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昔の新聞点検隊

ハチ公 やっと博士のもとへ

山村 隆雄

1935(昭和10)年3月9日付東京朝日夕刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1935(昭和10)年3月9日付東京朝日夕刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

忠犬ハチ公 死して博物館を飾る

渋谷駅の名物忠犬ハチ公が八日朝亡くなった、生前は銅像に修身の教材にトーキーに世界的に讃へられて十三歳の寿命を全うしたのだから幸な一生だ

◇…この朝六時半駅から一町半隔った屋敷町の渋谷区中通り三ノ四五先路地で敢なくなってゐると渋谷署から通知をうけ二人の荷扱手君が駆つけた時はもう絶望だった、持病の心臓病が先月末から昂進してゐたので、主治医の帝大農学部の板垣博士ら五人のお医者さんが特別警戒中だったのだが、午前二時頃までは駅にゐて姿を消したと思ってゐたらこの始末なので「犬は死ぬ時はよく姿をかくすといひますが……」と駅の人達にはすべてが涙の種なのである

◇…駅へ来てから十二年目だ、死骸はよく寝泊りしてゐた小荷物室に運ばれ飼主帝大農学部上野秀三郎博士の未亡人八重子さんなどが驚いてやって来て

一昨日駅の近くで会ったのが最後となりました、ハチやと呼んでも中々判らず右手を出して匂ひを嗅がせたらやっと判ったらしかった

と愛児を亡くした様な悲しみ方

◇…どういふわけかハチ公は芸界等に、殊に人気があってこれらの後援者たちにはすぐ駅から死亡通知が出された、井上正夫、川田芳子などの名も見える、群馬、埼玉から遠くは大連にまで及んでゐる

◇…十一時頃上野未亡人が黒白のリボンを銅像に結んでくれ間もなく生花が飾られる、人々ははじめて忠犬の死を知って銅像前は悲しみの人だかり、二階の駅長室では銅像作者安藤氏も見えて未亡人と吉川駅長らと善後策を協議してゐる

◇…午後一時から上野家の菩提寺付近の妙祐寺から坊さんが来て読経、葬儀の日取りは決らないが取敢ず九日朝八時から銅像前に生前の写真を飾って一般焼香、遺骸は上野科学博物館に剥製として永久に保存される事は決ってゐる しかし、骨格は純秋田犬として農学部の方で是非研究資料に欲しいといふしどこに落ちつくかはまだ判らないが農学部の江本博士が解剖することとなった、ハチ公の墓は主人のそばの青山墓地に決りさうだが犬と雖も中々犬死とはいへない

【写真 ハチ公銅像と上野未亡人】

(1935〈昭和10〉年3月9日付東京朝日夕刊2面)


【解説】

東京・渋谷駅前のハチ公像=3月6日(画像を一部修整しています)拡大東京・渋谷駅前のハチ公像=3月6日(画像を一部修整しています)
 「忠犬ハチ公」。日本一有名な犬ではないでしょうか。東京・渋谷駅前の銅像は今でも待ち合わせの目印として親しまれています。

 ハチは東京帝国大学農学部の教授だった上野英三郎(ひでさぶろう)博士(1871~1925)の飼い犬でしたが、1925(大正14)年5月に博士が急逝した後も、10年間毎日渋谷駅で待ち続けました。今年の3月8日は、ハチが生涯を終えてからちょうど80年。今回は、ハチの死を報じる記事を取りあげます。

 まずは点検から。

 ハチが8日朝に「亡くなった」とあります。「亡くなる」は日本国語大辞典によると「人が死ぬことをやや婉曲(えんきょく)にいう語」。ハチは人ではありませんが、大勢の人に愛されたハチを「死んだ」などと書くのは忍びなくて、擬人化して「亡くなった」と書いたのかもしれません。

 飼い主の名が「上野三郎博士」とあるのは、「三郎(ひでさぶろう)」の誤りです。

 ハチの後援者として「芸界」の「井上正夫」「川田芳子」の名が挙がっています。芸界は今なら「芸能界」でしょうか。芸界の人というだけでは分かりにくいので、どんな人か分かるような肩書が欲しいところです。いずれも当時活躍した俳優でした。

国立科学博物館のハチ公の剥製(はくせい)。両耳がピンと立っている拡大国立科学博物館のハチ公の剥製(はくせい)。両耳がピンと立っている
 記事末尾の「犬と雖(いえど)も中々犬死とはいへない」は、抜いた方がいいのでは、と筆者に提案したいところです。多くの人が悲しんでいる「ハチ公の死」を伝える記事に、だじゃれは不要です。記者が茶化しているように読めてしまいます。

 最後に見出しに戻ると、「死して博物館を飾る」となっていますが、記事には「どこに落ちつくかはまだ判(わか)らない」とあります。この記事の見出しとしては先走りすぎです。

初代ハチ公像の除幕式。ハチも招待された=1934年4月22日付東京朝日夕刊2面拡大初代ハチ公像の除幕式。ハチも招待された=1934年4月22日付東京朝日夕刊2面
 ハチはこの後、剥製(はくせい)にされ、東京・上野の国立科学博物館に展示されました。ハチは晩年、左耳が垂れていましたが、国立科学博物館では今でも両耳がピンと立った若い頃の姿に復元されたハチを見ることができます。

 ハチは渋谷駅で飼い主の上野博士を待つ姿が朝日新聞で報じられ、人気者になりました(2010年10月12日公開「ハチ公は名犬と訂正します」参照)。

1948年8月15日、東京・渋谷駅前の2代目ハチ公像の除幕式の様子を撮ったとみられる写真拡大1948年8月15日、東京・渋谷駅前の2代目ハチ公像の除幕式の様子を撮ったとみられる写真
 渋谷駅前のハチ公像が最初に設置されたのは1934(昭和9)年4月21日。ハチはまだ健在でした。除幕式に招待されたハチは、ほぼ実物大の銅像を怪訝(けげん)そうに見ていたそうです。

 銅像は戦争中の金属供出で失われてしまいましたが、戦後すぐに彫刻家の安藤士(たけし)さん(最初のハチ公像の作者・安藤照さんの長男)により2代目がつくられ、48(昭和23)年8月15日に除幕式がありました。

 朝日新聞にはこの除幕式の様子を撮ったとみられる写真が残っていました。大勢の人に見守られながら2代目の像がお披露目されています。

 ところで、ハチ公像があるのは渋谷駅前だけではありません。ハチの生まれた秋田県の大館駅前にもハチ公像があります。上野博士の出身地、三重県の津駅前には2012年に上野博士とハチ公の像が出来ました。最近この上野博士像に何ものかによって帽子がかぶせられたことが話題になりました(2月20日付三重版)。

新たな像のハチは飼い主の上野博士に会えた喜びを全身で表している=3月8日、東京都文京区の東京大学農学部正門横拡大新たな像のハチは飼い主の上野博士に会えた喜びを全身で表している=3月8日、東京都文京区の東京大学農学部正門横
 ハチの没後80年の今年3月8日には、上野博士が教えた東京大学の構内で新たな像の除幕式がありました(3月9日付朝刊)。上野博士に飛びついて喜ぶハチの像です。

 上野博士と共に暮らしたのはわずか1年4カ月なのに、博士が亡くなった後10年間も渋谷駅前で待ち続けたハチ。

 今回お披露目された像は、ハチと上野博士の絆の強さを表現したものと言えるかも知れません。


【現代風の記事にすると…】

忠犬ハチ公安らかに 銅像前に死を悼む人だかり

 東京・渋谷駅の名物忠犬ハチが8日朝、その生涯を終えた。

 生きているうちから銅像になり、修身の教材にも取りあげられ、映画化もされて世界的にたたえられて数えで13歳の寿命を全うしたのだから幸せな一生だった。

 ◇…ハチがよく来ていた渋谷駅には、8日午前6時半に警視庁渋谷署から「駅から150メートルほど離れた渋谷区中通りの住宅街の路地で倒れている」と連絡があった。急いで2人の作業員が駆けつけた時はすでに絶望的な状態だった。持病の心臓病が先月末から悪化していたので、主治医の東京帝国大学農学部の板垣四郎博士ら5人の獣医が警戒中だった。午前2時ごろまでは駅にいたが、その後姿が見えなくなっていた。駅員たちは「犬は死ぬ時はよく姿をかくすと言いますが……」などと涙を流した。

 ◇…駅へ来るようになってから12年目。亡きがらはよく寝泊まりしていた小荷物室に運ばれた。飼い主だった帝大農学部の故上野英三郎博士の妻八重子さんらが驚いてやって来た。八重子さんは「一昨日駅の近くで会ったのが最後となりました。『ハチや』と呼んでも分からず、右手を出して匂いをかがせたらやっと私のことが分かったようです」とまるで愛児を亡くしたかのように悲しんでいた。

 ◇…ハチは芸能界の人に人気があったので、後援者たちにはすぐ駅から死亡通知が出された。宛名には俳優の井上正夫さん、川田芳子さんらの名も見える。宛先は群馬、埼玉から遠くは中国・大連にまで及んでいる。

 ◇…午前11時ごろ、八重子さんがハチの銅像に黒白のリボンを結び、生花も飾られた。人々ははじめて忠犬の死を知って銅像前にはハチの死を嘆く人だかりができた。2階の駅長室では銅像の作者安藤照氏も来て八重子さん、吉川忠一駅長らと今後の対応を協議していた。

 ◇…午後1時から上野家の菩提寺(ぼだいじ)の妙祐寺から僧侶が来て読経を始めた。葬儀の日取りは未定だが、9日朝8時から銅像前に生前の写真を飾って一般焼香を受け付けることになった。ハチは帝大農学部の江本修博士が解剖し、その後東京・上野の国立科学博物館に剥製(はくせい)として保存されることが決まっていたが、農学部も「骨格は純秋田犬として研究資料にぜひ欲しい」と言っており、最終的にどうなるかまだ分からない。

国立科学博物館で買ったハチ公のぬいぐるみ(手前)と筆者の愛犬拡大国立科学博物館で買ったハチ公のぬいぐるみ(手前)と筆者の愛犬
 ハチの墓は上野博士のそばの青山墓地に決まりそうだ。

 【写真 ハチ公銅像と上野八重子さん】

(山村隆雄)

 ※次は3/24ごろ更新の予定です。


当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

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  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

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