【解説】


 1月の大相撲初場所で稀勢の里が初優勝。そして72代横綱に昇進しました。長い間期待されながらチャンスを生かせなかった悔しさを一気に晴らすような優勝と横綱昇進に興奮した人も多いのではないでしょうか。

写真・図版

稀勢の里の横綱昇進を伝える号外=2017年1月23日付

 さて、今回は明治半ばの横綱誕生の記事を取り上げます。1890(明治23)年に16代横綱・西ノ海(初代、1855~1908)に横綱免許が授与されることを報じています。

 まず冒頭の記事を現代の校閲記者の視点で点検してみましょう。

 見出しや本文に「西の海」とありますが、いまの大相撲の資料を見るとカタカナの「西ノ海」です。1994年にカタカナの「ノ」から漢字の「乃」に変えた「若乃花」「貴乃花」兄弟のような例はありますが、西ノ海に関してはそのような資料はありませんでした。ただ、紙面では「の」「ノ」が混在しているので、当時はあまり気にしていなかったのかもしれません。また、「場処」「場所」と表記が揺れているのはどちらかにそろえましょう。

 ところで記事に「東の大関に据(すわ)りて横綱を免許さるる……」とあるのは「大関で横綱?」と疑問を持たれる方もいると思います。当時は、番付の最高位は大関。横綱は資格ともいうべきものでした。化粧まわしの上に七五三縄〈しめなわ〉の綱(=横綱)を締めて土俵入りすることを許された強豪力士を横綱と呼んだのです。「免許」とあるのは、当時は吉田司家(つかさけ)が横綱免許状を授与していたため。吉田司家は1186(文治2)年に後鳥羽天皇から相撲行司官とされて以来、相撲の行司を家業としていました。江戸時代に「横綱」という資格を考案し、1789(寛政元)年から横綱免許状を授与していたのです。

 横綱が東京相撲で最高位力士として明文化されたのは1909(明治42)年のこと。51(昭和26)年からは吉田司家ではなく、日本相撲協会が横綱審議委員会の推薦を受けて横綱昇進を決めています。

 冒頭の記事は1890年なので、まだ「横綱」は地位というより資格だったのですが、同年4月の紙面に載った5月の本場所の番付表では、西ノ海を「張出し横綱」としています。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

上田 孝嗣(うえだ・たかつぐ)

1966年生まれ、福岡県出身。91年入社、東京本社校閲部、仙台、函館支局、東京本社地域面編集などを経て2012年から校閲センター。食と酒の美味探求とスキューバダイビング、旅好きなアラフィフ。共著に「パイプ大全」。