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昔の新聞点検隊

「山県さんや桂さんは……」 吉田松陰の妹・文さんのグチ

広瀬 集

1908(明治41)年4月23日付東京朝日朝刊6面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています拡大1908(明治41)年4月23日付東京朝日朝刊6面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

●吉田松陰の弟妹 一昨二十一日松陰神社祭奠行はれし事は昨紙記載の如くにて今年十一月二十七日は恰も松陰刑死の五十回忌なるを以て同日更に盛大なる祭奠挙行の議長州出身の巨頭間に起り居れりと聞けり 松陰遺族の現状を聞くに松陰の兄杉民治翁今年八十二歳にて山口県萩に存命し藩士児玉初三氏に嫁せし妹の芳子も今年七十七歳にて存命し松陰の後は此の芳子の男庫三氏之を継ぎ今年四十歳 現に横須賀中学校長たり 次妹の某は久阪義助に許嫁せしが義助殉難後男爵楫取素彦氏の妻となり男爵の群馬県知事奉職中に病歿し其の妹三輪子同男爵の後妻となり今年六十余歳にて存命し一昨日の祭奠にも参拝して山県さんや桂さんは大層御出世なされたので参拝もして下さらぬと喞ち居たり

(1908〈明治41〉年4月23日付 東京朝日朝刊6面)


【解説】

 2010年の「龍馬伝」以降、年に一度はNHK大河ドラマを題材にしてきた昔の新聞点検隊。早いもので今回が6作目になります。今年の「花燃ゆ」は、吉田松陰の妹・文(演じるのは井上真央さん)を主人公にした幕末~明治期もの。通常の大河とは異なり、歴史的な知名度の低い人物を取り上げています。恥ずかしながら筆者も全く存じ上げず、今回ばかりは難しいかとも思いましたが、運良く存命時の記事が見つかりました。

 ただし、ドラマ後半に関わる内容も含みます。楽しみにしていらっしゃる方はご注意ください。

 今回は、吉田松陰の五十回忌の年、1908(明治41)年の記事を取りあげます。2日前にあった松陰神社の祭礼についてふれていますが、松陰神社は松陰の故郷長州・山口県の萩市と、東京都世田谷区の2カ所にあります。前日の記事を見たところ、世田谷での祭礼のようでした=別記事1。まず所在地を加えてもらいましょう。

別記事1 松陰神社の祭礼とその由来を伝える記事=1908(明治41)年4月22日付東京朝日朝刊6面拡大別記事1 松陰神社の祭礼とその由来を伝える記事=1908(明治41)年4月22日付東京朝日朝刊6面

写真1 松陰の墓=東京都世田谷区の松陰神社拡大写真1 松陰の墓=東京都世田谷区の松陰神社
 なぜ長州出身の松陰をまつる神社が東京にもあるのでしょうか。別記事1などによると、安政の大獄の際に江戸で処刑され(1859年)、29年の短い生涯を閉じた松陰は、江戸で埋葬されます。のちに高杉晋作らが長州にゆかりのある世田谷・若林村に改葬、1882(明治15)年、その場に神社が創建されたようです。境内の一角にある松陰の墓は、今もお参りする人が絶えません=写真1

写真2 現在の松陰神社=東京都世田谷区拡大写真2 現在の松陰神社=東京都世田谷区
 記事に戻ります。「11月27日」が命日なので、その際にまた祭礼を行う話が出ている、としています。しかし松陰の命日は旧暦の10月27日、新暦で11月21日。混同してしまったのかもしれません。

別記事2 杉民治の死去を伝える記事=1910(明治43)年12月15日付東京朝日朝刊2面拡大別記事2 杉民治の死去を伝える記事=1910(明治43)年12月15日付東京朝日朝刊2面
 続いて、松陰のきょうだいの「今」が紹介されています。順番に見ていきましょう。

 まず最初は、杉民治(すぎ・みんじ)。松陰の兄です。ドラマでは梅太郎(演じるのは原田泰造さん)ですね。民治は明治期に松下村塾を再興するなど、教育者として活躍しました。この記事の2年後、1910(明治43)年に亡くなっています。訃報(ふほう)が掲載されていました=別記事2。松陰も杉家の生まれですが、吉田家の養子となったので、姓が違うのですね。

 次に一番上の妹・芳子(千代)。ドラマには登場しないようです。児玉初三の妻、とあります。児玉祐之(すけゆき、初之進)のことと思われますが、萩博物館(萩市)の道迫真吾・主任学芸員によると、「初三」と名乗っていたかどうかは不明のようです。芳子はきょうだいの中で最も長生き(1924〈大正13〉年、数え93歳で没)で、松陰について語った回顧録が残されています。

 この夫婦の息子、庫三が、後に養子となって吉田家を継ぐことになります。当時は神奈川県立第四中学校(現・県立横須賀高校)の校長先生。記事では「横須賀中」となっていますが、学校のサイトにある沿革を見ると、「横須賀中」になるのは1913(大正2)年のようです。指摘しておきましょう。ただ、当時からすでに愛称で呼ばれていたのかもしれません。

 記事中、民治、芳子、庫三はそれぞれ82歳、77歳、40歳としています。文献などを見る限り、数え年だと81歳、77歳、42歳となるはずです。ただ、みんな江戸時代生まれ。明治に入って旧暦から新暦に変わったり、当時「満」で年齢計算をする法律ができたばかりだったりで、人によって自認している年齢がバラバラだったのかもしれません。現在なら生年月日をきちんと確認するのですが、当時はそこまではやらなかったのでしょう。

 話を戻しましょう。次に登場するのは「次妹の某」。なんとも失礼ですね。当時はまだまだ女性軽視の時代ですが、現在なら考えられません。松陰の2番目の妹は寿(ひさ)(ドラマでは優香さん)ですね。きちんと書いてもらいましょう。

 さて、その後の「男爵楫取(かとり)素彦」は、小田村伊之助(同・大沢たかおさん)の後の名。寿はその妻とあり、ドラマ通りですね。ところがその前に寿と「久阪義助」が許嫁だったとあります。義助は別名で、そう、久坂玄瑞(同・東出昌大さん)のことです。むむ、つい先日の放送では、文が玄瑞と夫婦になりましたよね。

 (注・この先、今後のドラマのストーリーと関わってきます)

 この後に出てくる「三輪子」(美和子)こそ、文の後の名です。寿は1881(明治14)年に数え43歳で死去します。幕末に夫・玄瑞を亡くした文が、伊之助の後妻となりました。記事では文が先日の神社祭礼に参加していたとあり、当時の記者は直接話を聞いたとは思うのですが、確かに少しややこしい関係。玄瑞との関係を聞き誤ってしまったのでしょうか。

写真3 松陰神社に奉納されている石灯籠(いしどうろう)。左から伊藤博文、山県有朋、井上馨、桂太郎と続く。別記事3の秋の祭礼の際に納められた=東京都世田谷区拡大写真3 松陰神社に奉納されている石灯籠(いしどうろう)。左から伊藤博文、山県有朋、井上馨、桂太郎と続く。別記事3の秋の祭礼の際に納められた=東京都世田谷区
 この時、文は数え66歳(ただし生年は別の説もあり)。亡くなったのは1921(大正10)年ですから、まだまだお元気だったのではないでしょうか。祭礼の際に「山県さんや桂さんは出世して参拝にも来てくれない」とこぼした、とあります。「山県さん」は山県有朋(1838~1922)でしょう。「桂さん」は、桂小五郎(木戸孝允)ではなく、ここでは桂太郎(1848~1913)と思われます(小五郎は1877年死去)。出世も何も、2人とも首相経験者。日本を代表するビッグネームに、いくらなんでも恐れ多いのでは……。

 しかし、有朋は松陰の下で学んだ松下村塾生。文は若い頃から有朋を知っていた可能性があります。一方、太郎は塾生ではないようで、道迫さんによると今のところ若い頃の文との関係を裏付けできる史料等はないそうです。ただ、太郎の叔父・中谷正亮は松陰と懇意で、一説には玄瑞に文との結婚を勧めた人物。兄・民治宛ての太郎の手紙も記録に残っているので(「桂太郎発書翰集」)、まったく無縁というわけではないのかもしれません。

 ドラマのように、若き日の文が堂々と塾生らと渡り合っていたかどうかまでは分かりませんが、昔を思い出してつい本音がぽろりと出たのでは……、などと空想してしまいます。日本を動かした若き志士たちを間近で見てきた文ならではの一言なのかもしれません。

別記事3 吉田松陰50年祭の様子を伝える記事=1908(明治41)年10月20日付東京朝日朝刊4面拡大別記事3 吉田松陰50年祭の様子を伝える記事=1908(明治41)年10月20日付東京朝日朝刊4面
 記事にあるとおり、この年の秋の祭礼が実現していました=別記事3。親族総代は伊之助(楫取素彦)で、この祭礼には、有朋も参列していたようです。まさか文の愚痴が伝わった?……わけではさすがにないと思いますが、ついそんなことも考えてしまいますね。なおこの記事を見る限りでは太郎の名は見当たりませんが、この年(1908年)の7月から2度目の首相に就いていますので、さすがに大忙しだったのではないでしょうか。

 あまり記録の残っていない文ですが、今回、本人の生の声を目にして、急に親近感がわいてきました。ドラマもまた、ひと味違う楽しみ方ができそうです。


【現代風の記事にすると…】

東京・松陰神社で五十回忌祭礼 松陰の妹・美和子さんも参列

 今年は吉田松陰の五十回忌。21日は松陰神社(東京・世田谷)で祭礼が執り行われたが、11月21日の命日は更に盛大な祭礼の挙行計画が、長州出身の大物の間であがっているという。

 松陰の遺族は今、それぞれの生活を営んでいる。兄、杉民治さんは今年81歳。兄弟の故郷・萩(山口県)で暮らす。一番上の妹の芳子さん(77)は児玉祐之さんと結婚。息子の庫三さん(42)が松陰の後の吉田家を継ぎ、今は神奈川県立第四中学校の校長を務めている。2番目の妹・寿さんは男爵・楫取素彦さん(80)と結婚したが楫取さんの群馬県令在職中に早世。楫取さんは末妹の美和子さん(66)と再婚した。実は美和子さんも再婚。若くして亡くした夫は、幕末の長州藩を代表する志士だった久坂玄瑞。玄瑞が松陰の松下村塾で学んでいた頃に、松陰らの勧めで結婚したという。

 美和子さんは21日の祭礼にも参列。「(松下村塾にゆかりのある)山県(有朋)さんも、桂(太郎)さんも、たいそう出世して、今では参拝もしてくださいません」とこぼしていた。

 ※年齢は数え年

(広瀬集)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください