【解説】

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大阪・玉造の三光神社にある「真田幸村公之像」。周辺は真田山と称され、左の穴は大坂城への抜け穴と伝わるが、実際の「真田丸」はここから少し西にあったとされる=大阪市天王寺区

 豪華な出演陣で話題の今年のNHK大河ドラマ「真田丸」。「大坂編」へと話は移り、視聴率も順調に推移していると聞きます。前回に引き続き、主人公・真田幸村(本名・信繁)にちなんだ昔の記事を探してみました。

 作中、幸村のもとに銭6枚を連ねたお守りが届く場面がありました(3日放送の第13回)。妻の梅が作ったこのお守りを見て幸村は、真田の家紋に六文銭の意匠のものがあることを口にします。今や六文銭と言えば真田、というくらい有名になった紋ですが、その六文銭紋が大きく描かれた旗が見つかったと報じる記事が、戦前の紙面にありました。

 (以降はドラマ後半のネタバレにつながる内容も含みます。ドラマを楽しみにしていらっしゃる方はご注意下さい)

 なんでも真田の六文銭の旗が、落城以来330年ぶりに大坂城に戻ってきたとか。校閲的な視点も交えながら見てみましょう。まずは、大坂城が落城した大坂夏の陣は1615年ですから、1937年の当時からすると322年前。「330年」とするにはすこし足りませんので、「約320年」としてもらいたいところです。

 旗は、幸村が伊達軍の中央突破によって戦死した際、「真田十勇士」の海野六郎が体に巻き付けて泉州貝塚(現・大阪府貝塚市)の願泉寺に逃れ、住職に託した、とあります。この時点で歴史好きの方なら「う~ん……」とうなってしまうでしょうか。

 幸村が落命したのは徳川家康の本陣にまで迫ったという激しい攻撃を仕掛けた後のこと(旧暦5月7日)であり、茶臼山近くの安居神社(大阪市天王寺区)には、「真田幸村戦死跡之碑」が立てられています。諸説ありますが、最期の地はおおよそこの周辺と推定されているようです。相対していたのは松平忠直らの軍勢とされています。

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安居神社境内に立つ「真田幸村戦死跡之碑」と、幸村像=大阪市天王寺区

 伊達政宗の軍勢とはその前日に、道明寺(大阪府藤井寺市)周辺でぶつかっていますが、むしろ幸村は、勢いにのる伊達勢を食い止めたとされています。この日討ち死にしたのは幸村と共に豊臣方の主力を担った後藤又兵衛(基次)。又兵衛のエピソードとの混同が疑われるので、確認を求めたいところです。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

広瀬 集(ひろせ・しゅう)

熊本県出身。就職氷河期世代。非正規の職を転々とした後、2006年にようやく入社。3年半の大阪本社勤務を経て、13年東京本社に復帰。ことばマガジン「昔の新聞点検隊」の言い出しっぺ。関心のある歴史ものやスポーツものを、同コーナーを中心に執筆中。