あらかじめ言っておきますが、13日は移動だけです。
ナイロビをたって1週間、ようやく2カ所目のリベリアに向かう。午前11時の飛行機で、いったんコートジボワールの東側の国を一つ飛ばしてトーゴへ。そこで乗り換えて、一つ西側に戻ってガーナに降りる。そこから出発国のコートジボワールを飛び越してリベリアに至る。
すごろく風に言えば、二つ進んで、1個戻って2個戻る、ということになる。東京近郊の私鉄でも行きたい方向と逆にまず乗った方が結果的に早く着くということはあるけど、あくまで早く着くための選択だ。今回は選択の余地がない。
いずれも西アフリカに路線をもつ新興のアスカイという航空会社の路線だ。コートジボワールの西隣に行きたいだけなのに随分と旅を楽しませてくれる。
さて、アビジャンで乗った乗客はいったんトーゴのロメですべて降りる。次に乗った西向きの便は、実は乗ってきた飛行機だった。だったら、そのまま乗せておいてくれてよかったのに。飛行機が遅れて、着いたらもう搭乗時刻を過ぎていると焦って損をした。
アビジャンからロメ、ロメからガーナのアクラに向かう機内は満員状態だった。アクラに着くと、ほとんどが降りた。でも、入れ替わりにぞろぞろ乗って、またほぼ満員状態に。
リベリアのモンロビアに向かって飛行機が下降し始めたとき、隣の女性が握りしめていたチケット入れの表紙に日本語が書いてあるのに気づいた。「日本語ですよね」と話しかけた。
彼女は色々と話してくれた。話してくれたのだけど、ここでリベリアの問題が生じる。言葉だ。
リベリアは英語が公用語だけど、この英語が大変くせのある英語で聞き取れない。以前、来たときには英語から英語の通訳を頼まなければならなかった。座席のすぐ外がプロペラというのもよくなく、女性の話してくれたことはほとんどわからなかった。どうも那須塩原に9カ月ほどいて、リベリアに戻るところだということはわかった。
というわけで、ガーナからリベリアに向かうプロペラ機で日本人と日本から帰国するリベリア人が乗り合わせる偶然はあったものの、それ以上のことはわからなかった。
バタバタしたところはあったが、これまでの経緯を考えると思いがけず順調にリベリアに着いた。入国管理も税関も問題なくくぐりぬけた。
あとはホテルについて、インターネットにもすぐに接続。そうだと大変、幸せな一日ということになるのだが、そうは問屋が卸さないのが世の常だ。ましてや、風に吹かれる頼りない身であればなおのこと。
61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。