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孤族の国

細る開拓地 外国人妻涙 「孤族の国」3・11から―2【全文】

2011年7月24日23時20分

 がらんとした牛舎に、牧草や牛ふんの甘くすえた臭いが漂う。

 原発で 手足ちぎられ 酪農家

 壁の黒板にチョークで書かれた「辞世の句」が、消されずに残っていた。

 福島県相馬市の副霊山(ふくりょうぜん)地区で、酪農を営む男性(54)が自死したのは先月。携帯電話の電波も途切れる山あいの農場に、小1と幼稚園児の2人の息子を抱えた妻(33)が残された。

 小柄で目がくりっとしたフィリピン国籍の妻は、自分を責め、家にこもっていた。「私がそばにいたら、死なずに済んだかも」と。

 夫の死を知ったのは、ルソン島の実家へ一時帰国している時だった。原発事故後、フィリピン政府の呼びかけに応じ、子供を連れて避難していた。

 「農場再開のめどが立たないんだ」。夫とは、数日前に国際電話で話したばかり。息子の手を引いて成田空港に降り立ち、手荷物を受け取るのも忘れて福島に舞い戻った。

 子供らに涙は見せたくない。だが、夜になると抑え切れなくなる。日本語もままならず、夫の死に伴う法的手続きを、周囲に頼る自分がもどかしい。

    ■

 「高3の孫に、酪農を継がせてよいものか……」

 仲間の自死を機に、近くで農場を営む村松征吉さん(73)は悩む。原発から北西50キロの副霊山は放射線量が比較的高い。事故後、原乳出荷が一時止められた。

 酪農の盛衰を肌で知る。終戦の翌年、兵隊帰りの農家の次男三男や旧満州引き揚げ者らが山林を開墾した開拓地だ。戦災復興と食糧増産の右肩上がりの時代。115世帯すべてが酪農に取り組み、「電気や電話が通じ、牛が増え、暮らしがみるみる良くなった」。

 だが、1970年代がピークだった。「物価の優等生」と呼ばれる乳価は抑えられ、少子化で給食用など牛乳消費量も低迷する。住民は75世帯にしぼみ、うち酪農家は自死した男性を含め6世帯に。原発事故はそこを突いた。放射能を避け、自主避難も始まる。

    ■

 細る地域を支えるのが、アジアからの外国人だ。

 毎朝、副霊山の一角に、若い女性の中国語が響く。鶏肉処理場へ通う20人の中国人実習生たちである。地区人口の1割を占める。

 工場は、酪農を諦めた農家の多くが養鶏に転じ、設立された。だが、海外から安い鶏肉が大量に輸入されるようになると、農家は養鶏から撤退し、働き手も外国人へ重心を移した。

 家族の維持にも貢献している。東北の農村が「外国人花嫁」を積極的に招き始めたのは80年代半ば。いま福島県には2千人超のフィリピン人が暮らす。副霊山にもフィリピン人2人、中国人3人がやってきた。

 99年に業者を通じてフィリピン人女性と結婚した地区の男性(51)は言う。「朝夕2回、乳を搾り、休めない酪農は3K職場。日本の嫁さんは来ない」

 自死した男性の妻は、02年冬に来日した。最初は雪の冷たさや、朝5時起きの生活に戸惑った。慣れると、軽トラを操り牧草を運んだ。月1度の休み、家族で近くの温泉に出かけたのが懐かしい。

 これからどうしよう。自分にとってここは異国。でも、息子らにとっては故郷だ。気持ちは揺れる。

 「残るならストロング・マザーにならなくちゃ」。静まり返った農場を見つめた。(西本秀)

  

孤族の国

  単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎えます。「孤族」の迷宮から抜け出す道を、読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
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