普通の記事と違うことをと、考えはした。いい知恵が浮かばない。事情もあって、26日は定点観測をすることにした。動かずにゴマの町や人を見つめようという「ものぐさ企画」だ。その事情は、また改めて書きたい。
街頭に椅子を並べた喫茶店でと考えたが、そういうところはない。仕方がないので、にぎわいを見せるルチェル・ラウンダバウトの近くにあった、服飾店の店頭を借りることにした。
店主は、このシリーズに何度も登場したプラスチックの椅子を出して、店先に置いてくれた。ジャック・キズングさん(40)は気さくな人だった。
武装勢力のM23が町に迫った時は、店を閉めてベッドの下に潜り込んでいたという。店を開けに来たときは、何もとられていなかったのでほっとした。でも、なかなか客足は戻らないと嘆く。
ただ、以前はラウンダバウトの警察官が車を止めては賄賂を要求していたし、盗みが絶えずに毎晩のように銃声がした。それがM23になってから「警察官が交通整理するようになった」とキズングさんは言う。
ゴマで暮らしていると何度もこのような目に遭っているでしょう。なんでそれでもゴマにいるんですかと尋ねると、「生まれたところで暮らすのが一番だからね。ほかへ行くお金もないし」と言った。
人通りの邪魔にならない、階段の上に椅子を置いて座った。
目の前に大きなビーチパラソルがあって、その下で女性が食べ物を売っていた。イモを切り、肉をかき混ぜ、バケツの水で手を洗い、イモの皮をむく。その手際よさに、勝手に料理ママと呼ぶことにした。横で小学校3年ぐらいの男の子と一つか二つ下らしい女の子が手伝っている。
揚げパン、ジュースなどほかにも様々なものを売るパラソルが並んでいる。その向こう側は乗り合いバスが入れ代わり立ち代わり停車して、客と荷物をいっぱいに詰めて去ってゆく。ドライバーの横に陣取る男が「サケ、サケ」と、これは魚でも飲み物でもなく行き先の地名を叫んでいる。
料理ママの店の横は、炭俵のにわか市場になっていた。激しい値段交渉で、男が女性をたたいて、たたきかえされている。以前、ここはただのバスのたまり場だったのが、今回の混乱の間に小さな市場のようになったという。
炭俵の横には、商談が成立した時に近場まで商品を運ぶチョクドゥが待機している。なにせ、炭俵は大人1人では抱えきれない大きさがある。
いろんなものを売る人が通り過ぎてゆく。サヤインゲンを金だらいにいっぱい詰めて頭に載せた女性が通る。後ろからは鮮やかな緑の王冠をかぶったように見える。
網に入れたたくさんのバッタを頭に載せて歩く女性がいる。どうするのかと聞くと、客と思ったのか食用に売っているのだとにこやかに話す。顔をしかめると、向こうも顔をしかめて去っていった。
チリン、チリンと心地よいリズムの鈴音が聞こえたと思ったら、指にさした栓抜きで空のジュース瓶をたたいているジュース売りだった。清涼感のある音が、通り過ぎてはまた近づいて来る。
目の前の階段に20歳前後とみられる若い男6、7人が座ってだべっている。コンビニにたむろする若者のような感じだが、荷物を運ぶ仕事を探して待っているらしい。こちらの方を見て「ムズング(白人)、腹が減っているんだ」と話しかけてくる。
ここでは、黒人以外はみんなムズングだ。そのうちチーナ、チーナと呼び始め、通訳によると「毛沢東に似ている」「ブルース・リーのようだ」と言っている。毛沢東の顔を知っているのか? おだてて何がしかをせしめる魂胆らしい。
1人がバッタの入ったポリ袋を持ってきて、食べ始めた。どうだ、食べられないだろうというしぐさをするので、仕方なく食べた。イナゴではなく、顔がとんがった「コメツキバッタ」みたいだ。さっき生きて売っていたのもそんな感じだった。
脚の折れ曲がったところにせつないものを感じたが、薄い塩味でカリカリに揚げてあり、バッタだと思わなければおいしい。思わないわけにはいかないけれど。
ちょうど、その時に目の前の料理ママがキャッサバを揚げ始めた。油の入った金だらいが、炭にじかに置いてある。皮をむき、適当な大きさに切って塩を振ったキャッサバを、そのまま揚げる。
プッ、プーとバスのクラクションが鳴り、けんか腰の商談の声が聞こえ、チリン、チリンとまたジュース売りが来て、その手前で揚げ物の音がする。天ぷら職人の腕は揚げる時の音でわかるらしいけれど、どうして揚げ物は音だけでうまそうに思えるのだろう。
そう思ったら仕方ない。食べ物をせびる若者たちに、さっきのバッタの礼におごることにした。「サンキュー・ムズング」とまた呼称が変わる。ついでに自分の分も買って食べたら、熱々のポテトチップスのようでうまかった。
と、キズングさんがまた現れて「話したいと言っている人がいる」。そう、これが定点観測の狙いの一つだった。
キズングさんの商売仲間で肝っ玉母さん風の服飾店主(44)は「ママ・デボラと呼んどくれ」と言う。
「5日前から店を再開したんだけどさ、まだ人が帰ってこやしないね。モブツ大統領(かつての独裁者)のころ、戦乱で逃げて仲間が殺されたから、もう何が起きても逃げないことにしたよ。今のカビラ大統領、全くだめだね。商売も駄目だからさ、ジュースや洗剤も売るのさ」
「M23は、希望を持て、仕事がちゃんとできるようにするって言っているけど、どうかね。外国がM23を敵視するのをやめてくれないと、無理じゃないかな」
「写真、駄目駄目。話は紹介してくれていいけどね、写真は絶対だめ」
もちろん、通訳を通して質問し、答えをまた通訳してもらった結果だ。このように話したわけではないけれど、ママ・デボラはこんな口調のように思えた。
時々、M23の兵士が周辺にやってくる。1人ずつくるので、目立たない。国連軍は車両で通り過ぎるだけ。だんだんと炭俵が消えてゆき、通りには荷物を運ぶチョクドゥや車両が増えていた。
そろそろ潮時か。2時間半、そこにいた。以前の姿を知らないこともあり、凡庸な目には、活気のある街角にしか見えなかった。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。