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孤族の国

避難の母 支えきれなくて 「孤族の国」3・11から―3【全文】

2011年7月25日22時15分

写真拡大仮設住宅で独り暮らしをする太田和子さん。必要最小限の生活用品しかない部屋で、趣味の手芸をして一日を過ごすことが多いという=宮城県石巻市、仙波理撮影

 また、泣いている。背を向けて、声も出さずに。

 宮城県石巻市の実家が津波で流され、東京都江東区の小林真智子さん(52)のマンションに身を寄せた母の太田和子さん(77)は、部屋にこもって縫い物ばかりしていた。「東京にいたら何もすることがない。死ぬの待ってるだけだ」

 母に合わせ、生活時間帯も、食事も変えた。出かけることもできない。なのに――。つい言葉がきつくなり、自己嫌悪に陥った。

 震災前は、認知症の父(84)を母が世話する「老々介護」の状態だった。ベッド脇に便器があり、そこで父は食事をする。母は夜中に何度も起こされる。そんな生活がいつか限界を迎えることはわかっていた。

 これからは、もっと頻繁に実家に帰ろう。そう考えていた矢先、地震が東北地方を揺さぶった。

     ◇

 震災の1週間後、石巻に駆けつけた真智子さんが見たのは、別人のような母だった。錯乱状態になって避難先で暴れ、父と一緒に総合病院に搬送されていた。「毒が入っている」と食事に手をつけず、やせ細っている。

 急患であふれる病院には、いつまでもいられない。高齢者2人の居場所を求め、漂流が始まった。

 県の紹介で仙台の介護施設へ入ったものの、母の錯乱の原因は一時的な水分不足と診断され、長居はできなかった。「石巻で暮らす」と言い張る母を連れ、父を施設に残して東京へ。だが、家族3人に母が加わった生活は、想像以上のストレスだった。

 受け止めきれなかった。

 1カ月ほど経った頃、母の地元の友人から電話があった。方言で楽しそうに話す母を見て、決断した。「仮設住宅に申し込もう」。それから、母は、みるみる元気になった。

 一方、石巻に戻る母に同行した真智子さんは、すぐに帰りたくなった。30年離れていた故郷は異文化のよう。母とも、細かいことですぐ言い争いになる。

 ショッピングセンターで、見知らぬ男性が話しかけてきた。「娘のとこにいたけど、気い使って、3日で帰ってきたよ」。家族や知人を頼った縁故避難の難しさに悩むのは、自分たちだけではなかった。

 結局、2週間で逃げるように東京に戻った。誰にも話せず、何かをする気力もない。母も、同じ思いだったのか。

     ◇

 「ごめんくださーい」

 和子さんの暮らす石巻の仮設住宅に、近所の女性がいなりずしを持って訪ねてきた。新しい「ご近所さん」とも、食べ物を分け合う生活が始まっている。

 「東京だと、家族以外と話さないの。ここは、散歩にいけば知り合いがいるし」。自ら願った故郷での暮らし。介護からも解放されたが、1人の時間は長い。先のことを考えるとパニックになるから、縫い物や草取りで時間をつぶし、考えないようにしている。

 仙台の介護施設を出て以来、夫とは会っていない。「私のことばかり心配してんだって。かぁは料理がうまい、っていってやんだそうです」。うれしそうに話したが、一緒に暮らしたいかを尋ねると言葉を濁した。「これからどうなるかもわかんないしね」

 先が見えないのは、真智子さんも同じだ。たとえ命は縮めても、家族が一緒に暮らした方がいいのではないか。いや、1日でも長く生きてほしい。揺れながら、自分に言い聞かせる。

 今はこうするしかない、と。

■同居の負担 分かち合える場を

 せっかく親族宅に「縁故避難」したのに、被災した自宅や環境の悪い避難所に戻る被災者は少なくない。家族だから支えたい。そう思っても、価値観の違う世代が共に暮らすのはそれほど簡単ではない。家族が縮小し、支える側の負担も大きい。これは、子育てや介護とも通じる問題だ。

 真智子さんは、取材に思いをはき出し、少し楽になったという。当事者同士で分かち合うだけでも、救われる人は多いはずだ。行政やNPOの支援に頼るだけでなく、自力でどれだけそんな場を作れるか。胸に手を当ててみる。(仲村和代)

  

孤族の国

  単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎えます。「孤族」の迷宮から抜け出す道を、読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
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