(2月7日付朝刊に掲載した「ことばの広場」を再録しました)

 平昌(ピョンチャン)五輪が始まりましたが今回は昔の東京五輪の頃の話です。

 1964年秋の東京五輪を控えた夏、銀座にアイビー風の服を着た男性やロングスカートの女性が大きな紙袋を抱えて歩く風俗が現れ、「みゆき族」と呼ばれました。皇居のそばの日比谷公園の東から、銀座の中心部を通って、築地市場の手前までを結ぶ「みゆき通り」が舞台でした。しゃれた響きですが、元の名は「山下橋通り」。

 いつ「みゆき通り」になったのでしょう。戦争で幻となった40年の東京五輪招致が決まった36年前後、東京を世界に通用する美しい街にと考えた人たちがいました。画家の藤田嗣治(つぐはる)、詩人の西条八十(やそ)らフランス帰りの文化人らが銀座を拠点に巴里(パリ)会というグループをつくり、山下橋通りの美化、街灯や通りの整備を推奨、名前も世界に通用するものにと呼びかけました。

町田 和洋(まちだ・かずひろ)

1958年生まれ、群馬県出身。84年入社、名古屋で紙面編集、学芸部記者などを12年ほど転々。名古屋、東京、大阪校閲部を経て08年から東京校閲センター。1万歩ウオーキングが日課。最近は白土三平「カムイ伝」と中森明菜にはまっている。