どうせ日曜日でコンゴ(旧ザイール)大使館は開いていない。駄目なら戻ればいい。25日午前9時にルワンダのキガリを出発して、とりあえずコンゴ国境を目指すことにした。
ゴマ入りして迫真のルポを送ってきているナイロビ支局の杉山正支局長から、ビザを持たずにコンゴ入りしている記者がたくさんいると聞いた。国境も反政府武装勢力のM23が押さえていて、政府の発行するビザはあまり効果がないのかもしれない。
西に進むと、前日の丘とは違って山道になった。2400メートルまで上り寒くなったと思ったら1500メートルまで下りてきて暖かくなる。ずっと道路の状態は良好だけど、前日に続いての山道で腰と背中が痛み、おなかにガスがたまって仕方がない。
4時間ほど走ってギセニの町に来た。ここには11年前に来たことがあって、ある乗り物について記事を書いた。書いた時にキックスケーターと紹介したのは、後に日本でもはやったキックボードのことだ。
坂の町なのに、キックボードの化け物のような手作りの乗り物を使って荷物を運ぶ。その様子が面白くて紹介した。どうなっているか、楽しみだ。見回すとしゃれたホテルなどの建物が目立ち、武骨ながらあいきょうのあるあの乗り物の姿はない。
この町は国境に接していて、その国境のすぐ向こうがゴマだ。南にキブ湖が広がる。国境に着いた。ここまで一緒に来てくれたブルンジの仲間が気を回し、現地のブルンジの外交官を呼んでいて、彼の案内でコンゴ側に入った。
入国管理官にパスポートを渡すと、ぺらぺらめくって「ビザは?」と聞く。「申請したが、出してくれなかった」と正直に言うと「ここでとるか?」というので、大きくうなずく。会計係のような若者のところに回され、35ドルを払えという。
細かいお金を渡すと、5ドル札を見て「もっと新しいお札はないのか。これは受け取れない」という。仕方ないので100ドル札を渡して釣りをもらうと、渡そうとした5ドル札よりもっと古い5ドル札で釣りを返してきた。
会計係のような若者は下から「オーケイ?」とのぞき込んでくるので、仕方なく「オーケイ」と答える。職業を聞いてきたので記者だと言うと、社名を聞かれた。「朝日だ」と答えると「オー、アサヒ。知っている」と言いながら、全く間違ったつづりで帳面に書き付けようとするので訂正する。
「1週間だけのビザだ」と言って、パスポートにスタンプを三つ押した。そして奥にいたちょっとこわもての男性に渡すと、この男性が自分のサインを書き込んで、ビザ発行は終わった。
あのブルンジでの苦労は何だったのだろう。初日にちょっとだけコンゴに入った時と違うのは、35ドルを払ったことぐらいだ。かの会計係の若者はパスポートを渡すと「ウエルカム」とにこやかに言い放った。
ゴマに入った。10年前の1月、破壊され、分断されたこの町に来た。その時の敵は、北にそびえるニラゴンゴ火山だった。溶岩流の下に、町は埋まった。
その溶岩流の跡は今なお町のあちらこちらに残っている。ルワンダから入ると、道路の悪さに驚く。岩だらけの道路の脇に、溶岩が転がっている。
あちらこちらにM23の兵士が立っている。所々に国連軍の兵士が白く塗られた装甲車両から青いヘルメットをのぞかせている。警察官の姿はほとんど見あたらない。道ばたで笑っている人もいれば、むすっとしている人もいる。閉まっている店が多いが、これは日曜日ということだろう。
そのとき、あれを見た。国境のルワンダ側の町、ギセニではすっかり姿を消していたキックボードだ。今も若者が手作りし、荷物を運んでいる。下り坂はすいすいと地面を蹴って、上り坂は乗り物の重みにも耐えながらのっそりと。
一度、紙面で紹介した乗り物をまた紹介するのは気が引けるけど、ざっと言えば構造は子どもたちが遊んでいるキックボードと変わらない。ただ、ずっと大きくて、部品のほとんどが木でできている。つなぎ目をタイヤのチューブで補強し、鉄のコイルをつけてサスペンションにしている。
キックボードなら立って片足でこぐところだけど、こちらはひざ立ちでこぐ。だからひざの当たるところには木の上にタイヤの破片などをあてがっている。
モーゼズ・シママさん(18)は10キロ先の村から炭俵を運んできた。「だからほら、ズボンが真っ黒だろ」とモロコシをかじりながら言う。戦闘が続いた2週間ほどは、町に通えなかった。「今はもう心配ない」と言った。
町のラウンダバウトにさしかかって驚いた。あの乗り物を押す青年の金色の像ができている。荷物を載せるところに、地球があって、連帯と努力でみんなの生活をよくしよう、などと書かれている。できたのは2009年。昔、記事では「イキジュクトゥ」と紹介したけれど、像には「チュクドゥ」と書かれている。どうやらうまく聞き取れなかったらしい。
ルワンダの町では姿を消し、コンゴの町では連帯の象徴として残る。方や発展を遂げ、方や戦乱に悩む町の歩みを、素朴なキックボードの行く末に感じるとは思わなかった。
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■10年以上前に書いた記事から
(1)は11年前に書いた記事、(2)は10年前の1月に書いた記事です。
(1)荷物運ぶ「キックスケーター」 ルワンダ(世界のくらし)
ルワンダ西部の山間地で「キックスケーター」がはやっていた。日本でブレークしたあのキックスケーターと、構造に違いはない。人が乗る板、ハンドル、前後に小さな車輪がつく。進む時に地面を足でけるのも同じだ。
遊ぶためや街中をおしゃれに駆け抜けるための道具ではない。少年たちが買い物や給水などに使う。「イキジュクトゥ」という武骨な名前がある。現地のことばで「荷物を運ぶ木製のもの」を意味するという。
手作りで木製。廃品タイヤを切って車輪を覆ってある。後輪の泥よけのようなゴムの覆いはブレーキらしい。自転車のベルを付けたり、板とハンドルをつなぐ部分に金属製のバネを使ったり。こだわりが装備に表れる。
下り坂はゴロゴロと音を立てて調子がいい。上りでは、降りて重い車体を押さなくてはならない。ファッション性も、輸送手段としてもいまいちだが、数十キロはあろうかと思われる大きな荷物と、こだわりを載せて坂道を行く。(ギセニ)
(2)「飢えて倒れそう」口々に 溶岩流に襲われたコンゴ・ゴマ
コンゴ(旧ザイール)東端にあるニラゴンゴ山(標高約3470メートル)の大噴火で、溶岩流が流れ込んだゴマの街では、いたるところで墨色になった溶岩から白い蒸気がなお立ち上っている。復旧の見通しが立たず、住民らは変わり果てた街の跡で、援助物資を求めて列をなす。反政府拠点のゴマには隣国ルワンダの兵士が展開し、複雑な政治対立の現実も見せつけた。
大噴火は17日だった。南約20キロの山麓(さんろく)にあるゴマは溶岩流に覆われた。高さ2メートルもの溶岩の塊が市中心部の道路を覆いつくすようにふさぐ。水を求め、プラスチック容器を頭にのせた人が溶岩の上を行く。一部営業を始めた市場からの買い物を抱えた人もいる。体に感じる地震は少なくなった。
溶岩流は、市の空港の滑走路も半分埋めたが、25日、小型飛行機がようやく着陸に成功した。国境なき医師団や世界食糧計画(WFP)などの支援物資が到着。それでも、溶岩流で交通網を分断された街に物資を配布するのは容易でない。
同日、ゴマ郊外の建物を500人以上が取り囲んだ。「支援を受けるために登録が必要だときいて、早朝から並んでいる」と女性が話した。記者(江木)の周りにあっという間に人だかりができた。「ムズング(白人)、飢えて倒れそうだ」と口々に訴えた。地元の人以外は、みな援助団体の人間に思えるらしい。
運転手をしていたアビトゥティさん(56)は家を失ったが戻ってきた。「子どもとは離ればなれになった。ここはまだ危険だと聞いている。でも、ここ以外に行くところはない」
子どもらがトタン板や鉄骨を拾い集めている。溶岩流を免れた市域の入り口ではアフリカ土産の店が開いている。
市街地から北約7キロの緑の畑の一角に、溶岩の噴出口跡があった。火山・地質学者たちが、ルワンダのマホンデ・エネルギー・水利・天然資源相に話していた。「溶岩の上に乗らないよう、住民に注意すべきだ。固まったようにみえても、不安定だ。子どもが落ちたら大変だ」。傍らで大きな葉っぱを雨よけにかざした子どもが立ち上る蒸気をのぞき込んでいた。
ルワンダは、自国の反政府勢力がコンゴを拠点に活動していることを、コンゴ派兵の理由に掲げている。ニラゴンゴ山域は、反政府勢力の拠点の一つとされる。
ゴマは、内戦の続くコンゴの反政府勢力「コンゴ民主連合(RCD)ゴマ」の拠点都市。RCDゴマを支援する形で、ルワンダがコンゴ内戦に介入し、実質的にゴマ周辺を支配している。現地の軍服姿は、みなルワンダ兵だ。なぜルワンダ閣僚が視察するのか尋ねると、「ここで起きたことはルワンダでも起こりうるからだ」とはぐらかした。
■10万人が野外生活
ゴマを支配する反政府勢力「コンゴ民主連合(RCD)ゴマ」のムドゥンビ外相は25日、「野外で寝起きしている人が10万3千人いる。雨露をしのげる施設の提供を最優先に、国際機関に援助をお願いしたい」と語った。
ムドゥンビ氏によると、27人の遺体を収容した。43の学校が失われ、約2万4千人の生徒が学校に通えなくなった。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。