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教育あしたへ

貧困救う学びの場―教育あしたへ7

2011年1月13日10時37分

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写真キッズドアの無料塾「タダゼミ」。中学生が大学生の講師に質問をしていた=5日、東京都中央区、相場郁朗撮影

写真ひきこもりなどの問題を抱える若者たちが、NPO法人「SSF」の橋渡しで、病院でのボランティア活動に汗を流した=昨年12月28日、佐賀市、相場郁朗撮影

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 事務所に電話をしてきた女性は、中学校の教師だと名乗った。きっと放課後なのだろう。「うちの生徒をおたくに通わせたいんです。成績が振るわず、このままでは全日制の高校に合格するのは難しい。何とかしてあげたい」

 東京のNPO法人キッズドア。片貝英行事務局長(32)は無料塾「タダゼミ」の案内を送る約束をした。昨夏から始め、教師からの打診はこれで3回目。もう驚かない。秋のことだ。

 高校受験向けの塾へ行きたい。でも家にお金がない。そんな貧困家庭の中学生のための「無料塾」があちこちに生まれている。いわば福祉施策としての塾だ。

 年末年始。タダゼミの集中講座には30人ほどが通った。ボランティアの大学生が横につき、わかるまで一緒に問題を解く。隣にいられるのって嫌じゃない? 理科をやっていた藤掛あいりさん(15)に聞くと「全然。分からないところをすぐに聞けるもん」。

 もともとは子ども向けの無料音楽会などを開いていた。だが引率する母親たちのおしゃれな姿を見て、理事長の渡辺由美子さん(46)は考え直した。本当に助けが必要な子どもに手が届いていない。

 でも貧しさがどういうものか、よく分かっていなかった。受験対策のために偏差値を知ろうにも、模試代4300円を払えない生徒がいた。賞味期限が残り少なくなった食品などを企業から寄付してもらう「フードバンク」の利用を募ると、生徒を通じて15件余りの申し込みがあった。「教育の問題を掘り下げていたら、福祉の問題が出てきた」と片貝さんは言う。行政とどう連携するか。それが今後の課題だ。

 親の収入で子どもの進路が左右される。進路が決まれば将来の収入が決まる。

 公立高の募集定員は十分ではなく、誰もが入れるわけではない。「都立に落ちたら私立は無理。家計が苦しい」というつぶやきを、江戸川中3勉強会の若井田崇さん(38)は聞いてきた。東京都江戸川区で、生活保護家庭の子どもに勉強を教える。「九九もできないような子に都立高進学を勧めて甘やかす――。私たちはそう見られているかもしれません。でも高校受験は、その子が生まれ変わるチャンスなんです」

 荒川区では、区議の瀬野喜代さんが建設会社の社長室を借りて「無料塾」を11月から開いている。小さな台所と応接セット、社長の机。部屋はそれでほぼいっぱいだ。通ってくる中3のうち、1人は大家族の長女。一番下の幼児まで、ほぼ2、3年おきに弟妹がいるが、自宅はここより少し広いくらいと言う。勉強する環境がない。「本当は学校で出来たらいいのに」。瀬野さんは首をかしげる。

 教師の側はどう思っているのだろう。キッズドアに連絡してきた教員が、匿名を条件に取材に応じてくれた。「タダゼミを私が勧めていいのか。ジレンマはあります」。学校の壁の月間予定表にチョークの細かな字で会議などの日程が並ぶ。「学校で個別に教えてあげられたらとは思います。でも生徒たちの部活や掃除もつきっきりで見て、やっと職員室に戻るのが午後4時過ぎ。余裕がないんです」

 もう待っていられない、と片貝さんは言う。「学校が変わるのに10年かかる。でも目の前で子どもたちは貧困の連鎖に落ちていく」。教育と福祉。二つの世界が重なり始めている。(谷津憲郎)

■学校と社会 橋渡し

 教育と福祉をつなぐ。

 不登校や家庭内暴力などの問題を抱える子どもを支え、解決の道をさがす「スクールソーシャルワーカー」と呼ばれる人たちがいる。

 年末のある日。

 東京都杉並区のスクールソーシャルワーカー入海(いるみ)英里子さん(38)は、区立中の校長室にいた。学期末の大掃除で、にぎやかな声が廊下を行き交う。ガラリと戸を開けて、女性教諭が顔を出した。「会った?」「いや、まだ」

 生徒の一人が、この日、久しぶりに学校へ来た。中2で不登校となり、担任の女性教諭にも会わぬまま約1年半。入海さんは週1回、家を訪れてきた。「うれしいなあ」。教諭と抱き合った。

 家庭のない若者を受け入れる自立援助ホームの寮母だった。いまは区教育委員会に籍をおく。

 学校から車で15分。勤務先の教育センターに戻ると、続けざまに電話をかけた。担当する生徒は、区内20校余りの約30人。親、担任教師、児童相談所、塾の先生、フリースクール、保護司、よく通っているという店の主……。子ども1人のために、少なくとも大人10人と連絡をとる。結局この日、25本の電話をかけて16本の電話を受けた。

 スクールソーシャルワーカー制度は、2000年以降、兵庫県や香川県などで始まった。区教委が初採用したのは07年。「いったい何をやってくれる人だろうと思っていた」と区立井荻中の中嶋隆雄校長は振り返る。「助かるのは『その問題なら、ここに連絡すればいい』というアドバイス。私たちの知らないことがいっぱいありました」

 教師は生徒の家庭になかなか踏み込めない。個人情報の管理が厳しく、生徒の親の年齢も職種も知らない。福祉にもうとく、ケースワーカーが何をする人かも分からない。

 こうした状態を打開しようと、文部科学省は約30年ぶりに生徒指導の基本書を昨年改訂し、スクールソーシャルワーカーの活用を促した。

 ただ新しい試みには、裏付けとなる財源が欠かせない。

 文科省は08年度、15億4千万円の予算を組んで「スクールソーシャルワーカー活用事業」を展開。国が全額負担する形で、ワーカー944人が46都道府県で活動した。だが翌年度からは自治体が費用の3分の2を負担する仕組みに。すると、同事業によるワーカーは552人に減った。

■就職支援や心のケアも

 「お金の問題は大きいです」と大阪府熊取町の職員、吉田茂昭さん(48)は言う。今年度、国とは違う枠組みで新たにスクールソーシャルワーカーを1人採用した。

 関西空港に近い人口4万5千人足らずの小さな町。ここ数年、予算の硬直性を示す経常収支比率は95%前後を行ったり来たりと高い。自由に使えるお金が少なく、簡単には新しい施策を始められない。

 そこで町が考えたのは、「福祉」でもらい「教育」で出すという奇策だった。

 目をつけたのは、大阪府福祉部が取り扱う「地域福祉・子育て支援交付金」。市町村のアイデアに府が金を出す仕組みだ。これをスクールソーシャルワーカーの人件費にあてたいと府に申請。約330万円を得ると、町の予算上は教育費として計上した。

 「どこのお金だろうと、大事なのは子どもや家庭に何が必要かということやないですか」と吉田さんは語る。じつは珍しい肩書の持ち主だ。「町教育委員会指導主事」と「町健康福祉部子ども家庭参事」。二つを兼務している。「虐待などは学校だけでは対応しづらい。行政が出来ることは何やと考えたら、こうなったんですわ」

 三重県松阪市は昨夏、教育委員会と福祉部、保健部を連携させた「育ちサポート室」を開設した。発達障害などの子をたらい回しにしない支援体制づくりを目指す。

 「教育委員会と一般の行政組織の間には壁がある。だが学校だけでなく、社会全体で教育するという考え方が大事だ」と山中光茂市長(34)は語る。

 教育、福祉、医療、雇用……。官民が一体となって、こうした壁を乗り越えている、と全国から注目されている地域がある。佐賀県だ。

 22団体がつくる輪の中心にNPO法人「スチューデント・サポート・フェイス(SSF)」がいる。

 師走の午後。佐賀市内の病院のフロアでは、10〜30代前半の男性5人がボランティア活動中だった。患者を運ぶストレッチャーをスポンジや布で丁寧に磨く。みな不登校や引きこもりなどの問題を抱えている。SSFの代表、谷口仁史さん(34)が「きれいだねえ」と話しかけると、みな照れくさそうに笑った。そうやって、社会で必要とされる経験を重ねる。

 03年に発足した時は、不登校の子どもを「家庭教師」として訪れ、孤立させないようにする教育的な活動が主だった。でもそれだけでは救えない。卒業・中退してしまえば学校につながる道は絶たれ、ひきこもりやニートになるケースが少なくないからだ。

 就労支援や心のケア、居場所づくりなど、一人ひとりの事情に応じて専門機関やNPOに橋渡ししてあげるという、福祉や雇用にも手を広げた活動が大きな柱になった。

 いまや、子どもや若者に関する県の総合相談窓口の運営を任されている。こうした事業委託費や寄付金が主な活動資金だ。「官には安定した基盤と予算がある。だが、現状に柔軟に対応できるのは民間。子どもの抱える問題が複雑化している中、タテ割りではなく官民協働でこそ救える子たちがいる」と谷口さんは語る。(谷津憲郎、安仁周)

■福祉との連携、急務

 教育と福祉の連携について、広井良典・千葉大教授(公共政策)に聞いた。

 教育と福祉という二つの分野は、本来は近接しているはずなのに、これまで相互の交流がほとんどない疎遠な分野だった。それは行政のタテ割り、大学での教育、現場の関係者の意識すべてに関して言える。

 その一つの理由は、「主に人生前半に関わる、積極的なもの=教育」、「主に人生後半に関わる、事後的なもの=福祉」という区別がなされてきたことによる。福祉がそのようなものと見なされているために、約100兆円に及ぶ現在の日本の社会保障の約70%は、高齢者関係の給付になっている。

 しかし現在、生活上のリスクは「人生の前半」に大きく広がっている。失業率がもっとも高いのは高齢者ではなく20〜30代の若者であり、大学進学率と親の収入には明確な相関が見られる。

 エデュケート(教育する)という言葉の原義は「その人の可能性を引き出す」という意味だ。これは今後の福祉の方向である「ポジティブ・ウエルフェア」、つまり積極的かつ予防的な福祉という発想とまさに重なる。教育と福祉の分野の壁を取り払った連携と、政策支援の強化が今こそ求められている。

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