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染め技術、授業で伝える 世代をつなぐ―1

2010年9月13日15時47分

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写真学芸員の指導を受けながらバティック作りの実習をする高校生=インドネシア・プカロンガン、矢野写す

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 ろうを溶かしたあめ色の液体で、草木などをモチーフにした模様を真っ白の布に描いていく。インドネシア伝統のろうけつ染め「バティック」。ジャワ島中部のプカロンガンのバティック博物館で、地元の高校生が学芸員から製法を学ぶ。

 ムハマディア工業高1年のアグス君(15)は指先の動きを凝視する。「祖母が描いているのを見たことはあったが、実際に描いたのは初めて。集中力がいるので疲れるけれど、おもしろい」

 バティックは、鳥や動物、風景など多様で複雑なモチーフを描き、1枚作るのに数カ月以上かかることもある。インド更紗(さらさ)の影響を受け、インドネシアでは14、15世紀までに原形がほぼ完成し、18〜19世紀にジャワ王朝の宮廷文化の中で発展。しだいに庶民にも広がったとされる。

 2009年、インドネシアのバティックは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録され、さらに、このバティック博物館も、熱心な継承活動を続けている例として認定された。

 博物館の建設は、ある財界人のアイデアだった。石油や繊維業などの国営企業の幹部を務めた商工会議所財団会長のイマンさん(70)。両親の実家があるプカロンガン県は、人口の約7割が何らかの形でバティック産業に関係するとされる大産地だが、1990年代後半の経済危機後に需要が衰退。親族から「後継者が見つからない」との悲鳴が上がった。

 そこで2006年、財団メンバーに出資を募り、地元自治体と協力して博物館を開いた。オランダ統治時代の工場跡地を改修。全国の工房から800点以上を集めた。

 力を入れたのが若い世代への技術の継承だ。教育省にかけあい、地元の学校の授業に、博物館でのバティック実習を採り入れてもらった。来館者の多くが高校生だ。07年には地元の工業高校がバティックの専門学科を新設。現在100人以上が在籍し、職人を目指す。

 政府もバティック振興を後押しする。インドネシアを代表する文化として打ち出そうと、ユネスコの登録にも尽力した。

 08年ごろには、バティックデザイナーや愛好家らが新たなデザイン開発や国内外でのファッションショーを開催。これまで年配層の礼服として着られがちだったバティックが、若者にも受け入れられるようになった。

 ここ数年の好調な経済も影響し、バティックの売り上げも息を吹き返した。「単なる作品の展示場としてでなく、体験学習や情報発信の基地として博物館を発展させたい」とイマンさんは期待する。(プカロンガン=矢野英基)

     ◇

 無形の文化遺産を次の世代に伝える試みが、各地で続く。活動の拠点として、地域の博物館や教育文化施設が果たす役割は大きい。各国に取り組みを追った。

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