英国とアイルランドに挟まれた淡路島ほどの英領マン島。独自の自治政府や議会を持つが、住民は英語を話し、英国風の田園風景が広がる。
この島に、島言葉であるマン島語で授業を行う小学校がある。4〜11歳の53人が在籍。マン島語で歌を歌い、壁にはマン島語で名前を書いた動物や花の絵が張ってあった。
マン島語はケルト系住民が話すゲール語の一派。19世紀から英語に押され、20世紀初めには約4500人が話したが、61年の調査では約160人に激減。74年にはマン島語を母語とする最後の住民が亡くなった。
70年代にタックスヘイブン(租税回避地)として知られるようになると、英国からの移住者が人口の半分を占めるようになり、島独自の文化は急速に薄れていった。
マン島議会のフィル・ゴーン議員は「当時はマン島語を話すと先生にぶたれた。人生に必要なのは英語で、マン島語は下層民が話す言葉と見下された。幼少のころマン島語があった風景が消えていく。『自分は誰だ』と危機感をもった」と話す。
96年に同じ思いを抱く親たち数人がマン島語で話すサークルを作った。マン島語の幼稚園設立を政府に求めたが、「対象が少なすぎる」と認められず、普通の幼稚園でマン島語に親しむ時間を設けることにした。こうした活動が小学校を作る動きに発展。そして01年、児童9人でマン島語だけの小学校が150年ぶりに復活した。
幸運にも70年代に、言語学者が母語話者との会話を録音し、マン島語・英語辞典を作っていた。マン島語に翻訳された聖書もあった。これらの文献を集めてマン島語の教育プログラムをつくった。
マン島語小学校のマシューズ校長は「グローバル社会では英語で十分と思いがちだが、異文化を理解できなくなると戦争などの悲劇をもたらす。他の言語を学び、異文化を理解できる子どもを育てることが大切だ」と話す。
同校に通うイメジェンさん(10)は将来、マン島語の小説家になるのが夢だ。マン島語を「消滅の危機にさらされている言語」に指定した国連教育科学文化機関(ユネスコ)に、マン島語で抗議の手紙を書いた。「私たちがいるのに、消滅なんて信じない」
現在、マン島語の話者は2千人近くに復活した。その半数はイメジェンさんのような20歳以下の子どもが支える。(英領マン島=土佐茂生)