朝日新聞の本文や見出しに用いるフォントは、校閲センターのフォントチームが独自に整備しています。その仕事については、以前「フォントうらばなし」(ことばマガジンアーカイブに収録)でご紹介した通りです。
 このフォントに収録する漢字は、広く国内の情報機器で使われているJIS第1・第2水準を中心に、新聞紙面で必要な文字をカバーしています。一般のパソコンなどで使われるフォントは、よく「これこれの文字コード規格にある字を収録」とうたっていたりしますが、自社の新聞用フォントでは、整備作業の効率(少ない方がいい)と、必要性や使い勝手(多い方が便利)とのバランスを考えて収録文字を決めているため、公的な規格とは収録範囲が一致しません。
 日々発生するニュースによっては、それまで全く必要とされず自社のフォントに収録していなかった字が、突如として繰り返し使われるようになることもあります。フォントに収録するのでなく、その場限りの「緊急作字」でしのぐことも少なくありませんが、必要性がある程度見込まれる場合は、フォントに追加して「いつでも使える」ようにしています。いわば、レギュラーへの「格上げ」です。その場合、記事本文だけでなく、大小さまざまな見出しでも使えるよう、いろんな太さの文字イメージを用意することにしています。

 今回は、最近自社フォントに追加した漢字の一部をご紹介します。

■東シナ海に浮かぶ島

 今年、中国で複数の日本人が「スパイ行為」の疑いで拘束されたことがわかりましたが、そのうち1人が拘束された場所が浙江省温州市沖の「南麂列島」でした。沿岸部から50キロほどの東シナ海上に位置するこの島々は、中国の自然保護区にも指定されている観光地ですが、最近ではレーダーやヘリポートなどの軍事施設が整備されていると報じられていました。

写真・図版

 

 この「鹿の下に几」という形の「麂」はキと読み、漢和辞典には以下のような説明が記載されています。

◇新漢語林 第2版
 鹿の一種。のろ(麇キン・麞ショウ)に似て大きく、その眼は菱形をなす。おおのろ。
◇漢字源 改訂第5版
 獣の名。シカ科の哺乳類。キョン。ヨツメジカ。シカよりも小さい。雄には長い牙と短い角がある。足は細く、よく跳びはねる。中国南部と台湾に生息。

 この字を載せる漢和辞典類の説明はだいたい上の二つのパターンのどちらかであり、大漢和辞典や広漢和辞典は「おおのろ」、学研新漢和大字典や新潮日本語漢字辞典は「キョン」としています。
 中国で発行されている現代中国語の辞書「現代漢語詞典」でこの字をひくと、「哺乳動物で、小型の鹿。雄は長い牙と短い角をもつ。脚は細く力があり、跳躍にたけている。種類は比較的多く、中国に生息するものでは黒麂、黄麂、小麂などがいる。通称は麂子」(訳は筆者)とあります。
 南麂列島が属する浙江省平陽県の県政府のウェブサイトには、南麂列島で最も大きい南麂島の名前について「形が麂に似ていることから名付けられた」と記されています。
 
 「麂」の字は、国内の情報機器で広く使われてきたJIS第1・第2水準には入っていないため、従来型の携帯電話などでは出すことができません。2000年に制定されたJIS第3・第4水準にも、国内での十分な用例が得られず入りませんでしたが、1990年制定のJIS補助漢字には収録されていました。そのため Windows の MS明朝・MSゴシックなど、主要OSの標準フォントには含まれています。
 ただ、現代の日本語で、オオノロやキョンをこの字を使って表記することは考えにくく、新聞紙面で使うとすれば「南麂」のような中国地名ぐらいでしょう。

比留間 直和(ひるま・なおかず)

1969年生まれ。学生時代は中国文学を専攻。1993年に校閲記者として入社し、主に用字用語を担当。自社の表外漢字字体変更(2007年1月)にあたったほか、社外ではJIS漢字の策定・改正にも関わる。