ネーミング
1948年12月 吉田  茂 なれ合い解散※ 
52年 8月  抜き打ち解散
53年 3月  バカヤロー解散※
55年 1月 鳩山 一郎 天の声解散
58年 4月 岸  信介 話し合い解散
60年10月 池田 勇人 安保解散
63年10月  所得倍増解散
66年12月 佐藤 栄作 黒い霧解散
69年12月  沖縄解散
72年11月 田中 角栄 日中解散
76年11月 三木 武夫 ロッキード選挙*
79年 9月 大平 正芳 増税解散
80年 5月  ハプニング解散※
83年11月 中曽根康弘 田中判決解散
86年 6月  死んだふり解散
90年 1月 海部 俊樹 消費税解散
93年 6月 宮沢 喜一 政治改革解散※
96年 9月 橋本龍太郎 新選挙制度解散
2000年 6月 森  喜朗 神の国解散
03年10月 小泉純一郎 マニフェスト解散
05年 8月  郵政解散
09年 7月 麻生 太郎 追い込まれ解散
12年11月 野田 佳彦 近いうち解散
14年11月 安倍 晋三 ?
 *ロッキード選挙は任期満了に伴う公示
 ※は内閣不信任を受けた解散
 今回の衆院解散は「アベノミクス解散」「独りよがり解散」などと呼ばれていますが、今までの解散にも解散時の状況に合わせた通称があります=。今回は、1948(昭和23)年末の「なれ合い解散」の記事を取り上げます。47年5月の日本国憲法施行後、初めての解散総選挙でした。

 当時の記事を現在の校閲記者の視点から点検していきましょう。

 まず、大きな見出しの「きのう解散」。朝刊の記事は前日の出来事を報じるものがほとんどですので、今では「きのう」と入れることはまずありません。隣の行の「総選挙・一月廿三日を予定」も今なら「1月23日投票か」などとするでしょうか。

 記事の2行目の「総選挙の告示」は、選挙をすると広く知らせることですが、憲法7条(天皇の国事行為)に「国会議員の総選挙の施行を公示すること」とあるので、今の紙面では「公示」としています。

 当時の政治状況を簡単に振り返ってみましょう。

 47(昭和22)年4月の衆院選で、日本社会党(片山哲委員長)が143議席と躍進し第1党となりました。124議席の民主党、31議席の国民協同党との連立による片山内閣が成立。吉田茂首相が率いた日本自由党は131議席と社会党に敗れ、下野しました。しかし片山内閣は、社会党の左右両派の対立や民主党の分裂などが続き、9カ月余で倒れます。

 続いて48年3月に芦田均・民主党総裁を首相とする内閣が発足します。しかし、同年6月に昭和電工事件が発覚。化学肥料メーカーの昭和電工が、肥料増産政策の中で復興金融公庫から巨額の融資(23億6千万円)を受けようと、政官財界に贈賄したとされる事件です。西尾末広・前副総理(社会党)や、福田赳夫・大蔵省主計局長(後の首相)らが逮捕され、10月に芦田内閣は総辞職。芦田氏も12月に逮捕されました。収賄側は裁判で多くが無罪となりました。

 紆余曲折(うよきょくせつ)を経て民主自由党(48年3月に日本自由党と民主党離党議員による民主クラブが新党結成)により48年10月に発足した第2次吉田内閣でしたが、少数単独政権であったため、安定勢力確保のため早期解散による総選挙を目指します。野党の社会・民主両党は反対しましたが、日本の政局を安定させたいという連合国軍総司令部(GHQ)の仲介もあって、内閣不信任決議案を提出。これが可決されて衆院解散、総選挙となりました。

 汚職事件の嵐が吹き荒れる中で選挙をすれば、芦田内閣の与党だった民主党や社会党、国民協同党に批判が集まるのは必至。それなのに民主自由党との協議の結果、出したくもない不信任案を出して解散したことから「なれ合い解散」と言われます。

 今年の解散は安倍晋三首相が解散権を行使しました。つまり憲法第7条(天皇の国事行為)による解散です。なれ合い解散でわざわざ野党に不信任案を出させたのは、当時は7条が解散の理由になると広く認められていたわけではなかったからです。

 当時、与党・民自党が7条による解散を主張したのに対し、野党は解散は憲法第69条(内閣不信任案の可決など)によるものに限るとして対立しました。協議の結果、不信任案が提出・可決されましたが、解散の詔書には解散の根拠として7条と69条の両方が記されました。

 吉田首相は1952(昭和27)年8月にも7条を根拠に「抜き打ち解散」をしました。この時は失職した前議員が、69条によらない解散は憲法違反で無効だとして提訴しました。最高裁は60(昭和35)年、「解散は高度に政治性のある行為で、その判断は政府、国会などの政治部門の判断にまかされ、最終的には国民の政治判断にゆだねられる」「解散の法律上の有効無効を審査をする権限は司法裁判所の権限の外にある」などとして上告を棄却。以後これが踏襲されて7条による解散が首相の専権事項、「伝家の宝刀」とされています。

なれ合い解散後の衆院選の結果を伝える紙面。「民自党絶対多数」「社党、予想外の惨敗」などの見出しが見える=1949年1月25日付東京本社版朝刊1面拡大なれ合い解散後の衆院選の結果を伝える紙面。「民自党絶対多数」「社党、予想外の惨敗」などの見出しが見える=1949年1月25日付東京本社版朝刊1面
 新憲法下の衆院解散は24回ありますが、内閣不信任決議案可決を受けた解散は、「なれ合い解散」のほか、53年3月の第4次吉田内閣の「バカヤロー解散」(「天下を揺るがしたつぶやき『バカヤロー』」参照)、80年5月の第2次大平正芳内閣の「ハプニング解散」、93年6月の宮沢喜一内閣の「政治改革解散」の4回。しかし、解散の理由として69条を挙げたのは、なれ合い解散で7条と併記する形を取った1度だけです。

 ちなみに、なれ合い解散のあと48年12月27日に公示、翌年1月23日に投票された第24回衆院選では、与党・民自党が264議席と大勝しました。昭和電工事件などの批判を受けた前政権与党は惨敗。社会党は解散時の111議席が48議席に、民主党も90議席が69議席に、国民協同党は29議席が14議席にと、いずれも激減しました。

第47回衆議院議員選挙の投票日は12月14日拡大第47回衆議院議員選挙の投票日は12月14日
 解散権は「伝家の宝刀」として、多くは政権基盤の強化に有効な時期を狙って使われてきました。ただ、思惑通りに行くとは限りません。選挙で政治の流れを決めるのは、有権者一人ひとりの一票です。

 民主党から政権を奪還した自民党・安倍政権の2年間の政権運営を有権者はどう評価するのでしょうか。14日の投開票の結果を注視していきたいと思います。

【現代風の記事にすると…】

衆議院が解散 総選挙は来年1月23日投票か

 23日夜、野党8派連合が提出した吉田内閣不信任決議案が衆議院本会議で可決された。政府は同夜直ちに衆院を解散した。総選挙の日程は24日朝の閣議で決められるが、29日公示、来年1月23日投票とすることが確定的とみられる。ただし、閣内にはなお1月23日以降の投票を求める意見もある。

 不信任案可決の直後、野党は内閣総辞職を要求。政府は臨時閣議を開いて協議した結果、憲法第69条に基づいて衆院を解散することとし、解散の詔書原案を決定した。直ちに吉田茂首相が皇居の天皇陛下に助言、政府は発せられた解散の詔書の写しを本会議継続中の衆院の松岡駒吉議長に手渡した。同議長は本会議で朗読し、新憲法下で初の解散が行われた。

 政府は候補者の資格審査期間を省略する旨の総理庁令を16日に公布している。解散直後に予想される政界汚職事件の捜査が進展するなか、正月をはさんで選挙戦が展開されることになる。

解散の詔書

 衆議院において内閣不信任の決議案を可決した。よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第69条および第7条により、衆議院を解散する。

 御名御璽

 昭和23年12月23日 内閣総理大臣 吉田 茂

(上田孝嗣)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください