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人種の壁も越えた響き 異郷にて―1

2010年6月21日15時38分

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写真週末の街角で太鼓をたたきながらダンスするカンドンベ愛好家のグループ=モンテビデオ、平山写す

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 ダンダンダン、ダンダンと激しい太鼓のリズムが、部屋の壁を揺るがす。ウルグアイの首都モンテビデオ市立の文化センターの一室は、30人近くの男女が一心不乱に奏でるアフリカ起源の音楽「カンドンベ」で熱気に満ちていた。

 「太鼓をたたくと、ストレスから解き放たれる」と、カンドンベを教える白人の打楽器奏者ダニエル・マルケスさん(35)は笑顔を見せる。

 アンゴラなどからの黒人奴隷の陸揚げ港だったモンテビデオの中でも、特に黒人の多かったパレルモ地区でマルケスさんは生まれた。幼い時から、カンドンベはいつも周りにあった。

 奴隷貿易が盛んだった18世紀半ばから19世紀にかけ、奴隷たちは、休日の日曜日にそれぞれの部族が狭い空間に集まり、宗教的な儀式をひっそりと行った。酒を飲みながら激しく奏でる太鼓の音に合わせて歌って踊り、トランス状態になることも。やがて、この狭い空間での集会が禁じられたため、部族の違いを超えて一緒に路上で太鼓をたたき始めたのが、カンドンベの起源だという。

 メロディーを奏でる楽器はなく、チコ、レピーケ、ピアノという3種類の太鼓が中心だ。歌詞があるものもあり、遠く切り離されたアフリカの土地を思ったり、つらい労働を嘆いたりする歌も多い。

 だが、現在の同国の人口の9割が白人で、黒人はわずかに2%だ。黒人が人口の半分近くを占めたこともあったが、近隣のパラグアイとの戦争などで最前線に送られ多くが命を落としたという。

 わずかに残った黒人が密集していた集合住宅で、黒人はカンドンベを演奏し、昔ながらの習慣を守っていたが、1973年から10年以上続いた軍事独裁政権は、この住宅を破壊、カンドンベを禁じた。

 カンドンベが再評価されるようになったのは、軍事政権が終わってからだ。この黒人の伝統文化に白人たちがのめり込んだ。昨年、ユネスコ無形文化遺産に選ばれてからは、習いたいという人々も増えた。今年からマルケスさんが始めたネット上の「カンドンベの太鼓教室」には、世界30カ国の250人が登録。授業料は月30ドルで、リズムの取り方を教えている。

  モンテビデオには、カンドンベ愛好者のグループが大規模なもので60程度あると言われ、毎週末、太鼓をたたき踊りながら路上を行進する。200人のメンバーがいる「タンゴ・カンドンベ」の指導者エルナン・ペネドさん(31)は、「強くたたいて、手から血が流れていることもよくある」と太鼓をたたきながらほおを紅潮させた。(モンテビデオ=平山亜理)

     ◇

 伝統や文化はしばしば、その国に古くから根づいた人々の独占物だと思われがちだ。しかし、移民や移住者、難民といった新たな来訪者がもたらす異郷の文化もまた、守り伝えるべき貴重な遺産。その姿を各地に追う。

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