待ち合わせに少し遅れた私たちを、華やかな衣装の女性たちの歌が迎えてくれた。
「遠い道のりを来てくれたお客さん。待っている間に服が1着織れてしまったよ」
リーダーのイルガ・レイマネさん(66)が即興の文句をうたい上げる。女性たちの2声のドローン(持続低音)が支える。バグパイプの演奏にも似た独特の合唱だ。
音楽だけでない。ラトビア西部、バルト海に面した402平方キロ、人口3千人足らずのスイティ地区には、周囲と異なる文化が息づく。参列者が馬に乗る結婚式、ホームメードのニンジンケーキなど代々伝わるレシピに基づく料理、赤と黄を多用した明るい民族衣装、独特の方言……。
プロテスタントが圧倒的なこの地方で、スイティだけは島のようにカトリックの信仰を守ってきた。周囲との交流を断ち、長年孤立した生活を送った結果、他の地区で廃れた古風な伝統が残された。
きっかけは一つのロマンスだ。17世紀に地域を統治したシュベリン公ヨハンウルリヒは、ワルシャワの舞踏会でカトリック女性バルバラと恋に落ちた。結婚のためカトリックに改宗したヨハンウルリヒは1632年の帰郷後、領民にも改宗を強要。以後領地がカトリックとなったのだ。
独自性を保ってきた文化が脅かされたのはソ連体制下。農業の集団化によって農村生活が激変し、多くの住人が見せしめのためシベリアに移住させられた。
リディア・ヤンソネさん(69)は、強制労働を課せられた親に連れられて8〜16歳をシベリアで過ごした。「現地では歌さえ歌えなかった。帰郷して、自分たちの文化がいかに素晴らしいかを再認識した。それが今の活力」。合唱団を率いて活動する一方、スイティ文化に関する随一の知識の持ち主として証言活動にも携わる。
文化継承の機運が高まったのはここ2、3年のこと。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産への登録を求める声が地元市民から上がった。中心は元エコノミストで昨年から地元アルスンガ村長を務めるグリゴリス・ロゼンタルスさん(42)。ユネスコへの報告書の草稿を自ら執筆しただけでなく、ラトビアからの独立をちらつかせるなどアイデアあふれるパフォーマンスで政府を動かし、緊急リスト登録を実現させた。
過疎で住人がこの100年で5分の1になるなど、将来は不安定だ。しかし、ロゼンタルスさんはいう。「貧しくひっそりと暮らしていた人々が、登録運動をきっかけに『スイティの住民だ』と胸を張れるようになった。学校での文化教育を充実させ、次世代に遺産を引き継ぎたい」(アルスンガ=国末憲人)=「緊急リストから」おわり