昔の新聞点検隊
(2014/12/23)
●新橋駅の最終日
▽高橋駅長の感慨
新橋駅! 如何に其名が懐しく響くよ! ああそれも今日からは
▲思ひ出の種 となった、本邦最初の停車場として、明治五年九月十三日の開通式以来帝都の南門として、幾千万の旅客を呑吐した新橋停車場も、澎湃として打寄する時勢の潮の鉄の如き力に押されて、昨日を限り一個の記念物と化されて了った、十九日の夜九時過ぎ、冴え返る満天の星を仰ぎながら、今日しも東京駅へと引越しの最中なる新橋駅にと別れを告げに行く
(中略)
平常は十一時半迄店を開けて居る構内の旅行用品買店も、片っ端から取片付けられて、店の主人は「明日から新しい新橋駅の方で店を開きます」と名残惜し気な句調で語る、此混雑の中を駅長室へ行って見る、外套を着て帽子を冠った
▲高橋老駅長 は半、取り片付られた室内の冷く光る姿見の反射を浴て卓子に凭り、二名の駅員と給仕を相手に抽斗の整理をして居たが記者の姿を見るなり「やア君今日は愈御別れだ」と例の穏かな調子で椅子を薦めながら言葉を継ぐ、「自分が此駅の駅長として
▲此室の此椅子 へ坐るやうになったのは明治二十八年で、爾来二十年の月日は夢のやうに過ぎたが、今夜十二時二十三分の着車を迎へると同時に、思出多い停車場を去るかと思ふと、何となく悲しいやうな気がする、今夜は全員徹人の知れぬ苦心をした、夜で準備をするので、廿日の午前三時頃迄には大概片付く事と思ふから其の上で一同へ引越し蕎麦の積りでウント蕎麦を御馳走し、それから皆の者を駅内の広場に集めて、益職務に勉励せねばならぬと云ふ
▲意味の訓示 をする積りである」
(後略)
(1914〈大正3〉年12月21日付東京朝日朝刊5面)
【解説】
今月20日、東京駅が開業100周年を迎え、記念のICカードを求める人が殺到して販売が中止される騒ぎになりました。実は100年前のこの日、東京駅がデビューしただけではなく、周辺の駅にも変化がありました。今回はそのことを書いた記事をご紹介します。
まず見出しの「新橋駅の最終日」を見て驚かれる方が多いのではないでしょうか。現在、新橋駅は東海道線などJR4路線と地下鉄2路線が通り、ゆりかもめも発着する主要駅としてにぎわい、「サラリーマンの聖地」としても有名です。それが100年前に「最終日」とはどういうことなのでしょう。
当時、東京鉄道管理局が朝日新聞に載せた広告があります。12月20日の東京駅開業を告知するものですが、その中に「新橋駅を汐留駅と改称し一般大貨物を扱ふ」「烏森駅を新橋駅と改称し一般旅客、手、小荷物を扱ふ」と見えます=画像①。
1872(明治5)年に日本最初の鉄道駅として誕生し、「鉄道唱歌」で「汽笛一声新橋を……」と歌われた新橋駅は、42年後に東京駅が出来ると首都の玄関口としての機能を譲り、貨物専用の汐留駅に名を改めました。一方で、新橋駅の名は当時の烏森駅に引き継がれました。広告はその事情を物語るものです。現在の新橋駅はこの旧烏森駅にあたり、いわば2代目新橋駅なのです。
記事本文のチェックに移りましょう。東京駅開業前夜の初代新橋駅の様子が、寂しげに描かれています。思い入れたっぷりな調子の文章は、記者がこの駅に何度も出入りし、駅長とも親しかったことをうかがわせます。
駅構内で閉店作業中の「旅行用品買店」は「売店」に、店の主人が「名残惜し気な句調で語る」とあるのは「口調」に直すべきでしょう。「高橋老駅長」がいきなり登場しますが、今なら最初はフルネームにするところ。調べてみると、新橋駅の前に大阪、名古屋両駅長も務めた高橋善一氏のことで、当時57歳ぐらい。初代東京駅長にも就任していますから、新橋駅長もまた東京駅に引っ越したわけです。
高橋駅長は記者に椅子をすすめて語りかけますが、そのセリフの中に「今夜は全員徹人の知れぬ苦心をした、夜で準備をするので」という、意味不明な箇所があります。よく読むと、「全員徹夜で準備をするので」とある中に「人の知れぬ苦心をした」という別の文章が紛れ込んでいるようです。記者がいれば本来の場所に挿入し直してもらいたいところです。
◇ ◇ ◇
当時の記事を追っていて分かったのですが、初代新橋駅は当初、その名前のまま貨物駅に変わる計画でした。ところが当時の東京市15区のうち南部の5区の市民が、新橋駅が旅客駅でなくなることで地域がさびれるのを心配し、(1)烏森駅に急行を停車させる(2)同駅を新橋駅と改称する……の2点を要求して5区連合市民大会を開きます。更に大会実行委員が鉄道院の正副総裁や大隈重信首相に会って陳情するなどした結果、名称変更が実現したようです=画像②~④。
こうして烏森駅に名前を譲り、代わりに「汐留駅」を名乗った初代新橋駅は、時代が進むにつれてトラック輸送などが発達したため、1986年に貨物駅としての役割を終えます。その跡地は「汐留シオサイト」として再開発され、2002年には都営大江戸線とゆりかもめの駅として汐留駅が復活しました。03年には初代新橋駅舎も元の位置に復元され、林立する高層ビルの間にその姿を見ることができます=画像⑤。
この復元駅舎の中には鉄道歴史展示室があり、今月から東京駅100周年を記念した企画展「東京駅開業とその時代」が開かれています。来年3月22日まで。新橋駅や今回取り上げた記事に関する展示もありますので、興味がおありの方はぜひお出かけ下さい。
【現代風の記事にすると…】
さよなら新橋駅 東京駅開業で貨物駅に
日本最初の鉄道駅として1872(明治5)年に開業以来、首都の南の玄関口だった新橋駅は、東京駅開業に伴ってその地位を明け渡し、旅客が乗り降りしない貨物駅とされてしまった。19日の夜9時過ぎ、さえ返る満天の星を仰ぎながら、東京駅へと引っ越しの最中の新橋駅に別れを告げに行った。
(中略)
いつもは午後11時半まで開いている構内の旅行用品の売店は片付けられ、店主は「明日から新しい新橋駅の方で店を開きます」と名残惜しげな口調で言う。混雑の中を駅長室へ行ってみると、高橋善一駅長が半ば片付いた室内で、駅員らと引き出しの整理をしていたが、記者を見て「やあ君、今日はいよいよお別れだ」と椅子をすすめて語り出す。
「私がここの駅長となって以来20年の月日は夢のように過ぎた。午前0時23分着の列車を迎えると同時に思い出多い駅を去るかと思うと、何となく悲しいような気がする。全員徹夜で準備をするので、午前3時ごろまでには大体片付くだろう。引っ越しそばのつもりで皆にうんとそばをごちそうしたら、駅の中の広場に集めて、東京駅でも頑張るよう訓示するつもりだ」
(後略)
(板垣茂)
※12月30日、1月6日は休載します。次は1月13日に更新の予定です。
原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から
等の手を加えています。ご了承ください