カミワスレ

水無田気流

地図に映えるは無量の偏光

ナキガラガイが鳴る地層

地図に消えゆく波涛はとうのしらべ

太陽暴徒がすぎさりし日に

ちりと花とのさかれる荒野

 

あなたは 残像ではなく喪失ではなく

ぼくらは 表頭ではなく消失ではなく

わたしは 標準ではなく得失などなく

ひたすら 過ちなどなく更新しかなく

 

うつそみのひとの跡地に花がさくカミワスレの日の春分点に

 

事実が 信仰になり 信仰が事実になる

信仰が 数字になり 数字が信仰になる

ここでは

わたしが 信仰になり 信仰がわたしになる

かみとごみとがひろわれる 場所で

あなたが信仰となり 信仰が視界になる

事実が信仰になり信仰が事実になる

信仰せよと、事実が踊る

 

地図にともるは無敗の王国

ハナチルサキに残響の鐘

地図に焼かれて生えるかぐつち

太陽壮図の軍勢がゆく

 

あなたは 反響ではなく抱合されずに

ぼくらは 反応ではなく放出でもなく

わたしは 感情ではなく彷徨ほうこうばかりで

どこにも 変更などなく平均しかなく

 

信心通貨が流通する場で かみとごみとがすてられる

信仰貨幣が鋳造されて かみとごみとがむさぼられる

かみとひととが混雑しながら 巨帯荒野に春が鳴る

 

わたしは 

恭順ではなく抵抗でもなく

あなたは 

表情などなく対抗でもなく

ぼくらは

破線史のあとを強行してゆく

ひたすら 

過ちなどなく信仰しかなく

わたしは 

信仰ではなく現実しかなく

 

ちはやぶる神の不在は仕様です

あしからずどうぞご了承ください

 

信仰法規が適用されて かみとごみとがまぜられる

信仰規制が定める範囲で かみとごみとがりさいくる

かみとひととを混濁しながら 変幻地図に過去が降る

あしたにひかるさんさんと 無間極楽天上の 舞

 

かぜのとの

遠隔操作でつくられた未踏の今を懐かしむ

ゆうべに知るは

神忘れの、場所

この国の空気、内から破壊する言葉

水無田気流さんインタビュー

二〇一二年三月四日掲載

 ――科学技術に依存する現代社会の絶望を以前から詩に書いてきましたね。

 「私としては、ずーっと思っていたことが(震災と原発事故によって)露呈したというか、ベールが一気にはがされたという気はしている。(震災前の)2010年に『ぼくらは 臨界までゆく ニセモノミチを』(*1)と書いているんです。(それより前の)第1詩集『音速平和』のなかでも『この場所を取り仕切るのは 熱膨張を繰り返す意志 おそらく現時点では 金属コードからできている』(*2)と書いていました。震災後、この社会が抱えてきた問題が多くの人に共有される形になった。一人ひとりが問題に対して無関心ではいられず、決断を迫られたり、あるいは、あえて気にしないということを選択したりせざるをなくなった」

 ――問題というのは。

 「私たちの生活はテクノロジー化されている。私たちは技術の枠内で考え、技術に依存して生きている。思考が技術化している、といってもいい。そうした中で、気配みたいなものでしか、技術化された世界と生のあり方との関係性はわからない。私たちは(人間という存在は)とても、もろい。私たちの文明ももろい。そのもろさの上に(技術によって無理に)強さを打ち立ててきた、ということです。そういう技術的な問題に加えて、地域間格差や少子高齢化など社会科学的な問題があります」

 「そもそも日本の社会というのは問題を問題化しないのが特徴。問題を問題化する人の方が批判されてしまう。言葉狩りのように。だから、問題を問題化するのは普通のトーンではだめで、絶叫しなくちゃいけない。この国で一番、問題なのは、討議を忌み、問題化を拒む雰囲気。この国の一番の支配者は空気なんです」

 「討議されること自体が嫌われるなか、さまざまな事柄が、なし崩しのうちに進行する。一番大事なことが討議されずに、一足飛びで現実がどんどん決まっていく。例えば、このままじゃ立ち行かないから増税するといわれ、いつのまにか多くの人が納得してしまう。官僚の無駄遣いとか、いろんな問題があるのに。そのなし崩しによって、地震国なのに、こんなに多くの原発が作られてしまった。一番大事なことが討議されずになし崩しで決まっている」

 ――そんな社会での詩の役割とは。

 「言葉で討議される以前に、なし崩しで決定されていく。討議する、言葉にすることがはばかられる。言葉でなく、空気を読まなくてはいけない。その空気に切り込んでいける言葉として、詩というものは、まだ可能性がある。まあ詩人は空気を読めないですしね(笑い)。詩は、日常的に成り立ってしまっている言葉の機能性や指示性を内側から破壊することができる。『内破する言葉』と私は呼んでいる。詩は、言葉の中にある、美的な表現でありながらも、言葉を破壊することができるんです」

 ――科学技術によって細部まで統御されている、この社会の中で、詩人が詩を肉声で読む意味とは。

 「音読するということは自分の身体をメディア化するということ。今、いろんなメディアがあふれていますが、詩人の身体自体がメディアになりうるんだ、ということを、知っていただければと思います」

 「私の場合、朗読は自分の中に詩が生まれた瞬間を再現するということ。言葉でないものが言葉になる瞬間、というのは、日常的に多くの人たちが会話の中で偶発的に経験している。それを朗読は再現することができる。身体性を消却した形で今まで書いていたという部分が大きいですよね。iPad(タブレット型端末)などで詩を読める人がふえる、電子書籍でリーディング(読み上げ機能)がつけられるとしたら、もう一度音読が復権する可能性もあるのではないか、と」

 ――吟遊詩人の復活ですか。

 「そうですね。私は、電子化された吟遊詩人を目指そうかなと」

(聞き手・赤田康和)

     ◇

*1 「現代詩手帖2011年1月号」に掲載された詩「浮遊器」の一部

*2 詩集「音速平和」(2005年刊)収録の同タイトルの詩の一部

水無田気流

みなした・きりう 1970年神奈川県生まれ。詩集「音速平和」で中原中也賞。著書に「無頼化する女たち」、本名・田中理恵子名による「平成幸福論ノート 変容する社会と『安定志向の罠(わな)』」など。女性や貧困をめぐる社会問題に詳しい