40年以上も前のことなので覚えている方は少ないかもしれませんが、朝日新聞は戦後の一時期、漢字字体だけでなく送り仮名でも「独自路線」を歩んでいました。
 前回、記事に出てくる「きたる」という語の送り仮名を、国が示したものとは異なる「来たる」にそろえたことを紹介しました。現行の国の基準(1973年内閣告示「送り仮名の付け方」)では「きたる」は連体詞という扱いで「来る」の送り仮名が示されているのですが、朝日新聞では昨年11月から動詞・連体詞をとわず「来たる」と送ることにしました。
 現在の朝日新聞で、内閣告示で「本則」にも「許容」にもなっていない送り仮名を使っているのはこの「来たる」ぐらいですが、過去に独自の送り仮名を使っていた時代には、多くの語が「本則」や「許容」から外れていました。

■「新送りがな」からわずか2年で

 縮刷版で古い紙面をめくっていくと、1962年1月28日付夕刊の「読者と新聞」というコーナーに、「『送りがな』について」と題する以下のような記事が見つかります。

写真・図版

 画像だと見づらいので、少々長くなりますが主要部分を下に引用します。

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 「新送りがな」について、昨今の記事を見ますと、以前と異なっているようです。たとえば、「引き上げる」を「引上げる」、「申し込む」を「申込む」とあります。貴社の方針がかわったのかどうか、お教えください。(29歳会社員)
 「新送りがな」をいち早く取り入れた朝日新聞が、最近、これを廃止したのは、どういう理由からでしょうか。また、このことは国語審議会と直接的な関係があるのでしょうか。(27歳専門紙記者)

 《本社のお答》
 本社は昭和三十四年十一月以来「新送りがな」を実施してきましたが、二年間にわたる経験を検討した結果、送りがなについての考え方を改め、昨年十二月中旬から、送りがなをいくらか減らす方針をとっております。
 送りがなのつけ方には、元来、一貫した法則がなく、それで格別の問題も起らなかったのですが、戦後、文部省の国語審議会がこれを整理して「新送りがな」を定め、三十四年七月に内閣から告示されました。日本新聞協会でもこれをとりあげ、内閣告示の基準にもとづいて、それぞれ多少の違いはあっても、ほとんどの新聞が「新送りがな」を実施してきたことは、ご承知のとおりであります。本社もこの大勢に従い、「新送りがな」を実施してきました。
 しかし、「新送りがな」が国語表記のあり方として多くの問題を含んでいることは、多数の人々の感じているところであり、また「かなが送りすぎの感じで、読みにくい」という批判の声も絶えませんでした。(略)
 本社の過去二年間の経験からみましても、記者の多くは「新送りがな」になじみにくく、また一方では逆に、「新送りがな」以上の、かなの送りすぎといった傾向さえあらわれてきました。結局、紙面は、「新送りがな」の採用によって必ずしも読みやすくはならなかったばかりか、かえって、新たな混乱を呼ぶけはいを示すようになりました。(略)
 そこで本社では、大多数の読者にとって読みやすく、記者たちには書きやすく、また原稿の処理も早くできるようなものにしたいと考え、送りがなについての本社の基準を、多少緩和することにしたのであります。
 もちろん、野放しでは紙面が乱雑になりかねませんので、一応の目安は定めてあります。たとえば
一、誤読、難読の恐れがない場合は、複合語の中間のかなは、なるべく削る(「引き上げ」は「引上げ」と書く)
一、慣用語(切手、取締役など)の範囲を従来より広げ、相当程度に慣用が固定していると認められる語は、送りがなをはぶく(「卸売り」は「卸売」、「気持ち」は「気持」と書く)
ことなどで、これと関連して、動詞の語尾変化も、特に「送りすぎ」と考えられるものについては、一部、送りがなを簡略化することにしました。
 (後略)=引用ここまで

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 1959(昭和34)年、国語審議会の建議をもとに内閣告示された「送りがなのつけ方」は、当時、「新送りがな」と呼ばれました。主な部分は現行の基準(1973年「送り仮名の付け方」)と共通しており、今の感覚からみてそれほど違和感はありません。
 しかし、終戦から十数年の時点では、「送りすぎ」と感じる人が少なくなかったようです。朝日新聞も、社の内外の声によって「新送りがな」の導入からわずか2年で方針を変更し、独自の送り仮名を実施したのでした。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。