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30歳、一人で伝える言語 言葉よ、よみがえれ―1

2009年6月1日15時1分

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写真リボニア語の話し手ユルギ・スタルテさん(中央)と長男カルリスオスカルス君(右)、長女レリュちゃん=ラトビア中部トゥライダ、国末写す

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 世界60億人のなかで母語とする人が独りぼっちの言語――。その存在は、国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)が2月に発表した「消滅の危機にさらされている言語」に関する調査結果に記載されている。ラトビアのバルト海沿岸の漁村に伝えられるリボニア語(リーブ語)だ。

 ユネスコの調査結果の代表編集者で自らもバルト諸語を専門とする言語学者クリストファー・モズレー氏から「この人でないか」と聞いて訪ねたのは、意外にも、まだ30歳の女性ユルギ・スタルテさんだった。フォークグループ「トゥリ・ルム」(リボニア語で「熱い雪」)のボーカルを長年務めた歌手だ。歌のほとんどをリボニア語で歌う。

 スタルテ家は、リボニア語最大の詩人カルリス・スタルテ(1870〜1947)を生んだ名家。しかし、この言語を話したのは祖父母の代まで。ソ連支配下でリボニア語は弾圧を受け、多くの人がラトビア語に生活言語を変える中、ユルギさんの両親もラトビア語で育った。リボニア語はウラル語族に属し、印欧語族のラトビア語とは構造は全く異なる。

 リボニア語をわずかしか話せない両親の世代を飛び越えて、ユルギさんがこの言語を受け継いだのは、両親が祖父に「ユルギにリボニア語で語りかけて」と頼んだからだ。「それがリボニア語を救う唯一の方法だと思ったから」と母ヘルミさん(60)。

 ユルギさんは他のラトビア人が通う幼稚園にも行かず、祖父のもとで昔話を聴きながら成長した。海の民リボニア人が宝とする船の物語、世界の始まりの神話、民族が生んだ偉人の逸話――。92年に祖父が亡くなるまでリボニア語で会話を続けたのだった。

 ユルギさんはいま、長男カルリスオスカルス君(10)と長女レリュちゃん(3)にリボニア語で毎日話しかける。

 言葉を失ったリボニア系市民の間で近年、言語習得運動が盛んだ。ユルギさんも頻繁に指導に出かけ、リボニア語の歌を一緒に歌う。

 取材を進めるうち、ラトビアには隠れたリボニア語の話者がいる可能性が高いことがわかってきた。カナダに住む99歳のラトビアからの移住者も知られている。

 ただ、母語話者が数人レベルに落ち込んだ言語が復活し得るだろうか。多くの言語学者は否定的だが、ラトビア大学現代言語学部のエドガルス・オシンシュ学部長(60)は「古代のヘブライ語を復活させたイスラエルの例もある。人々の意思がある限り言語の復活は可能だ」とみる。

 ユルギさんは語る。「人がその言語を自らの魂と受け止めるなら、いくつかの単語や文章を話せるだけでも素晴らしいこと。リボニア語を話す社会もいつかきっと再興できると思います」(リガ=国末憲人)

    ◇

 世界各地で失われていく言語がある。保護と復興を目指す人々がいる。ユネスコは、日本のアイヌ語や琉球諸語など約2500の言語が消滅の危機にさらされているとした。そうした言語が残る地を訪れた。

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