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 8月24日、長野県・軽井沢に日本にはこれまでなかった新しい形の学校が誕生しました。「インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢」(ISAK)。全寮制で日本人だけでなく、アジアや南米、欧米など世界各国からやってきた多様な若者が学びます。育てたいのは世の中をより良い方向に変えてゆく「チェンジメーカー」。学校づくりに奔走してきたISAK代表理事の小林りんさんに学校建設に向けた抱負を聞きました。

2014年9月1日

構成/安井孝之 写真/竹谷俊之

応募者の22%がフェイスブック経由

写真 小林りん(こばやし・りん)氏 1974年生まれ、東京都出身。学校法人インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)の代表理事。高校を中退しカナダのインターナショナルスクールに留学。東大経済学部卒、米スタンフォード大教育学部修士課程修了。国連児童基金(ユニセフ)ではフィリピンの貧困層教育にかかわった。

夏野 うちの娘が今、スイスのインターナショナルスクールのサマーキャンプに行っています。世界中からスイスやイギリスのインターナショナルスクールのサマーキャンプに若者が送られてきます。日本にはこれまでそういう学校はありませんでしたが、小林さんはここ軽井沢で数年前からやっていましたね。

小林 今年の夏は5回目でした。最初は30人の定員に対して34人しか応募がありませんでした。参加者は5カ国。それが今年は80人に対して43カ国から540人の応募がありました。

夏野 そういうこともやりながら、ちゃんとしたインターナショナルスクールを準備してきた。それがいよいよ8月24日に開校しました。

小林 正確にいうと本当は最初から学校をやりたかったんですけど、お金がなかったのでできませんでした。

夏野 ずっとサマースクールだったのは、お金の都合だったんだ。

小林 そうなのです。できなかったので2年間ぐらいあがいたのです。2008年、09年と。リーマン・ショック直後でとてもじゃないけれど学校をつくる資金はどこにも転がっていませんでした。そんな時、early small success、つまり「どんなに小さいのでもいいからまず形にしてみろ」というアドバイスをある起業家の方にいただいて、なるほどそうかと思い始めたのです。でも最初は「これって寺子屋?」「私は学校をつくるために来たのだけれど」と思いながら、迷った末に始めたのがサマースクールなんですね。

写真 夏野剛(なつの・たけし)氏 1965年生まれ、49歳。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授。NTTドコモ時代に、「iモード」「おサイフケータイ」などの多くのサービスを立ち上げた。ニコニコ動画のドワンゴの取締役もつとめる。

夏野 とりあえずサマースクールから始めたというわけですね。

小林 そうなんです。5回目の開催となった今年、すごいなあと思ったのが、540人のサマースクール応募者のうち、15%がISAKをフェイスブックで知ったということ。本校1期生の応募者に至っては22%がフェイスブック経由でした。ソーシャルメディアが大きな影響力をもつ時代だなあと実感しています。

夏野 ところで海外からも生徒が集まるインターナショナルスクールを日本につくろうと、なぜ思ったのですか。そんな無謀なことを考える人は今までいなかった。東京などには外国人駐在員の子弟向けインターナショナルスクールはあるけれど、世界中から来て、しかも全寮制のインターナショナルスクールは日本にはなかった。そんなものをなぜつくろうと思ったの?

小林 私たちの学校のミッションは、日本だけではなく、アジア太平洋地域とその先にあるグローバルな社会のために変革を起こせる人をつくりたい、というものです。リーダーシップ教育というとだいたい政治家養成や偉大なCEO(最高経営責任者)養成と勘違いされがちです。生徒が50人だと、リーダー育成率は学級委員長1人ですよね、と言われたりする。49人はどうやってリーダーになるんですかって言われるわけですが、そうじゃありません。

(夏野剛の逆説進化論)「調整型リーダー」の終わり(2013/12/21)

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 私たちが目指しているのは変革を起こせる人、どんな分野でもどんな立場でもいいので、みんなが当たり前だと思っていることを「本当にそうかな?」「どうしたら変えられるかな」などと気付き、踏襲してきたことを壊して新たな価値を創出できる、そういうことができる人を世の中に送り出していきたいのです。

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“You are different”は「ほめ言葉」

夏野 自分の頭で考えられる人ですね。それに対して日本の教育は、自分の頭で考えると先生に怒られてしまう。

小林 象徴的なのが英語で“You are different”というとほめ言葉です。日本語で「あなた変わってるね」と言うと、ほめ言葉じゃない。differentっていうことはいいことで、人と違うこと、違う価値観を打ち出していく、それを目指していくのが大切だと思います。それこそ夏野さんがこれまでやってきているみたいに、「次はこれが来るぞ」、みたいなことを見いだしていく子どもたちを育てたい。

夏野 それは確かに日本のために必要なことだと思います。でも、なぜ小林さんがやろうとしたわけ? 美辞麗句でそういうことを言っているおじさんは山ほどいるのに、これまでは何も動かなかったれども。

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小林 私の原体験として、二つのことがあると思います。一つはすごくさかのぼって二十数年前の高校時代です。小中と高校1年までは公立の日本の学校でした。

夏野 インターナショナルな経験はありました?

小林 全然ないです。ドメスティックな人間でした。日本の高校って入学したら、すぐ大学受験みたいな世界じゃないですか。しかも5科目まんべんなくできないと国公立大学にはいけません、みたいな感じでした。実は、私は英語が満点、数学は赤点みたいに差が激しい人なのです。苦手科目を克服しないと有名大学に行けませんよ、と担任の先生に言われました。もっと自分の得意なことを伸ばしたいと思い、英語の先生に相談したら、あるカナダの高校への留学を勧められたのです。それで学校辞めて、単身で留学しました。

夏野 留学も1年だけの短期ではなくて高校そのものを辞めたの? お父さんとかお母さんは反対しなかった?

小林 たまたま経団連から2年分の授業料を全額いただける奨学金があったので応募したら受かったんです。それならいいかということになり、国際バカロレアのディプロマプログラムを取得できるカナダの全寮制高校、いわゆる11年生、12年生だけのプログラムに入ったのです。これがすごく大きな転換点でした。日本とは学校そのものも、教育内容も違っていました。

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夏野 でもすべてが英語ですよね。大丈夫でした?

小林 最初、私は完全に参ってしまいました。3カ月半ぐらいは授業がわからない。友達と話もできない。本当にダメダメで、泣いて暮らしていました。でも、そんな中でも、いいところを伸ばす教育というのも実感したのですけれど、その中で原体験といえるものがありました。

 英語ができなかったので、英語ができない人同士で仲良くなりました。私はメキシコ人ととても仲良くなり、彼女が私に「夏休みに1カ月ホームステイに来たら」と言ってくれたんです。私はちょうどその学校でスペイン語を習っていたので、タダでスペイン語を学べると思って1992年の夏にメキシコに行ったのです。日本なら友達を1カ月招くのですから、3、4畳ぐらいでもそれ相応のゲストルームがあるのかな、と思うじゃないですか。そしたら10畳くらいの1部屋に家族8人で住んでいるわけですよ。

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夏野 お金持ちじゃなかったんだ。

小林 私も奨学金でしたが、全員奨学金で留学していたので、どんな家庭なのかわかりません。彼女のうちは雨水をドラム缶に集めて洗濯していました。もう衝撃!と思いました。一番びっくりしたのは彼女だけが高校以上の教育を受けていて、あとはみんな自動車の整備工とかをしていました。

夏野 メキシコシティー?

小林 そうです。私が驚いているのを見て、彼女は「何をびっくりしているの?私のうちは中流階級よ。だって両親とも働いてるしね」という反応でした。彼女が初めてスラムに連れて行ってくれたのです。メキシコシティーの1992年の灼熱(しゃくねつ)の夏休みです。臭いし、湿気が体にまとわりついて。真っ昼間から大人の人たちが通りでゴロゴロと半裸で寝転がっている。そのそばで子どもはブワーっとかけずり回っていた。そんな光景を今でもよく覚えています。そのときの私は、普通に公立の学校に通い、頑張れば国公立の大学に行けるかなって思っていました。それがいかに世界の中では当たり前じゃないのか、学校に行けるってことが、家があるっていうことがわずか数%のすごく恵まれた人なんだ、と初めて実感として思いました。私は恵まれているなんて思ったことなかったのですけれど、世界的にみたらとても恵まれている。だから自分のために生きるんじゃなくて、人のためになんとか貢献するために、私は生を授かったんじゃないか、という使命感みたいなものがふつふつとわいてきたのです。17歳の時ですけれども。

朝日新聞 金融取材チーム Twitter

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