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09月22日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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新たな旅の始まり コオロギの歓迎@南スーダン・ジュバ

写真:ホテルのシャワー。青いマットのようなものの下から、コオロギの合唱が=江木慎吾撮影拡大ホテルのシャワー。青いマットのようなものの下から、コオロギの合唱が=江木慎吾撮影

写真:コオロギ君=江木慎吾撮影拡大コオロギ君=江木慎吾撮影

 南スーダンに到着したからには、何か書かなくてはと思うのだけど、着いてすぐに実のあることをさらさらと並べられるほど能力はなく、コオロギのことぐらいしか思いつかない。

 7日午後、飛行機がジュバの空港に到着すると、到着ロビーと入国審査と荷物受取場と税関が一体となった、駅の待合室のような場所がたちまち混乱の渦に包まれた。ジェット機が2機、到着したのだ。

 最初の入国審査は、窓口が四つあって、南スーダン国籍用、特別なパスポート用、東アフリカその他用、そしてビザを売る所になっている。そのビザを売る窓口に人がたくさん並んで、いつの間にか他の窓口の二つもビザ用に変わってしまった。

 事前にビザをとり、特別でも南スーダン人でもない人はどんどん隅に追いやられる。と、そこへ、預け入れ荷物が到着し、次々と床に放り出される。どこに立てばいいのか。

 あっちに行きこっちに逃げして、やっと自分の荷物を受け取ると、税関でその荷物を開け「検査済み」の印をチョークで書かれる。やれやれ、外に出る時は不快な汗にまみれている。外は34度だ。まあ、でも10年前のアフリカというと万事がこんな感じで、そこは懐かしくもある。

 事前に車の運転を頼んでいた青年は午前中に交通事故にあって胸を痛めたとかで、ホテルにたどり着いて、少々のドルを現地のポンドに換え、飲み水を買ったところできょうはおしまいにした。

 1人になって、ホテルの部屋でインターネットにつなごうとするのだけど、なかなかつながらない。仕方ないので、南スーダンに到着したと携帯電話で会社に連絡を入れて、ホテルのレストランで食事をすることにした。

 ガランとしたレストランでどうということのない西洋料理のビュッフェを食べていると、カントリーウエスタンの曲が流れている。なんでこんなところでこんな曲と思ったが、そういえばここはニューヨークホテルという名前だった。まあ、ニューヨークとカントリーウエスタンはあまり関係ないけれど。

 1泊120米ドルするので、ここは南スーダンとしては高級ホテルの部類なのだろう。10年前の当時スーダン南部で泊まった宿のことを思い出した。ホテルと称するそこは1泊1ドルだった。当時は、まだ1ドルが100円以上だったと思うけど、2年半のアフリカ特派員時代、1泊1ドルの安さはそこと、エチオピアの田舎の宿の2カ所だけだった。出張費の精算には領収書が必要だけど、このときは領収書をくださいと言い出せなかった。

 トタン屋根の下、熱のこもった部屋に色んな虫がうごめいていた。加えて、その町は当時の政権軍から空爆を受けていたこともあり、ほとんど眠れなかった。空爆といっても、気まぐれのように飛んできて爆弾を落とす、というものだったけど。

 色んな虫がうごめいて、というところでやっとコオロギが出てくるわけで、今回のホテルの部屋にも、たくさんのコオロギが同居している。足をのぼってくる人なつっこさがうとましい。ここも水のシャワーなのだけど、下にプラスチックの、すのこのようなのが敷いてあり、その隙間から3匹動いているのが見える。踏まないように、慎重に水を浴びるので、浴びた気がしない。そのうち3匹とも上に出てきて、逃げればいいのに足を上がってくるのだ。

 というわけで、中身のないことを長々と書いてしまった。こんなことは、南スーダンで働く多くの日本人NGOや自衛隊のみなさんには当たり前の日常なのだろう。まあ、きょうは移動の日、ということで。

     ◇

■11年前に書いた記事から

 11年前に1泊1ドルの宿に泊まった時の記事です。当時はまだスーダン南部で、イエイの町は今いるジュバよりさらに南のウガンダ国境近くの町です。

 自分の耳が頼り(特派員メモ・イエイ)

 

 空襲の恐怖といっても、親より上の世代の人たちから伝え聞くことしかない。今や爆撃といっても、第2次大戦時とは大きく様変わりしているはずだ。しかし、昔ながらの空襲におびえている人たちが、今もいる。

 南部スーダンへの空襲はいまに始まったわけではない。もう17年も内戦が続き、このイエイの町も何度か空襲を受け、市民が犠牲になってきた。

 それにしても市民の神経の研ぎ澄まされ方は半端じゃない。取材途中に、話している相手が「どうやら何かがきたようだ。注意して」と言い出した。何も聞こえない。周りのみんなが上空を見回し始めてしばらくして、ブーンという爆撃機らしき低い音が聞こえてきた。通りの市民はとうに走り回っていた。

 夜、町の宿で横になりながら、戦中の日本について思った。そのころも、いつ来るかも知れない空襲におびえながら、浅い眠りにしがみつこうとしていたのだろうか。空襲警報という、危険を知らせる手段が50年以上も前の日本にあったのに、この町には電気もない。頼みは、自分の耳だけだ。そう思うと一層、かすかな音に耳をそばだててしまう。

 地元の通夜で、太鼓を連打する音がかすかに聞こえる。気づくとやんでいた。少し眠ったに違いない。五感が研ぎ澄まされるというより、神経が削られるような夜だった。

(スーダン=江木慎吾)

江木慎吾

プロフィール江木 慎吾(えぎ・しんご)

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。

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