街なかにいる人たちの中には、ひとまず安定が訪れ、自分の暮らしに戻ることのできた人たちがいる。では、ゴマ郊外にできている国内避難民のキャンプにいる人たちはどうか。ここでもまた、じっと座って様子を見ることにした。
「ムグンガ1」というキャンプに来た。溶岩石の上に延々、テント小屋や草でつくった小屋が続いている。古い小屋が多いのは、1994年のルワンダ虐殺の時以降、ここが難民キャンプとして使われてきたからだ。そこに今回の戦闘から逃げた人たちが押し寄せた。
たくさんの人が集まっている場所で、溶岩の上に腰を下ろした。仕方なくここに身を寄せた人以外に、ぼーっと腰掛けている人間などいないので、みな不思議そうな顔をして通り過ぎてゆく。
「ムズング(白人)ありがとう」と言って手を振る人が多いのには参った。支援団体の人間と間違えているのだ。何もしていないので、とても肩身が狭い。それに比べれば「チーノ」「シノワ」(中国人)と呼ばれる方がずっと楽だ。
国際NGOの「ワールドビジョン」が支援物資の支給について、ハンドマイクを通じて呼びかけ始めた。
ここにいる人たちをいくつかのグループに分け、そのグループごとに配給に向かうことになっているようだ。50人ずつほどが呼ばれ、1列になって前の人の服やひじをつかんで進む。
横入りする人が後を絶たない。列に入っている人の中には笑って横入りを許す人もいれば、たたいて押しのける人もいる。整理にあたる人も見つけるとののしり、押しのける。
「No food、no life」と横に立っていた若い男性がつぶやく。
横入りしようとしてはじき出された人は、ばれたかとばかりに笑いを浮かべる人もいるし、怒って怒鳴り返す人もいる。それが何度も繰り返され、毎回怒号と小競り合いと笑いとに包まれる。
配給へ向かう列が通り過ぎ、しばらくするとセッケンや食用油やトウモロコシを手にして戻ってくる。
こういう場面は、心の持ちようで伝え方が変わってくる。
横入りする人の多さをとらまえて、人間の我の強さを責めることもできる。自分の国での同じような場面を想定して人の振る舞いを比較することもできるだろう。
子どもの目の前で繰り広げられる醜い争いに、子どもへの影響を嘆くこともできる。つながって列をなす人たちの姿に悲しいものを感じることだってできるし、争いの中にも笑いがあることに救いがなくもない。
見つめる自分の資質、資格にも考えが及ぶ。目の前に繰り返される騒動を伝えようとしている自分は、一体ナニサマなのか。そう考えると、何かを言うことはとたんに難しくなる。
ただ、そこに切実さと真剣さがあることは間違いない。
2時間近くたって支援物資の配給終了が告げられると、案の定、この日に受けられなかった人たちが係に詰め寄った。
支援団体が去り、雨が降りそうになったので、切り上げることにした。直後、雨が激しく降り始めた。キャンプを車で出ると、支援物資をもらった人が何人も、物資を手に街道を町の方角へ歩いていた。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。