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09月20日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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「どうしたら明るくなりますか」 @バンガ

写真:手押し車がそのまま店になる=写真はいずれも16日、江木慎吾撮影拡大手押し車がそのまま店になる=写真はいずれも16日、江木慎吾撮影

写真:ゴム園が延々と続く拡大ゴム園が延々と続く

写真:シアネ・クレイさんがラジオ局を案内してくれた拡大シアネ・クレイさんがラジオ局を案内してくれた

写真:バンガの町拡大バンガの町

 日本の歯車が大きな音を立てて回ろうとしていた16日、日曜日を利用してリベリア中部の町バンガを目指すことにした。モンロビアから車で4時間ほどかかる。

 道沿いに市が立つ。休日なので店はまばらだ。工事現場でよく見かける手押し車が、ここでは輸送の車と店を兼ねる。売る物を運んできて、場所を選んで居座って店になる。土曜の夜はトリ肉をさばいてそのまま手押し車に載せて売っていた。この日は食料ではなく服などが多いようだ。

 漢字名の飲食店、ホテル、反った屋根の建物と、街道を走るだけで中国の存在感をひしひしと感じる。そんな建物が途切れるとゴムの林が何十キロにもわたって道沿いに迫っては引いてゆく。道はずっと舗装されているけれど、大きな穴があちらこちらにある。

 12年前、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんの一行と、アフリカに常駐する他社の記者2人とともにバンガの町を訪れた。その時、不思議に心に残るやりとりがあった。

 町に子どもラジオ局があった。当時はまだ完全に内戦から抜けきっていなかったが、このバンガはテーラー大統領の強い基盤で比較的安定していた。

 地区にはミニFMラジオが林立し、子どもラジオもその一つだった。子どもたちが記者、アナウンサー、ディレクターを務め、放送していた。YMCAの支援を受け、町中の小さな家が放送局だった。

 当時、リベリアは首都周辺にすら電気を満足に供給できていなかった。スタジオに入った黒柳さんが「暗くてよく見えない」と漏らすと、すかさず子どもの一人が「どうしたら明るくなりますか」と言った。

 子どもらしい、たわいもない切り返しに違いない。でも、なぜか尾を引く質問だった。簡単に答えるなら「電気をつければいい」。それができないところにいる子どもが発する言葉だけに、単なる切り返し以上のものを大人に突きつけていた。

 あのラジオ局はどうしただろう。そう思ってたどり着いたのが、バンガラジオだった。

 突然押しかけたにもかかわらず、アナウンサー兼記者のシアネ・クレイさん(20)が局内を案内してくれた。小さいながら、ニュースを読む部屋や座談会などのできるスタジオなどをそなえる一軒家だった。

 いや、確かこんな立派なところではなかったと思いつつ、子どもが自分たちで放送する番組はあるかと尋ねると、あるという。それも、ちょうど日曜日がその放送日だというので期待したが、今週は機材の故障で番組が放送中止になったのだという。

 この日、休んでいたクレイさんの上司に電話で聞くと、子どもラジオ局はなくなったと話してくれた。当時、たくさんあったラジオ局を統合する形でできたのが、このバンガラジオなのだという。

 その子どもラジオを受け継ぐ形で、週に2本、子ども中心につくる番組が今もある。子どもたちが身近なニュースを伝える番組、それに日曜日に放送される「未来を語る」だ。子どもたちが、将来の夢を語る番組なのだという。

 内戦や紛争に巻き込まれた子どもに夢を尋ねると「学校に行きたい」という答えが返ってくる。当たり前のように学校に通い、「きょうはサボりたいなあ」などとのんきに過ごしてきた身には、学校に行きたいという言葉が、突き刺さってくるように感じられた。

 そんな内戦を抜け出していまは子どもたちが一人一人、別々の夢を語ることのできる時代になったということだろう。「明るくなったんだね」。スタジオを照らす電灯の中で、そう思った。

     ◇

■12年前に書いた記事から

 

 内戦で傷つく子どもたち 黒柳徹子さんとリベリアを行く

 

 西アフリカ・リベリアをユニセフ親善大使の黒柳徹子さんが18日から24日まで訪れた。7年に及んだ内戦が終わって3年たってなお、復興できず、子どもたちが水、食糧、電気、教育の不足に苦しんでいる。内戦中よりむしろ状況が悪くなったと言われる理由は、同国が隣のシエラレオネで続く内戦に紛れて、ダイヤモンドの密輸にかかわっているとの疑いをかけられ、国際的に孤立しているからだ。同行して、リベリアの子どもたちの状況をみた。

 

 小柄な17歳の少年は、10歳で内戦に志願した。軍用小銃を手にして「いい気持ちがした」という。内戦は1989年、テーラー現大統領が率いる武装勢力、リベリア国民愛国戦線(NPFL)のほう起によって全土に広がった。少年は、村をNPFLに支配されたが、その抑圧から逃れるため、NPFLに加わったと話した。

 敵側についた友だちもいた。村々を襲い、大人も、子どもも殺した。「自由のため」と少年は言うのだが。

 戦争で親を殺された子どもも、殺す側にいた子どもも、心に深い傷を負った。そんな子どもたちを支援する、中部の施設に少年はいた。約50人の面倒をみる施設に、かつての少年兵が10人ほどいた。施設の壁には「人はみな罪を犯す」と書かれていた。

 別の16歳の少年は、隣国シエラレオネの内戦で村を守るためにナタを持って戦い、反政府武装勢力に捕まって両腕を切り落とされた。国境近くで放り出され、リベリアの病院にたどりついた。両親は健在だが、働けない少年を引き取ろうとしないという。「良い(義)手をもらって、国に帰りたい」と話した。

 リベリアは、シエラレオネの反政府武装勢力のダイヤモンドを密輸し、引き換えに武器を供給して、内戦をあおっていると英国などから糾弾されている。テーラー大統領は疑惑を否定するが、国際的な孤立は深まるばかりで、復興の障壁になっている。

 約260万の人口の国に、医師は36人しかいないという。モンロビアのスラムにある地区の診療所には、50人近い列ができていた。6割がマラリア患者だ。約300円の蚊帳さえ、人々には高すぎる。

 電気は、まばらにある街灯にしか届かない。首都に飲み水を届ける浄水場も、電力不足で需要の3割しか供給できない。

 中部の町バンガに、YMCAが支援する、子どもの手作りFMラジオ局「セラビ」があった。20人以上の子どもが記者、キャスターとして運営に加わり、一日18時間放送している。

 ゲリラ時代のテーラー大統領が拠点を置き、内戦中にラジオ局ができて住民の貴重な情報源になった。内戦が終わり、ラジオへの愛着から、子どもたちの自主的な活動を支援しようと今春、セラビが設立された。

 自動車用のバッテリー2個、ラジカセ2台、小さな蛍光灯1個に照らされた暗いトタン屋根のスタジオで、黒柳さんは子どもからインタビューを受けた。「暗くて見えない」という黒柳さんに、子どもは「どうしたら明るくなりますか」と切り返した。

 黒柳さんには、日本の戦後の混乱期と、リベリアの現状が重なって見えたという。「町の中にいる子どもと、難民キャンプの子どもとの区別がつかなかった。全然復興のきざしが見えず、むしろひどくなっているようでした。ただ、ラジオ局の子どもや、町で懸命にものを売ろうとする子どもを見ていると、希望はあると思う」と話した。

 黒柳さんは、リベリアの子どもたちを救うための募金を呼びかけている。(以下、募金の案内を割愛しました)

江木慎吾

プロフィール江木 慎吾(えぎ・しんご)

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。

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