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昔の新聞点検隊

国産機で東京―ロンドンの世界記録!

菅野 尚

1937(昭和12)年4月10日付東京朝日朝刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1937(昭和12)年4月10日付東京朝日朝刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

〝神風〟の覇業遂に成る 今暁倫敦に安着 十日午前零時三十分(日本時間) 燦たり世界新記録!

【ロンドン・クロイドン飛行場にて香月聴濤両特派員九日発】「神風」号は九日午後三時廿四分クロイドン飛行場上空に英姿を現し旋回二回、高度を落し更に低空を半ば旋回して午後三時三十分(日本時間十日午前零時三十分)見事なる着陸振りで遂に英京ロンドンにゴールインした【写真は両鳥人】

【ロンドン郊外・クロイドン飛行場香月特派員九日発】神風号パリ出発の報せはクロイドンに入った、飛行場には既に在留邦人が空を仰いで〝神風〟を待つ、そこへまた大型バス三台で在留邦人約百人が乗りつける 後から後から押しよせた邦人は全部で五百人を突破 早くも「バンザイ……」「バンザイ……」の絶叫だ、口々に「もう大丈夫、おめでたうおめでたおう」と云ひあってゐるのもロンドン始まって以来の涙ぐましい光景だ

飛行場内には早朝より映画自動車六台が入口近くの柵にそって放列を布き車上にトーキー撮影機を据えつけてゐる、も一つのトーキー映画班は飛行場事務所の屋上に待機してゐる、その他新聞写真班新聞記者数十人は早くも活動を開始し出迎へに来た日本人が日の丸の小旗を持ったところや花束を持った姿などを盛んにカメラにをさめてゐる、吉田大使が国際砂糖会議米国代表ノーマン・デヴィス氏との会見約束のため姿を見せずやや寂しさを感じたが邦人の数はなほも刻々に増加、場内事務所の正面に日の丸の大旗一旒を立てその周囲に手に手に日英国旗を持って待ってゐる、その他英国側よりの出迎へ者は

センビル卿、ジャパン・ソサィエティ前会長サー・チャールズ・セール氏、同副会長サー・エドワード・クロー氏、新聞記者協会長スチュアート氏、FAI(国際航空聯盟)ロンドン支部長ペリン氏、日本人側からは松山商務官、辰巳、山本陸海軍武官、大使館より数人、加納正金支店長始め三井、三菱その他各銀行、会社支店長、目下訪英中の日魯漁業重役進藤氏それに本日飯沼、塚越両勇士に花環を捧げることになってゐる吉田大使令嬢かず子さん加納正金支店長令嬢ひで子さんなど

誰も彼もが興奮に頬をほてらせてゐる

このほか英国新聞のセンセーショナルな報道に強く興味を煽られた英国人男女子供などが或は自動車、或はバス、自転車などで詰めかけ場内に入れないので飛行場を囲む鉄柵によって見てゐる、又飛行場脇のホテルの屋上には鉄柵によれない英国人がギッシリ詰まってゐる 

待つよと見る間に爆音、つづいて機影、あっと思ふ瞬間はや〝神風〟は飛行場北西に現れ機首を下げた 神風号は場内西南部に向って着陸を試みたが些かの不安気もなく辷るが如く着陸した、余りの見事さに内外の出迎人より盛んな拍手、歓声が挙がる、場内西北部に着陸した「神風」号はそのまま場内中央部に滑走を続け日本人出迎人三百の蝟集した前面に停止するや大型日章旗一旒その他日英の小国旗を打振る日本人、出迎への英国人、新聞記者、写真班が忽ち機体の脇に殺到し群衆に取巻かれ写真班のカメラに取巻かれてしまった

 (紙面の一部、他は省略)

(1937〈昭和12〉年4月10日付東京朝日朝刊2面)


【解説】

 日本初のジェット旅客機「MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)」の飛行実験が、今年から始まるかもしれません。日本で旅客機を開発するのはプロペラ旅客機のYS11以来で、約50年ぶりとのことです。日本の飛行機と言えば、第2次世界大戦中の「零式艦上戦闘機(零戦)」が有名ですが、旅客機の開発は遅れていました。

神風の出発をページ全面を使って報じた=1937年4月6日付東京朝日朝刊2面拡大神風の出発をページ全面を使って報じた=1937年4月6日付東京朝日朝刊2面
 さて、今回紹介するのは、今から78年前の戦前の話です。国産の飛行機で日本人が当時の世界記録を打ち立てた時の記事です。アメリカの飛行家チャールズ・リンドバーグによる1927年のニューヨークからパリへの大西洋単独無着陸飛行から10年後のことでした。東京―ロンドン間の1万5357キロを所要時間94時間17分56秒、給油や仮眠時間などを除いた実質飛行時間51時間19分23秒という世界記録で飛行を成し遂げました。ロンドンに到着したときの様子を報じた記事からは、その興奮ぶりが伝わってきます。

 この頃、世界の航空界は大陸横断飛行のスピードを競いあっていたといいます。日本でも記録挑戦への機運が高まりました。その中で写真原稿の輸送のため、航空部を持っていた朝日新聞社が名乗りをあげました。

 「朝日新聞社史 大正・昭和戦前編」によると、朝日新聞社は1925(大正14)年に訪欧飛行を行っています。それから12年が過ぎたこの年は、英国王ジョージ6世の戴冠(たいかん)式が挙行される年にあたることから、社を挙げた一大事業として、ロンドンへの飛行が選ばれたそうです。

 さっそく記事を点検してみましょう。「神風」とは飛行機の名前。新聞紙上で公募し約53万通の応募があり、1万通以上あった「神風」に決まったそうです。見出しの「覇業」は「力をもって天下を支配すること」、力の入った大げさな表現ですが、日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年7月)の数カ月前という時代背景を考えるとうなずけます。記事中、「『神風』号」や「〝神風〟」「神風」と表記がばらついているのが校閲者として気になります。そろえてもらいましょう。「英姿」は、今なら「雄姿」とするのが一般的でしょう。

 使われた飛行機は国産。陸軍が三菱重工名古屋航空機製作所に試作を依頼した偵察用高速機を朝日新聞の航空部に払い下げてもらい改良したそうです。翼幅12メートル、機長8.2メートル。長距離飛行のため燃料タンクと後部座席を増設し、馬力がでるようにエンジンにも改良を加え、時速500キロ、航続距離は2500キロにも達しました。

 リンドバーグの大西洋横断は5810キロを約33時間30分で飛んだそうで、平均時速は約173キロになります。単純に比較はできませんが、神風は相当速そうです。搭乗したのは航空部の飯沼正明飛行士と塚越賢爾機関士。2人は3月に東京―福岡間で試験飛行に挑み、所要時間2時間2分、平均時速は460キロに達したそうです。

 神風は東京・立川の飛行場を4月6日に出発。1日目は台北、ベトナム・ハノイを経て当時フランス領のビエンチャン(ラオス)に到着。2日目はインドを横切りパキスタン・カラチに。3日目はバグダッドから地中海へ向かいアテネまで。4日目はローマとパリを経て、いよいよ目的地のロンドンに向かいます。

 記事には到着をいまかいまかと待ちわびた人々の様子も書かれています。「加納正金支店長」とありますが、「正金」というのは、当時の横浜正金銀行のことと思われます。この方の娘さんには搭乗員に花輪を渡す重要な役目もありますので、肩書には横浜正金銀行と、正式名称を書いてほしいと注文をつけておきます。

朝日新聞社機・神風。1937(昭和12)年ごろの撮影と推定される。着色写真を複写したもの拡大朝日新聞社機・神風。1937(昭和12)年ごろの撮影と推定される。着色写真を複写したもの
 朝日新聞社史によると、「ヨーロッパやアメリカのラジオや新聞ばかりでなく、ソ連でも中国でも新聞は飛行経過を詳報してその成功を賞讃(しょうさん)した」「英国放送協会も飯沼、塚越両鳥人を招いてテレビジョン放送をおこなった」とあります。両氏は5月21日に帰国。銀座でパレードをするなど熱烈な歓迎を受けたそうです。

 日ごろ、紙面に載る空撮の写真などから航空部の仕事ぶりを知っていたつもりでしたが、約80年前に民間人として世界的な偉業を成し遂げた先輩がいたことは、驚きでした。

 そして今年は、日本で新しいジェット旅客機が羽ばたこうとしています。時代をこえて空にかける情熱は綿々と続いているようです。


【現代風の記事にすると…】

神風、東京―ロンドン飛行時間の世界記録樹立! 10日未明にロンドン着

 【ロンドン・クロイドン飛行場=香月・聴濤両特派員9日発】国産飛行機「神風」は9日午後3時24分、クロイドン飛行場上空に姿を現し、2度旋回し、高度を落とし更に低空を半ば旋回して午後3時30分(日本時間10日午前0時30分)、無事に着陸し、英ロンドンに到着した。(写真は飯沼飛行士と塚越機関士)

 【ロンドン郊外・クロイドン飛行場=香月特派員9日発】神風のパリ出発の知らせはクロイドンにも入った。飛行場には既に在留邦人が空を仰いで神風を待つ。そこへまた大型バス3台で在留邦人約100人が乗りつける。後から後から押し寄せ500人を超えた。早くも「バンザイ」「バンザイ」の絶叫だ。口々に「もう大丈夫、おめでとう、おめでとう」と言い合っているのもロンドン始まって以来の涙が出るほど感動的な光景だ。

 飛行場では早朝から映画撮影用の自動車6台が入り口近くの柵にそって放列をしき、車上に撮影機を据え付けている。もう一つのトーキー映画班は、飛行場事務所の屋上に待機している。

 新聞社のカメラマンや記者数十人は早くも取材を開始し、出迎えに来た日本人が日の丸の小旗を持ったところや花束を持った姿などを盛んにカメラに収めている。吉田駐英大使は、国際砂糖会議での米国代表ノーマン・デービス氏との会見の約束があって姿を見せなかったため、やや寂しさを感じたが、見物の人の数は刻々と増加。飛行場内の事務所正面に日の丸の大旗を一つ立て、その周囲には人々が日英国旗を手に持ち待っている。

 その他、英国側から出迎えたのはセンビル卿、ジャパン・ソサエティー前会長サー・チャールズ・セール、同副会長サー・エドワード・クロー、新聞記者協会長スチュアート氏、国際航空連盟(FAI)ロンドン支部長ペリン氏。日本側からは松山商務官、辰巳、山本陸海軍武官、大使館より数人、加納横浜正金銀行支店長を始め三井、三菱その他各銀行、会社の支店長、目下訪英中の日魯漁業役員の進藤氏、それに飯沼、塚越両勇士に花輪を渡すことになっている吉田大使の娘かず子さん、加納正金支店長の娘ひで子さんら。

 誰も彼もが興奮にほおをほてらせている。英国の新聞のセンセーショナルな報道に強く興味をあおられた英国人の男女や子どもらが、自動車や自転車などで詰めかけたものの、場内には入れないので飛行場を囲む鉄柵に近づいて見ている。飛行場そばのホテルの屋上にも見物人がぎっしり詰めかけているのが見える。

 待っている間に爆音の後に機影が見えた。あっという間に神風は飛行場北西に現れて機首を下げた。西南部に着陸を試み、危なげなくすべるように着陸した。あまりの見事さに見物人からは盛んな拍手や歓声があがった。

 着陸した神風はそのまま中央部に滑走を続けた。出迎えた日本人300人の前に停止すると、大きな日章旗や大小の日英の国旗を振る人、新聞記者、カメラマンらが殺到し、取り囲まれてしまった。

(菅野尚)

 ※リニューアル準備のため、3~4月の更新は不定期になります。ご了承下さい。次は3月半ばに更新する予定です。

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください