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米騒動――リベリア1979 @モンロビア

写真:マーカス・ダーンさん=写真はいずれも江木慎吾撮影拡大マーカス・ダーンさん=写真はいずれも江木慎吾撮影

写真:フローレンス・チェノウェト農相拡大フローレンス・チェノウェト農相

写真:おまけ。農相に取材を申し込もうと待っていたら、サーリーフ大統領(茶色の服)が横を通ったので拡大おまけ。農相に取材を申し込もうと待っていたら、サーリーフ大統領(茶色の服)が横を通ったので

 リベリアにとっては「米騒動」が時代の歯車を動かす一つのきっかけだった。かつて日本にとっても、そうだったように。騒動が起きた1979年のリベリアは、一党独裁から抜け出て間もないころだった。当時の騒動の仕掛け人の一人に話を聞いた。

 マーカス・ダーンさん(60)は当時、アメリカはオハイオ州の大学でエンジニアリングを学ぶ学生だった。彼が仲間とともにリベリアに帰国してデモを起こそうと考えたのは、政府が米価の引き上げを企てたからだ。

 リベリアはコメを主食とする。その消費量の3分の1を主に米国からの輸入に頼っていた。米国は50キロあたり5ドルでリベリアに売却し、輸送費に4ドルかかって9ドル。それにリベリア政府は13ドルを上乗せして22ドルで市民に売却していた。

 この価格ですら、市民には重すぎる負担だった。これを79年、さらに引き上げる計画が発表された。学生らは、国民の生命線である主食の値段の引き上げは理不尽だとして、当時のトルバート大統領へ陳情するデモを企画した。

 モンロビア市内の大統領府を目指したデモは思いがけない展開をみた。警官隊がデモ隊に発砲し、数十人が死亡した。ダーンさんは125人だったと言う。デモの首謀者の一人としてダーンさんは指名手配され、逮捕された。

 冷戦のさなか、親米政権に背くデモの首謀者には共産主義者のレッテルがはられた。ダーンさんは激しい拷問を受けた。殴られて肋骨(ろっこつ)を折り、性器をひねりあげられ、そのさなかに両親を侮辱する言葉を浴びせられた。

 「思い出したくもない経験です」と言いながら、ダーンさんは眼鏡をはずして目をぬぐった。涙がこみ上げたのかと思ったが、後遺症らしい。「最近、また仲間が死んだ。若いころにひどい暴力を受けると、はやくに免疫機能が低下する。もうすぐ自分の番だと思う」

 ダーンさんらが米政府にも働きかけていたこと、デモへの無差別な銃撃が批判を呼んだこともあって、米価の値上げは見送られた。さらに、翌年にはクーデターによってトルバート政権は倒れ、リベリアは混乱の時代を迎えた。

 ダーンさんは今、計画・経済関係担当の副大臣を務めるほか、大学教授として国際政治やガバナンス論などを教える。2011年の大統領選にも立候補したが、落選した。

 「今は普通に選挙ができるようになった。その過程の苦闘に加わったことは誇りであり、いまは笑って死ぬことができる」と言う。

 さて、現在のコメ事情はどうなのだろう。日本は10年ほど前から「ネリカ米」の普及に力を入れてきた。「New Rice for Africa」からNERICAと名付けられた。ネリカにはコメが含まれているので「ネリカ米」は重複表現になる。

 それはさておき、シエラレオネの研究者が乾燥や病気に強いアフリカのコメと、収量の多いアジアのコメを掛け合わせてつくったのがネリカだ。これがアフリカを飢餓から救う切り札になりうるとみて、日本は積極的に普及を支援してきた。

 ネリカを開発した西アフリカ稲開発協会はもう名前も変わってしまったが、元はリベリアに本部があった。その本家本元のコメ事情を、フローレンス・チェノウェス農相に尋ねた。

 「内戦の果てに、ゼロから国の再建に着手できたのが06年でした。その再建の一つの柱が農業でした。石油が出ようが、ダイヤがとれようが、一番下の手の届くところに実るのは農業なのです」

 だが、農家は高齢化し若い世代は戦乱のために育っていなかった。研究者も不足していた。コメでいえば、大量の種子を輸入することから始めなくてはならなかった。

 ネリカの導入は高地を中心に進められた。だが、リベリア人は粘りけのあるコメではなく、少しぱさついたコメを好んで食べる。このため、現地のコメも引き続き栽培している。

 リベリアの電気料金が世界でも突出して高いことや、道路の問題、農機具のメンテナンスの問題など、問題は山積していると農相は言う。病害虫に強い稲作を達成できていたのが、内戦の間に田が荒れて再び病害虫との闘いを強いられているともいう。

 「一歩一歩の前進といったところです。それでも昨年、コメの種子はすべて国内でまかなうことができるようになりました」

 17歳の時、飢える人が世界にいるという事態に憤りを感じて農業を研究する道に入った。実は79年に米価引き上げを発表した時も農相を務めていた。

 リベリアにとってコメとは何か、尋ねた。

 「毎日おいしく食べる、欠くことのできない主食です。あなたの国にとっても同じでしょう」。チェノウェスさんは、そう答えた。

江木慎吾

プロフィール江木 慎吾(えぎ・しんご)

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。

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