暮れも押し詰まってきた。あまり話題にはならなかったが、今年はJR7社が発足して30年になる。つまり国鉄が消えて30年となる節目の年だった。冒頭から私事でなんだが、筆者の故郷は福岡で、国鉄(現在のJR)を「汽車」、地元の大手私鉄である西鉄(西日本鉄道)を「電車」と呼んで育った。幼少期は、国鉄ではまだ蒸気機関車時代の末期で、気動車化が進んでいた。もちろん電化区間もあったが、その区間でも国鉄を利用する際は、周囲の大人もなぜか「汽車に乗りにいく」と言い、西鉄の場合は「電車に乗る」と言っていた。もっとも、西鉄は全線電化されていたので、これに関しては理にかなっている。

「夜汽車」 辞書の定義とイメージ

 過日、北海道に行き、知床の玄関口である知床斜里駅で網走行きの気動車を待っていると、通学の高校生同士が「電車が来たよ」と話していた。若い世代は、いわゆるトレイン(列車)全般を「電車」と呼ぶ傾向があることを知ってはいたが、通常、気動車のみを利用しているであろうエリアの生徒までが、トレインを「電車」という言葉で表現することに違和感を持った。

 簡単にいえば、基本的に電気(モーター)を動力源としているのが電車、エンジンならば気動車だ。「基本的に」とことわったのは、「電気式気動車」というものがあり、エンジンで発電した電力でモーターを回して走るからだ。なかなかややこしい。残念ながら、いまの時代は気動車が走っている地域が限られている。それで、トレインは、「電車」でひとくくりにされてしまう。

 それでは、「汽車」とはなにか。広辞苑には「蒸気動力によって動く鉄道車両。ひろく鉄道一般の意味にも用いる」とある。ただ、「汽車」、そして、かつて小欄でも取り上げた「夜汽車」という言葉には辞書的な定義以上のものを感じる(以前の記事はこちらから→「夜汽車」)。

 さて「夜汽車」。広辞苑には「夜間運行する汽車。夜行列車」とある。じゃあ「夜行列車」とは何かというと、「夜間、運行する列車。夜汽車」。広辞苑の定義では、要はどちらも「夜走っている列車」ということだ。

 しかし、新橋から乗る酔客で混雑する山手線(大阪・天王寺から乗る大阪環状線でもいい)の列車も夜汽車なのか。以前の拙稿執筆の際は、同僚に「夜汽車」のイメージを問うてみた。

 「夜、故郷に向けて長距離をゆっくり走る列車をイメージする」が答えだった。さらに、「雪国へ向かう」あるいは「雪国からやってくる」が加わった。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
 「駅長さあん、駅長さあん。」

 川端康成の「雪国」冒頭部分である。

 「信号所に汽車が止まった」とある。この内容ではおそらく「汽車」は列車先頭の機関車だけでなく、列車全体を示すようだ。

 「国境の長いトンネル」は完成したばかりの上越線・清水トンネルだとされている。このトンネルは煙害対策のため、開業当初から電化されており、蒸気機関車は運行されていない。しかし、川端康成はあえて「汽車」という言葉を使っている。

 以下余談である。この作品は、そもそも「国境」を「こっきょう」とよむか「くにざかい」とよむかの議論が有名だが、それよりも「夜の底が白くなった」という表現の解釈が気になっていた。自分なりのイメージはもっていたが、複数の同僚に尋ねてみると、「白くなった」は「薄明の下に浮かぶ雪が積もった大地」でほぼ解釈が一致した。物理的に視界を遮蔽する「長いトンネル」を「夜」になぞらえ、それを抜けて駅構内や列車自身の灯によって、目の前に銀世界が広がったことを「夜の底が白くなった」と表現したのではないか。

 ちなみにサイデンステッカーの英訳 “Snow Country”によると、以下のように表現されている。
 The earth lay white under the night sky.

写真・図版

別稿で掲載した写真だが、「夜の底が白くなった」のリアルなイメージがこれ。夜の暗闇の中、夜汽車と駅構内の明かりによって、降り積もった雪が白く照らされている。写真は夜行の特急「オホーツク」。大雪山国立公園の玄関口である上川駅で、午前2時過ぎに、札幌行き(中央)と網走行き(右)がひっそりとすれ違っていた。この後、道内を走る夜行は全廃となり、この光景も過去のものとなった=2008年2月21日、北海道・JR上川駅

高崎で「夜汽車」復活

 閑話休題。その「汽車」だが、近年は「汽車」といえる列車が少なくなってきている。特に「夜汽車」に至っては、ほぼ全滅と言っていい状況だ。

 昨春、「最後の夜汽車」とも言われた「はまなす」が廃止になった。誕生はJR発足後であるにもかかわらず、その編成内容から国鉄時代の雰囲気を強く漂わせていた。その「最後の砦(とりで)」がなくなってから、しばらく鉄道関係の駄文を書いていなかった。書こうとしても書きたいものがなかった。さびしいものだ。

 しかし、今夏、上越線に「夜汽車」が走るという情報があり、群馬・高崎まで出向いた。蒸気機関車の定期運行が終わってからも全国各地で復活運転が行われており、これまで筆者もあちこちにでかけた。だが、今回のSL運行は従来のものと異なる。夜間運行なのだ。

平井 一生(ひらい・かずお)

1966年生まれ、福岡県出身。89年入社、西部本社校閲部配属。以降、写真部、朝日学生新聞社などで勤務。東京本社地域面支援担当次長を経て、朝日新聞メディアプロダクション統括次長。写真部勤務時、日本初の国産旅客機YS11の退役フライトを取材。以降も航空関係等の取材を継続している。