10日朝、6時前に起きると、ダナネの町はもやに包まれていた。7時、ホテルを出発し、一路27キロ先にあるリベリア国境を目指す。アビジャンにいたときに、一応、ネットで道のりを調べてみた。ダナネまでは道がはっきりと描いてあったのだが、そこから先は描いてない。だから、道悪なのだろうと思ったけれど、想像を超えていた。
プジョーはぶっ飛ばすにはいいかもしれないが、悪路には不向き。前輪駆動で車体が低いときている。昨日の快走がうそのように、時速15キロほどで走る。
うっそうとしたジャングルの中の赤土の道を行く。道にへばりつくようにカカオやコーヒーが植えられているが、あまり手入れされていないようだ。
アフリカに来ると、みんなの人なつこさに救われることが多いのだけど、アビジャンは都会のせいか、マーケットに行っても周りの人がだれも外国人に関心を示さない。ドルの闇市のお兄さんたちが寄ってくるぐらいだ。でも、ダナネから奥に入ると、車が通ることも珍しいのか、家から飛び出してくる子どもがいる。
ここまでの道路では、ほかのアフリカの国に比べて、家畜を目にすることが少なかった。コートジボワールでは牧畜はいま一つ盛んではないとも聞いた。でも、いったん山道に入ると牛や羊や豚が目立つようになった。密林の中に、集落が現れる。壁も屋根も草でできた家に、衛星のパラボラアンテナが据えてある。
ここは行けるのか、行けないのか。何度も止まって確かめた。泥に前輪が埋まり、救出を助けるために車を押していたら、泥が大量にはねて、服がぐじゃぐじゃになった。泥だけならいいけど、どうも牛糞(ぎゅうふん)のにおいがする。
さらに行くと、今度は水たまりから脱出しようとしてパンクしてしまった。換えたタイヤもほとんど空気が入っていない。
道すがら悪い予感がだんだん膨らんでいった。反対方向から1台も車が来ないからだ。一時期、バグボ前大統領派の武装勢力がこの国境地帯にひそんでいた。車が通らない国境の道というのは不気味なものだ。
日本にいると、国境を歩いてあるいは車で通るということはない。今回はブルンジ・コンゴ、ブルンジ・ルワンダ、ルワンダ・コンゴと色んな国境を越えているけれど、ここの動きのなさは群を抜いている。
ついには27キロ、1台とも行き会わなかった。ダナネから2時間45分ほどで国境についた。
コートジボワール側の入国管理担当はTシャツ姿。怖い顔だったが、判を押してくれた。20メートルほどの鉄の橋を渡ろうとすると、真ん中に鉄の鎖がわたされ、南京錠がかかっていた。だれもいないので、またいで向こう側に行く。川沿いの小屋の前に「入管」と英語で書かれたポロシャツを着た若い男が立っていた。
パスポートを渡すと、「この国境は正式に封鎖されている」と妙な表現で言う。封鎖も何も、今立っているのはリベリアのログアト村だ。ちゃんとビザもあるのに「入れない」という。悪い冗談かと思った。脇をコートジボワールの人たちが何も言われずに過ぎて行く。リベリアの人たちも橋を渡って行く。牛の群れまでコートジボワールから渡ってくる。
「人道的な見地から、付近に住むコートジボワール人とリベリア人の行き来は認めているが、それ以外はだめだ」と係はいう。でも、そもそも封鎖しているのはリベリアで、コートジボワールの武装勢力が入り込むのを防ぐためだ。橋の脇には国連軍が基地をつくって見張りを置いている。バングラデシュから派遣された隊員は、フェンスの向こうで野菜の育ち具合を確かめて上機嫌だったけど。
ちゃんと調べればわかったことだけど、国連軍の兵士が殺害された事件をめぐって今年の6月から国境は封鎖されていた。こういうところの押し問答はどうにもならずに消耗するだけと相場が決まっている。リベリア側でいろいろ助けてもらおうと思っている人物に電話をかけた。幸運にも電話がつながったので、窮状を説明した。
この人物には、事前に国境まで迎えの車をよこしてくれと頼んでいた。でも、だれも行くと言ってくれなかったようで、「国境に行けばタクシーがいる」と彼は言っていた。実際はタクシーなど1台もなく、オートバイで2時間かけて行った町でしかタクシーは捕まらない。そう国境にいた人は話していた。まあ、リベリアに入国できたらの話だけれど。
国境は閉じているので、たとえビザがあっても私たちにはスタンプを押すことができない。もし、外務省などから特別な許可でもあれば別だけど、というのが、入管の係の説明だった。そこで、モンロビアにいる頼みの彼に、外務省や入管の人たちをあたってもらった。だが結局、だれも何とかしようとは言ってくれなかったと連絡が入った。
ついに、事務所の長とおぼしき人物が出てきた。開口一番、「なぜリベリアの領土にいる。橋の鎖の向こうまで出ろ」と脅し口調だ。まあ、それはそうだ。封鎖されている国境を越えてきたのだから。でも、封鎖しているなら、もう少しそれらしいことをしてくれよな。銃を持った兵士がいるとか。だれもいないし、国連兵は農作業しているじゃないか。そんな文句も言いたくなる。
こちらが鎖の反対側まで出たら、向こうも鎖のところまで来て、「これで話ができる」。でも、話と言っても、こちらの事情を説明したのに対して、国境は閉じていると繰り返すだけ。何のためにわざわざ来てくれたのかわからないが、これはどうにもならない、と感じさせるには十分だった。
正直に言えば、もしここで「お金を出せば何とかしてやる」と言われたらどうしようかと迷っていた。2日がかりで来て、また戻るのはつらいと、腰も背中も心も言っている。でも、腐敗に手を貸してはいけない。アフリカ特派員時代に経験したのは難癖をつけられてお金を要求されることで、そういう時は「レシートをくれるなら払うよ」と言っていた。こちらが無理押しする形になる今回とは違う。
そういう悩みをこちらも抱えていたので、絶望的な気持ちになりながら、どこかすっきりした気分でもあった。そうか、リベリアも変わっているのだ。10年前の西アフリカなら向こうから「本当はダメなんだけど、特別なはからいで何とかしてあげましょう。ついてはいま車の修理が必要で……」などと言ってくるようなところがあった。サーリーフ政権も頑張っているということかな、と思った。
風に吹かれる、いい加減な旅だから許されることだろう。仕方がないので、アビジャンに戻ることにしよう。予約していた飛行機は前日の夜にキャンセルしてしまったし、また一から出直しだ。
それにしても、「仕方がないので」と何度書いたことか。こういう間抜けを繰り返してもアフリカ特派員の時なら書かなかった。こういうスタイルのつらいのは、書かなければならないところだ。こんな愚かな人間が朝日新聞のアフリカ特派員をしていたとは、と思われるのが特につらい。アフリカ特派員の名誉のために言えば、そんなことはない。そもそも、こういう旅程の立て方は、ニュースを追う特派員なら絶対にしない。
というわけで、ダナネまで戻って道がよくなったので、車の中でこれを書いている。きょう中にアビジャンに帰りつけるだろうかと思いながら。ちなみに、また150キロ以上で走っているようだけど、後部座席で横を向いて原稿を打っている間は、その緊張から逃れることができる。
そして、赤土の大きなアリ塚をさらに赤く染めて、夕日は落ちた。今これを送ろうとしているのは夜10時。2度目の派手なパンクをして、いまホイールもろとも修理している。幸い、最初のパンクの時のタイヤは国境で直し、さらに入れ替えたスペアタイヤの空気も補充していたからよかったものの、まだアビジャンは150キロ先だ。
修理の間、することもないので、衛星通信を使って送っている。
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ここでおわびが。この記事の発信位置は国境のはずですが、それどころではなく、GPSで測定するのを忘れていました。来た道をしばらく戻ってから気づき、測定したものなので、実際の国境とは少しずれがあります。すみません。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。