体に染みついて離れないと感じるにおいというのはあるもので、新人記者の場合はたいてい火事現場のそれだ。風景や音のように頭の中で再現することがにおいはできないのに、似たものをかぐとたちどころに記憶がよみがえるというのも不思議だ。
と、書き出したのは、ソマリア・モガディシオの魚市場のにおいがなかなか抜けないからだ。海を20メートルほど下に見下ろす場所にあるコンクリートの建物が市場だった。最大の魚市場というけれど、中学校の体育館の半分ほどの広さしかない。壁には暴力排除、衛生注意、たばこ禁止などと書いてある。暴力はさておき、ほかの二つは守られていない。天井の数カ所の穴は、砲弾でできたらしい。
魚はライトバンなどで運ばれてきて、コンクリの床に並べられる。サメやカジキ、マグロ、エイが大物で、それより小さくなると名前がよくわからないがタイのような魚もある。
床が血でヌルヌルし、内臓は無造作に投げ出されている。それをネコがペロペロなめている。魚を売る人、買う人、さばく人、飲み物を売る人が70、80人ほどだろうか。その数百倍のハエが魚に密集し、人のズボンにも顔にもたかる。
珍しい光景でもないのだけれど、生きていたものを熱が溶かしていくにおいとでも言うのだろうか。血と臓物と人いきれと、雑多なにおいが混じって、ウッとくる。そういえば、アフリカ連合(AU軍)の基地にいて日本語をあやつるフィンランド人のシェフは「築地に行ったけど、魚の嫌なにおいがしないんだね」と言っていた。
モハメド・アブドラマンさん(22)は、ここで手伝いながら、自分の父親が勤めるレストラン「モニン」に魚を仕入れている。店名の意味は「いい人」だと言っていた。その一方で大学に通って経営学を学び、英語が少し話せる。
2007年3月、モガディシオでおじと妹が戦闘に巻き込まれて亡くなったという。
ここで働いて、一日25ドル(約2千円)ほどになる。経営を学んで魚の商いに生かすの? と尋ねると、「魚は今だけ。将来は一度に500ドル、千ドルを動かす商売をするんだ」と言っていた。
マグロを切り分ける職人の手は、大きな包丁をスーッと引く。その所作はすし職人に似ていなくもない。切り口が水っぽくならないようにそうするのだと、どこかで読んだ気がする。
自分の国では行きもしない市場に、よその国で行きたくなるのはどうしてだろう。どんどん希薄になってゆく生活感を取り戻したいと思うからだろうか。それにしてもこのにおい、何とかならないものか。
◇
■AU軍を去ってから
アフリカ連合(AU)軍の基地から出た後、どのように過ごしているのかを少し説明したい。基地の門から出ると、28日に紺色の三菱のピックアップトラックが迎えに来てくれていた。そのまま市内の、ジャーナリストという意味のサハフィホテルに入る。
出歩く時には、いつも同じ車に乗る。荷台には自動小銃を持った4人の若者が乗っている。ホテルの宿泊と、この警備がセットになっている。その分、1日の宿泊代は東京の超高級ホテルを上回るほどになり、長居ができない。今回は4泊するだけだ。
改めて書くけれど、ソマリアでは今年だけで17人のジャーナリストが殺されている。全員ソマリア人らしいが、イスラム武装勢力のシャバブにとって、記者は標的の一つになっている。
10年前に何度か訪れただけの場所に4日間泊まったぐらいで、何がわかるわけでもない。それでも、いろいろと取材ができるのは、一緒に来てくれたフォトジャーナリストの中野智明さんが友人のつてを使って手配してくれるからだ。ナイロビ在住29年、スワヒリ語も使いこなす中野さんは、AU軍の基地でもすっかりカオになっていた。
29日に魚市場を取材したとき、AU軍の装甲車両が通り過ぎて行った。あの中にいると安心感はあったけど、雑踏の音一つ聞こえないのでは何をしに来たのかわからない。やはり、けたたましいクラクションの音、人の声、交通整理の警察官が吹く笛の音の中にいるとほっとする。そう、10年前には考えられなかったが、街角には交通整理の警察官がいるのだ。
それでも、自由に出歩けるわけではないので、楽しみなどないと言っていい。シャワーが水なので寝る前に浴びると、体はすっかり冷えて震えてしまう。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。