海辺の樹

辻井喬

なんという名前だったのか

ある日急に見えなくなってしまった樹は

夕方になるとたくさんの小鳥が

翼を休めに集まってきて

波の音を背景にしながら

ひとしきりその日の出来事を話し合った後で

みんな眠りに就くのだった

明日も今日と同じ日がくるのを信じて

 

かつては人間も樹や雲の言葉が分かった

その頃は風もよく樹と相談していた

不確かな自分の行方について

雲は夕陽に染まってもいいのか

それとももっと高く拡がって

北へ方角をとってもいいのかを確かめるため

そうして彼らの会話は

いつも自由に憧れる小鳥たちの囀りや

波の音に消されて終わるのだった

 

子供の頃私も樹の下に立止まって

彼らの話を聞き

そよ風のように樹とも雲とも話したいと思い

その頭巾を被ると

みんなの話が聴こえるという

聴耳頭巾を探したのだった

そんな希望を私に与えてくれた海辺の樹が

姿を消してしまったのだ

 

もう小鳥たちはばらばらになって

思い思いの里山を目指すしかなかった

雲は無言で山の頂の上を流れ

私は途方にくれ

にんげんの一生が束の間の闇なら

見る夢はもっと儚いに違いない

そう思ってふり返ると

人々は腕を組み首を垂れて耐えていた

時と場合では耐えることが勇気なのだった

 

その晩私は樹が箒の形になって

暗い空を渡るのを見た

たくさんの星を鏤(ちりば)め

ゆっくり地平線の方に動いていた

ひとつひとつの星は

翼を休めたことのある小鳥

あるいは言葉を交わした雲のかけららしかった

見ていると樹はもともと夜空に生えていて

私の立っている大地が動いているのが分かった

 

どこかでかすかに風が起きているようだった

淋しいことだけれども

私は理解しなければならないのだった

浜辺から消えた樹は

ひとりひとりの心の夜空に立っていて

それぞれの生き方をはじめたのだと

納得しなければならなかった

 

悲劇は襲ってこない方がよかったのだ

たとえそのために想いが深くなったとしても

私は生きていかなければならないのだから

耐えることに勇気の片鱗を示しながら

文学に突きつけられた疑問符

辻井喬さんインタビュー

二〇一二年二月二六日掲載

 ――大震災でどんなことを思い、感じましたか。

 「感じたのは人間存在のはかなさ。外から襲ってくるものに対して、人間というのはどうしようもない。そんな感覚です。一生懸命貯金して買った車が、津波で、ごろごろ、ごろごろ、おもちゃみたいに転がされていく。現場に行った人たちからは、映像では伝わらないすさまじい風景の話も聞かされた。昨年は、一年中、体調が悪く、感染症に弱い体になっているとして、医者から止められていて被災地には行けなかった。ただ、自分でも行くのがちょっと怖かったのも事実です」

 ――私たちの価値観は変わるのでしょうか。

 「私たちは、国内総生産(GDP)を増加させれば幸せになれると思ってやってきたが、グローバリゼーションの行き詰まりもあって、少しも幸せという感じが出てこない。私たちが信じてきた価値観が間違っていたのではないかと思い始めていた。そんなときに起きた大震災だった。震災後のいま、生きている人間は、基本的な考え方を変えなきゃならない。決定的といってもいいような変化をしないといけない、と思っています。『がんばろう日本』なんて、空々しいスローガン。まったく心に響いてこない。むしろ、復興では、『今までと違った日本をつくる』という考え方をベースにしなくてはいけない」

 ――今回、書き下ろしの「海辺の樹(き)」にはどんな思いを込めたのでしょうか。

 「一本だけ松が残っていた光景がありましたね。あれがヒントになっている。1本だけ残って、あとはみんな津波にやられてしまった。GDPをいくらあげても、人間は幸せになれない。消失した木々がそんなことを訴えたかったのではないか、と」

 ――震災で、詩や小説など文学はどんな影響を受けたのでしょうか。

 「文学作品、自分が書いたものが、この事態に耐えうる強さを持っていたのか、あるいは詩壇といわれている世界の表現力が、ああいう大災害を形象化する力を持っていたのか、疑問符をつけて問いかけられてしまったのだと思います。震災という事態は、人間の想像力を超えている。むしろ、想像力は働かない状態の方が楽ではないかとすら思う。それほど厳しい現実の中にいます」

 「自分が創作する上では、もっと簡単な表現があるんじゃないか。それを探したいという感じが強くなりました。詩も短歌も、文学作品において重要なのは、表現ではなく、表現を通じて訴えてくる心、なんだと。『心』が貧しければ、いくら表現が多彩で巧みでも、やっぱり、作品としては弱い。書く側が『これを書かないと生きていけない』という作品であることが大事に思えてきた。一方、人々が、言葉を求めているかどうかもわからない。言葉がなくても、切実な連帯感の方が、下手な言葉よりも力強いのではないか、とも思う。それでも、詩人としては、やっぱり、自分に向かって発するしかない。自分に向かって発することが、結果として、詩を読んでくださる人につながっていけばと思います」

 ――今の詩壇、詩人たちのことはどうみていますか。

 「日本の今の詩壇は、対社会的、対歴史的なものごとへの対応力という意味で、弱いと思います。自分も含めてね。外国の詩人と議論すると、よくわかる。たとえば、韓国には、国が南北に分断されている問題や、植民地時代にさんざんな目にあわされた歴史に、正面から向き合っている、すぐれた詩人がいる」

 「日本の今の詩にはそういう強さがない。これは詩人たちの責任というよりも、日本の明治以降の文学が思想を表現する言葉を持っていないという問題が大きい。作家や詩人たち、日本の文学者は、思想と向き合う表現を文学の表現としてできていない。そもそも、思想の言葉そのものがヨーロッパの思想書の翻訳をもとにしていたため、感性から遊離した表現が多すぎた。思想の言葉を持つために、アリストテレスやプラトンを読まなくてもいい。むしろ、日本の古典や、自分の表現をしようと格闘した日本の思想家たちの言葉を読めばいいんです」

(聞き手・赤田康和)

辻井喬

つじい・たかし 1927年生まれ。詩集「群青、わが黙示」で高見順賞、小説「父の肖像」で野間文芸賞など受賞多数。12年に文化功労者。堤清二の本名で実業家としても活躍。セゾングループ元代表で、1970年代以降の消費文化を育てた。13年、86歳で死去