福島第一原発の事故と状況は全く違う。でも、ここにも災害と人災が重なって故郷へ、家へ戻れない人たちがいる。
まだ完全に安全というわけではないので、モガディシオの全域がわかるわけではない。それでも、この街を少し走り回れば、家に住んでいる人より、避難民のキャンプに住む人の方が多いのではないかと思う。
それほど、道ばたや空き地に避難民のつくった小屋がひしめいている。
中には援助団体がつくった屋根付きの家もある。だが、ほとんどは自分たちで木の枝を組み、その上に配られた雨よけのシートをかぶせ、布をつないでつくった小屋だ。
道を車で走ると、方々にそんな小屋の絵が描かれた看板が立っている。1カ所に10も20も固まって立つところもある。どこから避難してきたのかが書かれ、たいてい携帯電話の番号も書いてある。
市の中心部から少し外れたところにある避難民キャンプで、看板に書いてある電話番号に電話してもらった。電話の主はソマリア南部、モガディシオから約100キロのジャナーレというところからやってきて、約200家族のまとめ役をしているという。
キャンプの入り口まで来てくれないかというと、3分ほどして現れた。アブディ・イブラヒム・アデンさん。26歳だという。
アデンさんたちの住むソマリア南部は2年前、ひどい干ばつに襲われた。畑は干上がり、家畜は死んだ。途方にくれて、アデンさんたちは荒れ果てた首都を目指した。いま、干ばつは収まったが、政府軍・アフリカ連合(AU)軍と、イスラム武装勢力シャバブがにらみ合っていて戻れない。 このキャンプは緩やかな斜面に広がっている。アデンさんたちはそのほんの一部を占めているに過ぎない。トイレや水くみ場が国際NGOの援助でできている。
もともとトルコの援助団体が入っていたが、モガディシオの情勢が悪化して外国の援助団体は次第に引き揚げた。
診療施設も学校もない。援助物資が滞ったので、早朝から仕事を探しに行く人が多い。女性は家の掃除や洗濯、男性は荷役が定番だというが、ありつけないことも多い。
それでも、キャンプの中にはトタン小屋の店もできていた。20個ほど携帯電話の充電をしていた。電気は近くの電線から引いていた。
もっと状況のひどいキャンプもある。やはりモガディシオから100キロほどのシャランボットから干ばつに追われてモハメッド・アブドルカデル・アブディさん(25)は、270家族とともに約1年前にやってきた。多くの援助団体がソマリアから退避していた時期だったため、ほとんど支援物資をもらっていないという。
キャンプは池端にあり、激しい雨のため池の中に取り残された小屋があった。すえたにおいと、はいせつ物のにおいが立ちこめる。マラリアや下痢に悩む人が多いとアブディさんは言う。
自然災害に追われ、今は人災に帰宅を阻まれる。いつになったら帰れるか、話さない日はない。でも、たとえ帰れる日が来ても、帰る手段がないのだと、アデンさんもアブディさんも話した。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。